第12話 リーガル帝国に到着しました
──リーガル帝国。
ハイアール王国の約三倍の国土を持ち、水や鉱石など、様々な資源に富んだ大帝国である。
何度か外交の為に足を踏み入れたヴァイオレットはリーガル帝国に到着した際、大きく驚く様子はなかった。
だが、皇族が住まうための城の一角──柘榴宮に足を踏み入れたときは、今まで様々なものを目にしてきたヴァイオレットであっても、感嘆の声を漏らした。
「まあ……なんて素敵なんでしょう……!」
大臣や家臣たちが登城する瑠璃宮は会談の際に、ダンスホールがある翡翠宮には舞踏会の際に訪れたことがあり、その二つもとても綺羅びやかで美しかったのだが。
「壁に彫られた葉っぱのような柄はリーガル帝国伝統のレイズリー柄ですよね? シャンデリアの装飾に使われているのはリーガル帝国南部の海でしか取れないマペ真珠、絨毯は北東にいる一部の民しか織れないと言われているセルシャ絨毯! 凄いですわ……」
その二つの宮殿とは比べ物にならないほど上質なものが使われている。
一見すると綺羅びやかさでは劣るものの、見るものが見ればその価値には目を瞠るほどだ。
柘榴宮殿内を見渡しながら、目をキラキラとさせるヴァイオレットに、シュヴァリエは感心するように驚いた。
「貴女が才女であることは分かっているつもりだったが、良く知っているな」
「リーガル帝国は友好国でしたもの。会談の際に失礼にならない程度には知識は入れてあります。それに、輿入れまでにも少しだけ時間がありましたので、少し追加で勉強を……これから暮らす国や土地、伝統や民について知ることは、とても楽しかったです」
「……ハァ。本当にヴァイオレットは……」
シュヴァリエは右手で額を押さえると、左手をヴァイオレットの頭にずいと伸ばし、優しく彼女の頭にぽんと置いたのだった。
「聡明なだけでなく、謙虚で、頑張り屋で……貴女のような素敵な女性を妻に出来る俺は、世界で一番幸せ者に違いない」
「……!? いっ、言い過ぎですわ……」
「そんなことはない。俺は世界で一番幸せものだ。それに、ヴァイオレットならば民からも必ず慕われる。一人の男としても、皇帝としても、これ以上幸せなことがあるか」
「……っ、お褒めに与り、大変光栄なことでございます……」
これ以上謙遜してもシュヴァリエは褒め言葉を繰り返すだけだろう。何となくそう感じたヴァイオレットは、早々に感謝する方に対応を変えた。
すると、シュヴァリエが今度はヴァイオレットの頬に手を滑らせる。
少しザラリとした指先に、ヴァイオレットの胸はトクンと音を立てた、そのときだっただろうか。
「陛下……ヴァイオレット様を愛でたい気持ちは重々承知しておりますが、柘榴宮に仕える者たちが既に集まっています。早く行きませんと……」
「……。ロン、お前あと一分くらい待てないのか」
「一分で終わらなそうだったので」
会話に入ってきたのはシュヴァリエの従者──ロンだ。
舞踏会でシュヴァリエの身を案じていた人物と同一人物であり、以前シュヴァリエが実家に挨拶に来てくれた際にも彼が来ていた。その際にヴァイオレットは彼と挨拶は済ませてあるのだが、ロンはシュヴァリエに対して、割と言うことは言うらしい。
(何だかシュヴァリエ様、少し可愛いわね)
やや少年のような顔でロンと話すシュヴァリエに、ヴァイオレットはクスクスと笑みを溢した。
それからヴァイオレットは、先程ロンが言っていたように柘榴宮に仕える使用人たちに顔見せと挨拶をするため、宮殿の二階に登る。
シュヴァリエと共に広間にいる使用人一同を見渡せば、彼にそっと肩を抱かれてやや驚きながら、最初が肝心だからと動揺した姿を見せることはなかった。
隣のシュヴァリエが、大きく息を吸い込んだ。
「全員既に知っているだろうが、彼女はヴァイオレット・ダンズライト──俺の妻になる人だ。祝福の儀を終えるまで正式な婚姻は迎えられないため、当面は婚約者としてここで過ごしてもらう。ヴァイオレットへの不敬は俺への不敬だと思え。良いな」
──リーガル帝国の皇帝の婚姻には、祝福の儀、分かりやすく言えば結婚式が必要になる。
その際、教皇の前で愛を誓わないといけないのだが、会場の確保に教皇の予定調整、来賓の貴族たちに通達と、ヴァイオレットやシュヴァリエの正装の仕立てなどがあり、一朝一夕では行えないのだ。
シュヴァリエ曰く、祝福の儀を迎えるまでに約半年の時間を要するため、それまではヴァイオレットは婚約者という扱いになるらしい。
(……さて、皆の反応は……)
ヴァイオレットの悪評は無くなったとはいえ、突然他国から嫁いできた公爵令嬢など、受け入れられるのか。
人間、表面上ならどうとでも繕えることを知っているヴァイオレットは、使用人たちの様子をくまなく観察すると。
「……皆、さん……」
こちらを真摯な目でじっと見つめてから、深く頭を下げる使用人たち。ヴァイオレットには、それが取り繕っている姿にはどうにも見えなかった。
(ここに仕える者たちはきっと、シュヴァリエ様を尊敬し、シュヴァリエ様が選んだ私のことも認めてくれているのね)
そのことが嬉しくて、ヴァイオレットは穏やかに微笑むと、口を開いた。
「皆さん、至らないところもあると思うけれど、色々教えてください。末永く、よろしくお願いしますね」
ヴァイオレットの声に、一度顔を上げた使用人たちが再び深く頭を下げる。
そんな彼ら彼女らを見て、シュヴァリエの婚約者として恥じることがないよう頑張らなければと、ヴァイオレットは意気込んだ。
「専属侍女、ですか……?」
使用人たちへの挨拶が終わったあと、仕事に戻っていく使用人たちの一方で、シュヴァリエから言われた言葉をヴァイオレットは繰り返した。
「ああ。移動の際に話したが、皇帝が妻を娶る際、侍女はリーガル帝国側で用意するという決まりがあるだろう? だから、既に貴女の専属侍女に相応しい者を選定しておいたんだが──」
しかし、そのときシュヴァリエの背後から、家臣と思われる男が走ってきたのだった。
「陛下!! 不在中に上がってきた書類で期限が近いものがいくつがございますから、早く執務室に来てください……!」
「……そうか。分かった。ヴァイオレット、済まないが俺は行かねばならない。専属侍女との顔合わせを済ませておいてくれるか? ロンは残していくから、分からないことがあったらロンに聞いてほしい」
「はい。承知いたしました。お仕事頑張ってくださいませ」
「輿入れの日だというのに、済まないな」
かくして、ヴァイオレットはシュヴァリエを見送ると、専属侍女との顔合わせを行うことになったのだけれど。
(か、彼女が私の侍女なのかしら……?)
自分の持ち場に戻る使用人たちだったが、その中で一人の女性がヴァイオレットに駆け寄ってくる。
真ん丸な大きな眼鏡に、焦げ茶色の髪の毛をお下げにし、お仕着せに身を包んだ女性はヴァイオレットの目の前に到着すると、キラキラとした、まるで憧れの存在を見るような目を向けてくるのだった。
「ヴァイオレット様……! この日を今か今かと待っておりました! 私は、シェシェ・ゲルハルトと申します! 精一杯ヴァイオレット様の身の回りの世話をさせていただきたく存じます! よろしくお願いします……!」
「え、ええ。よろしくお願いしますね、シェシェ、ゲルハルト……って、え?」
先程の様子からして、シェシェが好意的であることは何ら不思議はなかった。
シェシェ自体は動いていないのに、彼女のおさげが喜びを表すようにぴょんぴょんっと揺れているのも、まあ、無いこともない。
(……こともないかもしれないけれど、今は置いておいて)
ヴァイオレットは目の前にいるシェシェから、斜め後ろに控えるロンに一瞥をくれてから、窺うように声をかけた。
「ねぇ、ロン……シェシェって……」
「流石ヴァイオレット様です。もうお気づきになられたのですね」
ロンはそう言うと、シェシェを手招きして二人は横並びになる。
そしてロンとシェシェは、ヴァイオレットに見えるように左手を胸の前に持ってきたのだった。
「このとおり、私ロン・ゲルハルトと、シェシェ・ゲルハルトは夫婦なのです。ヴァイオレット様」
「そうなのです! ヴァイオレット様!」
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