第11話 さあ、帝国へ参りましょう

  

 ヴァイオレットの父がダッサムのことは任せておいてくれというので、気絶したダッサムのことは父に任せることになった。 

 おそらく父が馬車にダッサムを乗せて、王宮へ送り返す──いや、突き返すのだろう。


(その後は、ダッサム殿下が先触れもなく我が家に来て、私に危害を加えようとしたことや、権力を振りかざしたことを、両陛下に報告するのでしょうね)


 その後のダッサムがどうなるかは、おそらく父が文書を送ってくれることだろう。


 ダッサムのことを任せて申し訳ないとは思いつつも、帝国へは三日の道のりがかかり、あまり時間の余裕がないこともあって、シュヴァリエはヴァイオレットの父に同意した。

 そして、ヴァイオレットも彼に従うことにして、家族と再び別れの挨拶をしてからリーガル帝国へ向かうための馬車に乗り込んだのだけれど。


「あの、シュヴァリエ様……ッ、いつになったら下ろしてくださるのですか……!」


 皇族が使う馬車は広くて、比較的揺れが少ない。とても快適に過ごせるはずなのに、ヴァイオレットは体をガチガチに固まらせていた。

 というのも、馬車に乗り込んでからずっと、シュヴァリエの膝の上に、彼に背中を預けるような恰好で乗せられていたからだった。


(……っ、家族にもこんな姿を見られてしまって、本当に恥ずかしかったわ……!)


 今の体勢と、あまりにニヤニヤした家族の表情を思い出し、ヴァイオレットは顔から湯気が出そうだった。


 そんなヴァイオレットの背後から、シュヴァリエは彼女の耳元で囁いた。


「……嫌か?」

「いえ、その、嫌とかではなく……」

「それなら、このまま俺の膝の上に居てくれ。……ヴァイオレット、貴女の存在を感じていたいんだ」 

「……!」


 まるで歯の浮くようなセリフだというのに、どこか切なげに言うシュヴァリエ。そして、背後から感じる彼の体温の冷たさに、ヴァイオレットはとあることを悟った。


(シュヴァリエ様……相当心配なさってくれたのね)


 今にも殴りかかってきそうなダッサムに怒り、そしてヴァイオレットの無事に安堵していたシュヴァリエだったが、まだあのときの不安の感情が抜けていないのかもしれない。 


(不思議な決まりのせいで妻になる私の身をそんなに案じてくださるなんて、なんて優しいお方なんでしょう) 


 ジーンと胸が熱くなるヴァイオレットは、僅かに緊張を解く。

 そして、やや振り返るようにして、シュヴァリエの顔を見つめた。  


「ご心配をおかけして、申し訳ありません……それに、改めて、助けてくださってありがとうございます、シュヴァリエ様」


 そう伝えると、シュヴァリエは僅かに表情を歪ませた。


「いや、俺は貴女に礼を言われる権利はないよ」 

「…………。何故ですか?」


 ヴァイオレットが問いかければ、シュヴァリエは何かを思い出しているのか、視線を左側に泳がせる。 

 ヴァイオレットはシュヴァリエが口を開くのを大人しく待った。


「……そもそもダッサムあの男が謹慎で済むだなんておかしいと思わないか?」

「……はい。それは思いますが……」


 疑問に思ったものの、あらゆる状況のため有り得ないことではないと判断したヴァイオレットだったが、どうやらシュヴァリエの様子から察するに、何かありそうだ。


「何か理由があるのですか……?」と問いかければ、シュヴァリエは重たい口を開いた。


「……ハイアール国王陛下にあの舞踏会での出来事を話した時、平謝りをされた。息子と聖女にはそれ相応の罰を与えるとな。……だが、あの男とヴァイオレットの婚約だけは中々解消してくれなかった」

「……!!」

「事を荒立てて強制的に婚約解消させることも考えたが、それはやめた。貴方の家族が暮らす、大切な国だろうから。……だから、俺は交換条件を出したんだ」


 伏せ目気味に話すシュヴァリエに、ヴァイオレットは引き続き耳を傾ける。


「皇帝の名において、二人に対してこちらから罪には問わない、不問にすると。ダッサムやマナカにもしも罰を与えるならば、陛下の判断に任せると。──その代わり、速やかにダッサムとヴァイオレットの婚約を解消するように、と。そうしたら、やっと条件を飲んでくれた」

「……そう、だったのですね……」


 簡単に婚約解消の手続きが済んだことは、おかしいと思っていた。

 けれど、まさかシュヴァリエが交換条件を出しているだなんて──。


(分かってる。分かっているわ。シュヴァリエ様は私しか妻に娶れない。だから、どんなことをしても婚約を解消させたかったんだって……でも)


「俺が一人で勝手にしたことで、ダッサムの罪は短期間の謹慎に留まり、結果としてヴァイオレットを怖がらせることになってしまった。本当にすまなかった」


 こんなふうに、謝られたら。愛おしそうな目で見つめられて、縋るような声で紡がれたら。


(まるで、本当に私のことが欲しかったのだと、そんなふうに勘違いしてしまいそうになる)


 ──そんなはずは、ないのに。


「シュヴァリエ様、謝らないでください。貴方様は何も間違っていないし、非は全てダッサム殿下にあります。むしろ、守ってくださりありがとうございました」

「ヴァイオレット……」


 その会話を最後に、ヴァイオレットは笑みを浮かべた。

 少しだけズキリとした自分の胸の痛みに気づかないふりをしながら。



 ──それから約一時間。


 すっかり明るい雰囲気になった馬車内だったのだが、ヴァイオレットはもうそろそろ限界だというように、羞恥を含んだ声を漏らした。


「もしやシュヴァリエ様は……誰とでも距離感の近いお方なのでしょうか?」

「……ん?」


 いくらなんでも一時もの間、ずっと膝の上に乗せたがるなんておかしい。

 好きならまだしも、そうじゃないならなおさらだ。


「ヴァイオレットだから、だが」

「えっ……」


 だというのに、そんなふうに言われれば、またもや勘違いしてしまいそうになる。


(……って、そんなはずないものね! きっと、未来の妻ならどれほど触れても咎められないとか、そんなところよね)


 というように判断したヴァイオレット。


 その後、どうにか膝から下ろしてほしいヴァイオレットと、どうにか膝の上に乗せておきたいシュヴァリエは、「重たいですから」「重くない」やら、「恥ずかしいので」「可愛い」なんて、攻防がしばらく続いた。


 ただ、最終的にはヴァイオレットが「しっかり顔を見ながら話したいです」と伝えたところ、「それは良いな」と言ったシュヴァリエが自身の横にヴァイオレットを座らせ、ずっと近くで見つめていたとか。

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