第9話 ダッサム殿下の登場です
あの舞踏会から二週間後。ついに訪れた、リーガル帝国に発つ日の朝のこと。
ヴァイオレットは事前にシュヴァリエから贈られたドレスに身を包み、忘れ物はないか、家族に伝え忘れたことはないかなど、頭を働かせていた。
「うん、大丈夫かしら」
王城で世話になった人たちや、嫁いでからも関わりそうな貴族には、既に挨拶を済ませた。
王太子妃候補だった頃はダッサムの公務を手伝って──いや、殆ど請け負っていたため、無いと困るだろうと作成した懇切丁寧な申し送り事項書も提出済みだ。
それがダッサムの手元に届いたという連絡が入ったのは昨日のことだった。
連絡が入った、というのは、ヴァイオレットは申し送り事項書を作成しただけで、本人自ら届けた訳では無いからである。
「わざわざダッサム殿下たちには会いたくなかったとはいえ、謹慎処分になっていたのだから仕方がないわよね。……いえ、全く会いたくはないんだけれど」
──実は、ヴァイオレットが婚約破棄され、シュヴァリエが魔力酔いを起こした舞踏会の次の日。
他国に外交に行っていた国王と妃は帰国し、そのタイミングを見計らって、シュヴァリエは二人に会いに行ったらしい。そして、舞踏会での出来事──魔力酔いのことと、ヴァイオレットへの公の場での婚約破棄について、静かに怒りながら説明したようなのだ。
因みに、次の日にはヴァイオレットの父、ダンズライト公爵も王城に向かい、シュヴァリエ同様、どこか棘を感じる淡々とした口調で詰めたらしい。
絶対に敵に回したくない二人に責め立てられ、国王と妃はその二日間で、げっそりと痩せてしまったとかいないとか。
(まあでも、結局、国王陛下と妃殿下は私とダッサム殿下の婚約解消の手続きを直ぐに行ってくれたのよね)
ダッサムとの婚約解消にあたり、唯一懸念だったのが、国王たちが婚約解消を認めてくれるか、ということであった。
二人はダッサムの性格や不出来さは知りつつも、それを補って余りあるほど優秀なヴァイオレットに、ハイアール国の未来を託しているところがあったからだ。
そのため、国王と妃は今までもダッサムに「ヴァイオレットを大切にしろ」と、諭していた。
(まあ、国王両陛下のお言葉は、殿下には届かなかったのだけれど)
そんな過去があるため、もしかしたら婚約解消には手間取るかもしれないと思っていたヴァイオレットだったが、シュヴァリエと父のおかげで話はスムーズに進み、先日正式にヴァイオレットとダッサムの婚約は解消されたのだった。
(とはいえ……私への婚約破棄と、シュヴァリエ様の命を脅かしたことは別の話。良く両陛下はそんなに簡単に婚約解消を認めてくださったわね)
まあ、息子が友好国の皇帝が死ぬかもしれないような指示を出したとなれば、国王たちは何に対してもイエスマンにならざるを得なかったのかもしれないが。
ヴァイオレットはそう考えて、一旦疑問は頭の端に追いやる。
そしてその後、父から聞いた話では、ダッサムとマナカは国王から謹慎処分を言い渡されたらしい。
父は期限までは知らないようだが、どうやら二人は王城内の別々の離れの塔で、監視のもと部屋に軟禁状態にあるようだ。
(まあ、意図的にではないにせよ、シュヴァリエ様のお命を危険に晒したんだもの。私へのことは抜きにしても、それ相応の罰は必要よね)
とはいえこの罰は、皇族への殺人未遂としてはかなり軽いものだ。
おそらく、シュヴァリエに殺意を持って意図的に聖女の力を使うよう言ったわけではないこと。これに関しては、ダッサムもマナカも全く勉強をしていなかったことを皆が周知しているため、疑われることはなかったらしい。
それと、結果的にシュヴァリエが無事だったことや、ダッサムが第一王子という立場であること、マナカが聖女であることから、それほど大事にならなかったのかもしれない。
(……この件に関しては私が口を出すところではないから、シュヴァリエ様がご納得されているなら構わないのだけれど)
それに、これも父から伝え聞いた話だが、此度の婚約解消に、ヴァイオレットに落ち度は一切ないと国王が宣言したらしいのだ。
王城内で住まう者たちから証言を得て、ダッサムが言うようなイジメに近い行為を、ヴァイオレットがマナカにしていないことが証明された。
それは、心にモヤを抱えながらシュヴァリエのもとに嫁ごうとしているヴァイオレットにとっては、吉報であった。
(少なくともこれで、リーガル帝国の皆様から白い目で見られる機会は減るでしょう)
ホッと胸を撫で下ろすと、ヴァイオレットは生まれてからずっと世話になった自身の部屋を見渡し、深く頭を下げる。
「二十年、お世話になりました」
ヴァイオレットは少しだけ寂しさを覚えながらも、スッキリとした面持ちで自室を出た。
それからヴァイオレットは、もう少しでシュヴァリエが迎えに来ると約束した時間なので、家族とエントランスに向かった。
すると、大勢の使用人たちに迎えられる。
使用人を代表して、統括執事に「ヴァイオレット様、今までお疲れ様でございました。帝国では、身体に気をつけながら、どうか皇帝陛下と幸せになってくださいませ」と言われたヴァイオレットは、泣きそうになった。
「今日……ヴァイオレットが……嫁に行くのだな……」
「お父様……」
そんな中、今度は父にぎゅっと抱き締められたヴァイオレットは、そっと父の背中に手を回す。
「そうですねぇ」とどこか寂しそうに相槌を打つ母も抱擁に加わると、「たまには帰ってこられるの?」と聞いてくるエリックもまた、抱擁に加わった。
家族全員に抱きしめられて、ヴァイオレットは例えがたい幸福感に駆られた。
(ああ、私は、本当に家族に恵まれたわね)
元婚約者は酷い男で嫌な思いは沢山したけれど、ここまで頑張ってこられたのは間違いなく家族のおかげだろう。
「シュヴァリエ様はお優しいですから、公務が忙しくないときは里帰りをさせてくださるはずです。だからどうか皆、そんなに悲しい顔をしないでください。一生の別れではありませんから」
そう伝えれば、鼻をずずっと啜り、涙を堪えているエリック。
そのタイミングで全員が抱擁を解くと、父が口を開いた。
「ずっと……殿下の婚約者として苦しんでいるお前を見てきた。どうにもしてやれない自分が、歯痒くて仕方がなかったが──シュヴァリエ皇帝陛下なら、大切なヴァイオレットを任せられる。……幸せになりなさい」
「お父様……っ、はいっ」
次に、やはり我慢ならなかったのか、泣きじゃくるエリックが口を開いた。
「お姉様が居なくなるのは淋しいけれど、次期公爵として頑張るから……! だから、お姉様は絶対、絶対幸せになるんだよ……!!」
「エリック……ええ、ええ」
今度は母は、ハンカチでそっと涙を拭ってから、口を開いた。
「いつも私の身体を気遣って、薬を調合してくれた優しい優しいヴァイオレット。頼りない母だったけれど、貴女が紹介してくれた新しい薬師の方の言うことを聞いて、きちんと薬を飲んで、元気に過ごすから。……だからどうか……母のことは心配せずに、自分の体を気遣ってね。そして、誰よりも幸せになるのよ。母との、約束です」
「お母様……っ、はい、約束……です」
目に涙を一杯に溜めて、再びヴァイオレットは家族たちとぎゅっと抱きしめ合う。
そして、外から聞こえる馬車の音を聞いて、シュヴァリエが来たことに気付いたヴァイオレットは、家族との抱擁を解くと、家族に対して深く頭を下げた。
「お父様、お母様、エリック……使用人の皆も……今まで、お世話になりました。……大好きよ!」
満面の笑みでそう伝えれば、ヴァイオレットにつられるように全員がくしゃりと笑って見せる。
そうして、今度はシュヴァリエを出迎えようと、背後にある扉の方に振り向いたというのに。
「えっ……どう、して」
警備の兵がザワつく声と、聞き慣れたわざとらしいドスドスという足音。
「おいヴァイオレット! 貴様……良いご身分だな!」
聞き慣れた聴き心地の悪い声と、プラチナブロンドに濁りきったグレーの瞳。
「ダッサム殿下が……何故今こちらに」
感動から一転、ヴァイオレットは一番会いたくない人物を目の前にして、口をきゅっと結んだ。
(謹慎中のはずではなかったの? 謹慎が解けていたとしても、何故ここに……?)
いつにもまして睨みつけてくるダッサムは、奥歯を噛み締めながらヴァイオレットに近寄ってくる。
警備の兵はそんなダッサムを止めようとするのだが。
「私の邪魔をしたものは王族の命により、処刑に処すぞ!」
「……! 殿下何を……っ!」
そんなふうに権力を振り翳されれば、兵の動きに迷いが生じるのも当然だった。
ダッサムは「ふんっ」と鼻を鳴らすと、兵が尻込みをしている間にヴァイオレットにズカズカと近付いていく。
(……っ、今の殿下は、なんだか普通じゃない……っ、多分逃げなきゃいけない、のに)
舞踏会のときでさえ、ここまで憎しみを込めた目を向けられていなかった。ヴァイオレットはダッサムに対して恐怖し、足が竦んだのか一歩も動けずにいると。
「殿下! お止まりください! 先触れもなく、一体何の用事でいらしたのですか!」
ダッサムの異変を察知した父は、急いでヴァイオレットを背中に隠すようにしてダッサ厶に立ちはだかると、そう問いかけた。
そんな父に続いてエリックもヴァイオレットを庇うように立つと、母はヴァイオレットの手を握って力強く握り締める。
家族たちの行動にヴァイオレットが少しだけ冷静さを取り戻すと、ダッサムが声を荒げた。
「不敬だぞ!! ダンズライト公爵!! 私はそこにいるヴァイオレットに用があるのだ!! わざわざ来てやったというのに、止まれとは何様だ貴様は!!」
「何と言われようと……! 私は父として、このように興奮しきっている殿下を娘に近付けさせるわけにはまいりません!!」
「……っ、うるさい!! うるさいうるさい! そこを退けぇ!!」
「……なっ」
いくら王族とはいえ、限度がある。いや、民を統る王族だからこそ、その振る舞いや行動には責任が伴う。
だというのに、ダッサムは自分の都合が通らなかっただけで、ヴァイオレットを守ろうとする公爵の肩を強く押して退かせると、直ぐ後ろにいたヴァイオレットに手を伸ばした。
「きゃぁ……!」
ヴァイオレットは恐怖でぎゅっと目を瞑り、母はそんなヴァイオレットを守るように抱き締める。
父は床に片膝を突き、エリックは驚きのあまり一歩も動けないでいた。
「ヴァイオレットァァ!! 貴様のせいで──ぐおっ」
だというのに、ダッサムの手がヴァイオレットに届くことはなかった。
「──貴様、俺のヴァイオレットに何をしようとしている。……殺すぞ」
その場にいた全員の背筋が凍りそうになるほど低くて、ドスの効いた声のシュヴァリエが、ダッサムの背後から彼の首根っこを掴んでいたから。
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