第7話 家族との挨拶はドキドキです

 ◇◇◇



「さて、そろそろ時間ね……」


 ──色々なことがあった舞踏会から早三日。ダンズライト公爵邸の、ヴァイオレットの自室にて。


 淡いミントグリーンのドレスに身を包み、普段は下ろしている髪を結い上げたヴァイオレットは身支度を終えると同時に、自室からメイドたちを下がらせた。


 何故なら、あともう少しで公爵邸に訪れるだろうシュヴァリエに会う前に、頭の中を整理したかったからである。


「今日はシュヴァリエ皇帝陛下から私の家族へ結婚の挨拶をしていただくのよね。……少しだけ不安だわ」


 というのも、話は少し遡る。


 三日前の舞踏会が終りを迎えた頃。ヴァイオレットはシュヴァリエに誘われて、今後のことについて話をした。

 その時に、三日後の今日、ヴァイオレットの家族に挨拶に行くという話になったのだが、懸念が一つあったため、念入りに話し合ったのだ。


 その懸念というのが、皇帝──シュヴァリエのについて、ヴァイオレットの家族について話すかどうか、ということである。


(舞踏会では、私の立場やプライドを守るため、大勢の前で求婚してくださった。あの場にいた貴族は皆、シュヴァリエ皇帝陛下が私に好意を抱いていると思っているはず……けれど、実際は──)


 初めて口付けを交わした者と結婚を強いられ、その相手が拒絶した場合は一生独身だなんて決まりがあるなんて。


(もはやそのことについて深く考えても致し方ないわね)


 決まりとは、得てして理解しがたいものが多いのだから。


 そして、ヴァイオレットはシュヴァリエに、この結婚には特殊な事情があることについて、家族にだけは話したいと進言した。

 配偶者選定の決まりについては厳重秘密らしく、リーガル帝国でこの決まりを知っている者はごく少数らしいのだが、家族にだけは伝えておきたかったのだ。


 もちろん、このせいでシュヴァリエの印象が悪くなるのはヴァイオレットの望むところではない。


 だから、事情についてはヴァイオレットも納得していることや、このままハイアール王国にいても、傷物の自分ではろくな結婚はできないだろうからと説得すれば良いからと付け加えた。それに、家族ならばヴァイオレットの立場が悪くなるようなことを言いふらす心配もない。


 そのことをシュヴァリエに話せば、彼は了承してくれた。

 ただ、配偶者選定の事情については、挨拶に行った際に自分から話すからとも言われ、ヴァイオレットは了承した。


「シュヴァリエ皇帝陛下から話を聞いて、家族が落ち込まなければ良いけれど……」


 自分のことを愛してくれている家族が落ち込む姿を見るのは心が痛む。

 だが、ずっと騙すのも、それもまた心が痛むし、愛する家族ならば理解してくれるだろう。


(うん、きっと大丈夫よね……)


 ヴァイオレットはほんの少し憂鬱な気持ちを抱えながらも、シュヴァリエが到着したという知らせに、エントランスへと向かったのだった。



「ようこそいらっしゃいました、シュヴァリエ皇帝陛下。ご足労いただき、まことにありがとうございます」


 エントランスで従者と共に現れたシュヴァリエを出迎えたヴァイオレットとその家族たちは、ゆっくりと頭を下げる。

 シュヴァリエも直ぐ様頭を下げ、穏やかな声色で挨拶を返した。


「出迎えありがとうございます、ダンズライト公爵に、公爵夫人、そして弟殿。この度はご挨拶の時間をいただき、感謝いたします」


 それからシュヴァリエは、ヴァイオレットに視線を移すと、ゆっくりとした動きで彼女の手を優しく掴んだ。


「ヴァイオレット嬢も、出迎えありがとう。……この三日間、早く会いたくて、ずっと貴女のことを考えていた」

「……っ」


 甘い言葉に次いで、手の甲にキスを落とされたヴァイオレット。 

 更にシュヴァリエにジッと見つめられれば、彼の瞳が熱を帯びていることに気付いてしまい、酷く恥ずかしくなった。


(なっ、何でそんな目で見つめるのですか……)


 ヴァイオレットは公爵令嬢として、数々の社交会に参加してきた。

 数多の貴族男性に挨拶──手の甲にキスをされてきているし、それにドキリとしたなんてこと、今までなかったはずなのに。


(シュヴァリエ様の瞳を見ていると、本当に私のことを好いてくれているみたいに見えて、恥ずかしい……っ)


 妃教育に薬師としての仕事。ダッサムからは愛の言葉を一つも囁かれたことはなく、どころか恋愛のムードにもなったことがなかったヴァイオレットは、恋愛ごとに対して耐性が低い。


 ヴァイオレットは逃げるように、そっと彼から視線を逸らした。


「ヴァイオレット、仲睦まじいところを邪魔して済まないが、とりあえずシュヴァリエ皇帝陛下を応接間にお通ししよう」

「……!?」


 すると、気まずそうにこちらを見つめる父にそう言われ、同時にふふっと嬉しそうに頬を綻ばす母、ニヤニヤしている弟のエリックが視界に入り、ヴァイオレットは顔を真っ赤にして驚いた。


 家族に自身が恥ずかしがっているところを見られたのと、シュヴァリエのことで頭が一杯になっていたせいで、ここに家族がいることを一瞬忘れてしまっていたからである。


(……っ、今までなら一言挨拶をしたら直ぐにお部屋に通すなんて、当たり前にできたのに……)


 それほど、シュヴァリエという男から向けられる瞳や言葉に、動揺したということなのか。


(……何にせよ、先ずはお部屋にお通しして、詳しい話はそれからよね)


 ヴァイオレットは小さく深呼吸をして自分を落ち着かせると、シュヴァリエに対してニコリと上品に微笑み、応接間へと案内し始めた。



 それから結婚の挨拶は、穏やかな空気のもと始まった。


 まずはヴァイオレットの両親と弟のエリックが挨拶し、シュヴァリエも改めて挨拶する。


 それから、舞踏会での大まかな出来事を事前にヴァイオレットから聞かされていた両親は、シュヴァリエに対して深く頭を下げ、感謝の意を表した。


「……ダッサム殿下の愚行に怒り、ヴァイオレットを庇ってくれたこと、心から感謝いたします」

「私からも、感謝申し上げます」

「……いえ、俺は感謝されるようなことは何も。今までヴァイオレット嬢が次期王太子妃候補として、一人の女性として気丈に振る舞う姿を、会うたびに何度も見てきました。だから、彼女が後ろ指を指されるようなことはないと確信を持っていただけですよ」


 真剣さと穏やかさを含ませた表情で言うシュヴァリエに、父は感服し、母とエリックは顔を見合わせてニヤニヤしている。


「お姉様、とっても愛されておいでですね!」

「……っ、エリック、やめなさい、もう……!」


 直後、エリックがヴァイオレットの方を向いてそんなことを言うものだから、ヴァイオレットはたじたじだ。

 エリックの言葉に過剰に反応してしまうのは、自身でもシュヴァリエに愛されているのでは? と勘違いしそうになるからだった。


 シュヴァリエは横に座るヴァイオレットに一瞥をくれ、ふっと優しい笑みを浮かべてから再び話し始める。


「それに舞踏会では魔力酔いを起こした俺を、ヴァイオレット嬢が必死になって救ってくれました。彼女は俺の命の恩人であり、まさに女神のような存在です」

「……っ、い、言い過ぎですわ、シュヴァリエ皇帝陛下……!」

「そんなことはない。ヴァイオレット嬢、貴方はこの世で最も素敵な女性だよ」

「……っ」


 ご冗談を、おほほ〜なんて返しができないほど、シュヴァリエの声色には真剣みが帯びている。

 ヴァイオレットは、恥ずかしさととある疑念で頭がいっぱいだった。


(これから配偶者選定の話もしなければいけないのに、こんなに家族を期待させるようなことを言って、どうするおつもりですか……!)


 そんなヴァイオレットの内心をよそに、シュヴァリエは姿勢を正すと、両親の方に向き直る。

 そして、先程とは違ってきりりとした空気を纏わせてから、求婚の言葉を口にした。


「公爵、そして公爵夫人。……ヴァイオレット嬢のことは、俺が必ず幸せにします。ですから、彼女を俺の妻に迎えることを、お許しくださいませんか」


 まるでお手本のような求婚に、父はもちろんだというように頷き、母は涙目になって喜んでいた。弟のエリックも、シュヴァリエならば姉を任せられると嬉しそうだ。


(そう、よね。喜ぶわよね。でも、ごめんね……)


 ──だが、ヴァイオレットはこの後の展開を予想できるため、眉に悲しみを浮かべた。


 父は顔に出さずとも、内心では怒るだろうか。母は悲しんで、体が弱いのにより体調を崩してしまわないだろうか。エリックは残念そうに俯くだろうか。


 そう考えると、胸が痛い、けれど。


(……私は家族が大切だから、大好きだから、ずっと騙したままなんて嫌なの)


 ヴァイオレットはそんなことを思いながら、シュヴァリエが言うはずの言葉を待った。そして、そのときは直ぐに訪れた。


「結婚を承諾してくださり、ありがとうございます。ヴァイオレット嬢とダッサム殿下との婚約解消の手続きは、昨日国に戻られたハイアール国王陛下が無事受理したそうなので、そのことについても問題ありません。……しかし、一つだけ話しておかなければいけないことがあるのです」


(きた……!)


 この流れはきっと、あのことを話すのだろう。

 ヴァイオレットは体にぐっと力を入れ、ドレスの生地をぎゅっと握り締めて、シュヴァリエの話に耳を傾ける。


「実は──」


 ──しかし、その時だった。


(えっ、何で……?)

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