第6話 シュヴァリエには事情がありました
そのとある決まりとやらがあるから、もしかしたらシュヴァリエは今まで結婚をしていなかったのではないだろうか。
聡いヴァイオレットはそこまで察して、そして続く彼の言葉に耳を傾けた。
「実は、皇帝は即位してから初めて口付けを交わした者を妻にしなければならない決まりがある。その相手に断られた場合は、一生配偶者を持てない」
「……!? それって、つまり──」
「ヴァイオレット嬢が俺の妻になってくれないと、俺は一生独身だということだ。……皇帝という立場である以上、死ぬまで独身というのは流石にな……ということで、ヴァイオレット嬢」
(ああ、なるほど。そういうことだったのね)
ヴァイオレットは、この段階で全てを理解した。
おそらく自身はシュヴァリエに嫌われてはいないだろう。それに、彼の褒め言葉や求婚の言葉は完全な嘘には聞こえなかった、けれど。
シュヴァリエが求婚してきたのは、皇帝の配偶者選びの決まりがあるからなのだと。
このことを耳打ちで打ち明けて、皆の前では正式に求婚してくれたのは、ヴァイオレットの立場やプライドを、守るためなのだろうと。
皇帝という立場の事情、自身への配慮。ヴァイオレットは、それをしっかりと理解した、だから。
「──改めて、俺の妻になってくれないだろうか」
「……はい、もちろんでございます。シュヴァリエ皇帝陛下」
ヴァイオレットは様々な感情を胸の奥にしまい込み、その求婚を受け入れた。
「ありがとう! ヴァイオレット嬢! 絶対に幸せにするから」
──ヴァイオレットはこのとき、確かにシュヴァリエに惹かれ始めていたけれど、この思いが明確に恋愛的な意味で好きなのかどうかは分からなかった。
だから、シュヴァリエの求婚の意図が心から愛したからではなく、独特な配偶者の選定法のためだったとしても、受け入れることができた。
もちろん、求婚に事情があったということには、少なからず傷付いた。
けれど、自身が傷物扱いされるかもしれないことを危惧して、シュヴァリエからの求婚を断る必要はないこともまた事実であり、そのことに安堵を覚えたのだから、人間の感情は複雑なものだ。
「絶対、絶対に幸せにするからな、ヴァイオレット嬢」
──だが、満面に笑みを浮かべ、幸せにすると誓いながら手を握ってくれたシュヴァリエに、複雑な感情はパンっと弾けた。
次いで、心に花が咲いたような嬉しさに包まれるのだから、ヴァイオレットの乙女心は案外単純なのかもしれない。
(そう、よね。こんなに喜んでくださっているんだもの、理由はどうあれ、彼の妻として頑張りたい)
シュヴァリエとの結婚や、これからの未来に不安がないわけではなかったけれど、きっと彼とならば互いに尊重しあえるような関係を築けるだろう。
「はい……! これからよろしくお願い致します!」
そう感じたヴァイオレットは、シュヴァリエの節ばった大きな手を、ぎゅっと握り返した。
◇◇◇
舞踏会が終わってから、しばらくして。
三日後にヴァイオレットの実家に挨拶に行くという約束を取りつけてから彼女と別れたシュヴァリエは、ソファでホッと息をつく。
気を抜けばついつい緩んでしまいそうになる表情を必死に引き締めれば、従者──ロン・ゲルハルトに話しかけられた。
「シュヴァリエ様、まだ頬が緩んでおりますよ」
「……仕方がないだろう。ずっと好きだったヴァイオレット嬢が求婚を受け入れてくれたんだ。婚約破棄されて傷ついた彼女には悪いが……これを喜ばずにいられるか」
シュヴァリエは破顔した表情を隠すように俯く。
そんなシュヴァリエに、ロンはフッと微笑んだ。
「まあ、そうですね。それにしても、案外すんなりと求婚を受け入れてくださって良かったですね。ヴァイオレット様ならば、婚約解消された私では……と断るのではないかと思いましたが」
「ああ。そう言われそうな空気を感じたから、先に手を打った」
「え? 何をしたのですか?」
目を見開いているロンに対して、シュヴァリエはしれっと言い放った。
「皇帝に即位したものは、初めて口付けを交わした者しか妻に出来ないと。断られたら俺は一生独身だと言った」
「は!? その決まりって確か、大昔に無くなりましたよね!? シュヴァリエ様知ってますよね!? 何でそんなことをわざわざ言うんですか! 普通にずっと好きだったから貴女以外じゃ嫌なんだって伝えれば良いじゃないですか!」
「そう伝えようかとも思ったんだがな──」
既にダッサムの婚約者だったヴァイオレットに外交で会ったのは、もうかれこれ五年前になるだろうか。
影では必死に努力し、薬師としても優秀だと言うのに偉ぶらず、次期王太子妃としての使命を必死に全うしようとするヴァイオレット。シュヴァリエは直ぐに彼女から目が離せなくなった。
好きだと自覚するのには、それ程時間はかからなかったと記憶している。
「ヴァイオレット嬢は、何も悪くないのに婚約破棄をされて、この国の王太子妃としての未来を奪われた。今まで必死に努力し続けてきたのにだ。きっと傷付いているだろう。それに、もしかしたら、あんなクソ男にも、多少の情はあったかもしれない。それならなおさら深く傷ついているかもしれないだろう? そんな状態の彼女に俺が愛を囁いたって、重みになるだけだと思ったんだ」
「………………シュヴァリエ様……」
「だが、俺はやっと誰のものでも無くなったヴァイオレット嬢を手放すことなんてできなかった」
他国の王太子の婚約者を好きになったって、その恋は叶うはずはない。
だから、何度も諦めようと思った。何度も、この思いは捨てようと思った。
けれど、捨てるどころか、外交の際や、パーティーなどでヴァイオレットと会うたびに、好きだという気持ちは募っていった。
そんなヴァイオレットがようやく、自身の妻になってくれるかもしれない機会が訪れたのだ。
シュヴァリエは、どんな手を使ってもヴァイオレットを自身の妻にしたいと願った。
「だから、ヴァイオレット嬢には、貴女しか妻にできないと伝えた。そうすればヴァイオレット嬢の性格からして絶対求婚を受けてくれるだろうし、この結婚は政略的なものだと思うことで、俺の愛が重みになることはないだろう」
「それなら、今後は伝えないおつもりなのですか? シュヴァリエ様が、ヴァイオレット様のことを深く愛していることを」
「ヴァイオレット嬢の傷が癒えたら直ぐに伝えるさ。だが、それまでは、彼女に好きになってもらうよう、できる限りのことはする」
そう言ったシュヴァリエの瞳は、ヴァイオレットを騙している罪悪感からか、少しだけ切なさが孕む。
けれど、その蒼い瞳の奥には切なさを簡単に凌駕するほどの熱情があり、そのことに気付いているロンは、ハァとため息を吐いて、ぽつりと呟いた。
「私としては、さっさと本当の思いを伝えたほうがヴァイオレット様にとっても、シュヴァリエ様にとって良いと思いますがね」
「ん? 何か言ったか?」
「いえいえ、何もございませんよ」
「……? そうか」
ロンの言葉に納得したシュヴァリエは直後、自身の唇を指を這わせた。
「ヴァイオレット嬢……俺は早く、貴女に愛していると伝えたい」
医療行為の一貫だとしても、しっかり触れたヴァイオレットの唇の温度や柔らかさを思い出し、シュヴァリエは愛おしそうにそう呟いた。
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