第4話 責任を取ると迫られました
ややひんやりとした唇はシュヴァリエの状態の悪さを表しているようだ。
見た目よりも唇が柔らかい……なんて邪な感想が頭の片隅に出てきそうになるけれど、これは人命救助のためで不埒な行為ではないのだからと、ヴァイオレットはシュヴァリエに薬を口移しで飲ませることに意識を注いだ。
(あっ、少しずつ飲み込んでいるわね)
ごくんと小さな音を立て、喉を上下させるシュヴァリエにヴァイオレットは安堵する。
周りの貴族から「破廉恥な!」やら「キャー!」やら「尻軽女でもあったのか貴様!」なんて煩い声が聞こえてくるが、今は知ったことではなかった。
おそらくダッサムが言ったのだろう、「尻軽女でも──」という台詞には若干苛立ちはしたけれど。
「……んっ、これで全部飲んだわね……」
自身の口内にあった薬は全て無くなり、シュヴァリエは嚥下を終えた様子だ。
魔力酔い止め薬は即効性があるので、直ぐに体調は良くなるはずだと、ヴァイオレットはシュヴァリエを注意深く見ていると。
「……っ、ヴァイオレット、じょう?」
薄っすらと目を開けて、先程とはまるで違う穏やかな表情を見せたシュヴァリエに、ヴァイオレットはグイと顔を近づけた。
「シュヴァリエ皇帝陛下! お加減はいかがですか!? 息苦しさや胸の痛み、倦怠感などはありませんか!?」
「……っ、ああ。どこにも異常は、ない」
「それは良かったです……! 皇帝陛下を危険な目に遭わせてしまったこと、何とお詫びすれば良いか……大変申し訳こざいませんでした……! 本当に、ご無事で良かっ──って、あら? 少しお顔が赤いようですが……まさか、私が知らない薬の副反応があ──んむっ」
ヴァイオレットの言葉は、そこでぷつりと途切れた。
シュヴァリエの大きな手によって、口元を覆われたからだった。
「……薬がどうこうではないし、本当に体調には問題ないから大丈夫だ」
「……ふぁい」
未だに口を塞がれているせいで「はい」さえまともに言えなかったけれど、とりあえず大丈夫そうなら良かった。
……そう、安堵したものの、シュヴァリエの手に彼のひんやりさが移った口を塞がれていることを自覚したヴァイオレットは、自身の頬がぶわりと熱が集まるのが分かった。
(そうだ私、人命救助のためとはいえ、さっきシュヴァリエ皇帝陛下と、キッ……キスを……!!)
口移しをしているときは比較的冷静だったというのに、シュヴァリエの無事が確認できた途端、ヴァイオレットの内心は先程のキス(口移し)で頭が一杯になった。
そんなヴァイオレットから手を離したシュヴァリエは、上半身を起こすと、駆け寄って来た従者に「心配をかけてすまなかった」と謝罪している。
周りの貴族たちもシュヴァリエの無事を確認したためか、拍手して歓喜しており、流石にこの空気には乗らなければまずいと思ったのか、ダッサムもマナカと共に手を叩いていた。調子が良いという言葉に尽きるわけだが、今のヴァイオレットにはそんなことを思う余裕もなく。
「──ヴァイオレット嬢」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
突然シュヴァリエに呼ばれ、ヴァイオレットは大袈裟なくらいに肩を揺らす。
先に立ち上がったシュヴァリエが「ほら」と手を差し出してくれたので、その手を掴んで立ち上がったものの、羞恥から彼の顔を直視することは中々に難しかった。
(友好国の皇帝陛下と顔を合わせないだなんて失礼に値するかもしれないけれど……ううっ)
それでも、妃教育を施されてきたヴァイオレットは、自身の感情よりも他者との友好関係だったり、国益を優先しなければいけないと脳裏に刷り込まれている。
だから、必死に羞恥を胸の奥に押し込んで、やや潤んだ瞳でシュヴァリエと目を合わせると、彼がゆっくりと片膝を床についた。
そして、シュヴァリエはヴァイオレットを真剣な瞳で見つめた。
「ヴァイオレット嬢」
「は、はい……」
(あ、あら? そういえば皇帝陛下は、全く動揺していないわね……)
シュヴァリエが遊び人だという噂は耳にしたことがない。むしろ、二十五歳にしてまだ妻を娶らず、仕事が恋人との噂があるほどだ。
もしその噂が嘘で、彼が本当は遊び人だったとしても、こんなに大勢の前でキス(口移し)をしたとなれば、少しくらいは動揺が表情や声に現れるのではないか。
(あっ、分かったわ! もしかしたら、口移しで薬を飲ませたときだけ意識が朦朧としていて、キスをしたことに気付いていないのかもしれない……!)
そうだとしたら、シュヴァリエの態度にも説明がつく。
おそらく後で事の顛末の説明はすることになるだろうが、今が乗り切れるのならば構わなかった。
ヴァイオレットはそう考えた結果、心に落ち着きを取り戻した、というのに。
「倒れてからずっと貴方が励ましてくれていたことも、素早く薬を手配してくれたことも、それを……口移しで飲ませてくれたことも、全て覚えている」
「えっ……」
そう言って、シュヴァリエはヴァイオレットの手の甲に、そっと口付けてから、再び口を開いた。
「俺は貴方のお陰で死なずに済んだ。ありがとう、貴女は俺の女神だ」
「〜〜っ」
ほんのりと頬を赤く染めて、穏やかな笑みを浮かべて見上げてくるシュヴァリエに、ヴァイオレットは咄嗟に声を出すことはできなかった。
女神だと言われたことの恥ずかしさや、手の甲へのキスに先程の口移しをまた思い出したから、そして──。
「シュヴァリエ皇帝陛下は、魔力酔いの最中のこと、全てを覚えていらっしゃるのですか……っ!?」
「……ああ、はっきりと。貴女がご容赦をと言いながら、口移しで薬を飲ませてくれたときの唇の温度まで、正確に覚えている」
「〜〜っ!?」
「そこでだ。命を助けてもらったばかりで、こんなことを言うのは何なんだが──」
そこでだ、ではない。キスの話を繰り広げたいわけではないけれど、そんなにさらっと終われる話でもないはずだ。
(いや待って! 私はどうしたいの……!? もう訳が分からない……! とりあえず逃げ出したい……っ!)
ヴァイオレットは言うことを聞いてくれない自身の感情に戸惑いながらも、シュヴァリエに対して反射的に「何でしょう!?」と答える。
すると、シュヴァリエの喉仏は一瞬大きく縦に揺れ、直後、彼は穏やかさの中に真剣さを孕んだ瞳で、フィーリアを見つめた。
「ヴァイオレット・ダンズライト公爵令嬢。これまでの次期王太子妃としての振る舞いや多岐にわたる気遣い、手腕、聡明さはもちろんのこと、私が倒れたときの声がけの優しさや、薬師としての能力の高さ、口移しをしてでも俺を助けようとする勇敢さや、貴女には非がないのに、直ぐ様国の代表として謝罪をする責任感の強さ──いや、貴女の全てに俺は心惹かれた」
「えっ……あの……」
「先程貴女はそこにいるダッサム・ハイアール殿下と婚約を解消すると話していたな。……その婚約解消の手続きが済み次第……貴女さえ良ければ、俺の妻になってくれないだろうか」
「……つ、ま……?」
一生分に感じるほど褒められるだけに留まらず、まさか隣の大帝国の皇帝──シュヴァリエ・リーガルから求婚されるだなんて。
ヴァイオレットは信じられず、何度も何度も「つま?」「つ、ま?」「妻?」と同じ言葉を漏らしたのだった。
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