第3話 人命救助には口吻が必要なんです
ヴァイオレットが薬を自ら作ることに興味を持ち始めたのは、妃教育が始まったのとほぼ同時期だ。
これと言って大きな出来事があったわけではないけれど、体の弱い母が薬師に処方してもらった薬を飲むことで、少しだけ元気に過ごせる様子を毎日見ていたからだろうか。
薬師のお陰で母と共に散歩ができたり、弟と共に母に本を読んでもらえたり、両親が仲睦まじく笑っていたり、そんな他愛もない日常を与えてくれた薬師に、ヴァイオレットは感謝し、憧れた。
いつか自分が作った薬で、母をもっと楽にしてあげたい、元気にしてあげたい。
頼もしい父、穏やかな母に可愛い弟。愛してやまない家族の幸せのために、ヴァイオレットは妃教育で多忙な中でも、国家薬師になるための勉強や努力をし続けてきたのだ。
「シュヴァリエ皇帝陛下、これを飲めば魔力酔いは治まるはずです。少し苦いですが、飲めますでしょうか……?」
「……っ」
そして国家薬師になったヴァイオレットは、今はもう国一番の薬師と名高い。
貴族令嬢の彼女は一般的な国家薬師よりも薬を扱う時間は短いものの、立場的に他国の有力者と会うことが多いため、他国でしか取れない薬草や、薬の材料となる特殊な生き物などの情報に強く、それらを扱って次々に新たな薬を開発しているためだ。
現に、今手に持っている魔力酔い止め薬も、以前にパーティーでシュヴァリエと話した際に、新しい薬草が見つかったと教えてもらい、そして買い取り、それを使用して調合している。
まだこの国にも魔力持ちがいた頃、過去の聖女の魔法で魔力酔いが起こるという文献が残されていたため、それを参考にしてヴァイオレットが作り上げたのだ。
(早く、シュヴァリエ皇帝陛下をお助けしなければ)
ヴァイオレットは、薬の瓶を蓋をしゅぽんっと開けると、呑口をシュヴァリエの口へと近付け、傾けていった。
「シュヴァリエ皇帝陛下。お口を開けていただいてもよろし──」
「ぐっ……がッ……」
「皇帝陛下……?」
しかし、シュヴァリエの口の中に薬が入っていくことはなかった。
症状が悪化してきたらしいシュヴァリエが、より一層悶え苦しみだし、唇を噛みしめるようにして顔を歪めているからである。
「皇帝陛下……! お辛いのは分かりますが、このお薬だけどうにか飲むことはできませんか……!」
「あ゙あ゙っ……ゔッ……!」
相当辛いのか、顔を真っ青にしているシュヴァリエの口元から顎にかけて、ツゥ……と薬が伝っていく。
(……っ、この様子では、無理かもしれないわね)
意識はあるように見えるが、あまりの苦しさにこちらの声があまり届いていないように思う。
おそらくこの状態のシュヴァリエの口に薬を注いでも、吐き出してしまうのがオチだろう。
「どうしよう……どうしたら……っ、このお方を助けられる……?」
悩むヴァイオレットに、手を貸すものは彼女の従者と、シュヴァリエの従者くらいだ。
彼らはヴァイオレットに「何か出来ることはあるか」と尋ね、二人の傍らに寄り添っている。
反対に、ダッサムとマナカを含む他の貴族たちは皆、遠目からヴァイオレットたちの様子を窺うだけだ。
というのも、シュヴァリエは、大国、リーガル帝国の皇帝だ。
その命を救ったとなれば功績は大きいだろう。
しかし、その反面、もしもシュヴァリエを助けることに手を貸して、彼を助けられなかったら。
そのことをリーガル帝国に問題にされることがあれば、彼を助けるために手を貸した人間が罪を背負う可能性があると考えたに違いない。
何より、シュヴァリエを助けようとしているのは、
ダンズライト公爵家を敵視する一部の貴族たちでさえ、ヴァイオレットの有能さは知っているので、彼女に任せておけば大丈夫だろうと、傍観することを決めたようだ。
ダッサムに関しては、よほど先程ヴァイオレットに邪魔だと言われたことを根に持っているのか、未だに奥歯をギギギと噛み締めている。
「……っ、薬を飲ませなければ助けられない……。けれど、今の状態では皇帝陛下本人の力だけで飲むことは難しい……今、私がこのお方に出来ることは……」
協力してくれる従者たちはいれど、決定権は自分にある。
今、シュヴァリエの命を握っているのは間違いなく自身であることを自覚しているヴァイオレットの額には、粒上の汗が滲んだ。
「……! そうだわ……! これなら……!」
そのとき、必死に頭を回転させたヴァイオレットにはとある考えが浮かぶ。
しかし、「何か良い考えがあるのですか?」と食い入るような視線で見つめてくるシュヴァリエの従者に、ヴァイオレットは問いかけた。
「貴方、結婚はしているの?」
「え? はい」
その返答を聞いてからは、自身の従者を見て、「貴方も……結婚していたわね……」と呟くヴァイオレット。
ぽかんとしている従者たちから、再びシュヴァリエへと視線を移す。
「……シュヴァリエ皇帝陛下には悪いけれど、奥さんを傷付けるのはいけないものね……」
「「奥さん??」」
声が被る従者たち。ヴァイオレットはそんな彼らに一瞥をくれてから、覚悟を決めたかのように力強い瞳でシュヴァリエを見つめる。
──そして。
「シュヴァリエ皇帝陛下……! 後で何なりと裁きは受けますから、ご容赦を……!」
やや羞恥を孕む声色でそう言ったヴァイオレットは、自身が手に持っている魔力酔い止め薬を勢いよく口に含むと、そのままシュヴァリエの唇に、自身の唇を重ね合わせたのだった。
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