第2話 魔力酔いは薬師にお任せください
◇◇◇
ヴァイオレットは二十年前、ダンズライト公爵家の長女として生を受けた。
そんなヴァイオレットは幼い頃から学ぶことが大好きであり、家庭教師もマナーの講師も皆、彼女の優秀さには舌を巻いたものだ。
『ヴァイオレット、お前に縁談が来ている。お相手は第一王子のダッサム・ハイアール殿下だ』
公爵令嬢であり、そんな優秀なヴァイオレットに王族からの縁談が舞い込むのは、何らおかしな話ではなかった。
しかし、その縁談を受けたのはヴァイオレットの不幸への始まりだったのだ。
優秀なだけでなく、責任感が人一倍強かったヴァイオレットは、ダッサムと婚約者になってからというもの、頻繁に王城へ出向き、妃教育を受けるようになった。
一般的な貴族令嬢とは比べ物にならないほどの知識や教養を要するため、妃教育は大変だったが、ヴァイオレットの頭の回転の速さや元々の知識量、弛まぬ努力から、それほど躓くことなく学びは進んだ、のだが。
『ダッサム殿下、一緒にお勉強をしませんか? 良ければ私がお教えいたします』
問題は婚約者──自身の二つ年下のダッサムが、あまりにも勉強が出来ず、それをまずいと思っていないことだった。
それでも、その原因がマイペースな性格であるとか、勉強は得意でなくても武術や剣術にかなり優れていて、そちらに力を割いている、ということならば良かったのだけれど。
『おい女……公爵令嬢の貴様ごときが私に勉強を教えるだと!? 私のことを誰だと思っている! 次期国王となる高貴な人間なんだぞ!? 謝罪しろ!!』
『……は、い……?』
能力は高くないのに、プライドと地位だけは立派なダッサム。
自身が何者よりも尊いと信じ、他者への労りを持たない彼は、人の上に立つべき人間ではない。
ヴァイオレットは出会って数分でダッサムにそんな印象を持ったが、それでも彼を支えるのは自分の使命なのだと思うようにした。
現国王と妃からは、ダッサムのことを正しい道へと導いてやって欲しいと無茶振りをされたが、責任感の強いヴァイオレットはそれも受け入れた。
ダッサムには根気よく付き合っていくしかない、足りない部分は自分が補えるように頑張れば良いのだ、とも。
たとえ一生愛されなくとも、彼のことを愛せなくとも、パートナーとして民のため、国のために頑張りたい。
ダッサムとマナカが愛し合おうと、それを密かに育むのならば、自分だけが我慢して、これまで通り頑張れば良いのだと思っていた、というのに。
◇◇◇
「……皆様落ち着いてください! シュヴァリエ皇帝陛下の従者の方は近くにいらっしゃいますか!?」
マナカが聖女の力を発動した瞬間、突然倒れたシュヴァリエ。そんな彼に駆け寄ったヴァイオレットは、慌てた様子の貴族たちを落ち着かせる。
そして、シュヴァリエの状態を素早く観察した。
(呼吸が浅くて苦しそう……じっとりと汗をかいていて、胸を押さえている。考えられるのは持病が悪化したか、突然の発作……? あっ、もしかして……)
直後、「私です!」と言って駆け寄ってきた彼の従者らしき男に、ハッとしたヴァイオレットは、彼に問いかけた。
「シュヴァリエ皇帝陛下は魔力持ちですか?」
「は、はい! その通りです!」
「やっぱり……それならこの症状は、マナカ様の魔法の影響を受けた魔力酔いに間違いないわね」
この世界では、かれこれ数百年前に魔法が使えるものは居なくなった。
そのため、マナカのような魔法が使える異世界人が貴重とされる。しかしときおり、魔法は使えないが、魔力を有した者が生まれることがある。所謂魔力持ちだ。
ハイアール国には、現在魔力持ちは居ないが、隣国のリーガル帝国は過去に魔法大国だったからか、人口の一パーセント程度が魔力持ちであることを、ヴァイオレットは知っている。
(魔力持ちの者は、他者の魔力に干渉──つまり他者に魔法をかけられると、自身の魔力が乱れて魔力酔いを起こす……異世界から転生してきた聖女しか魔法は使えないし、我が国には魔力もちはいないから、実際の魔力酔いを見るのは初めてだわ)
呼吸困難や胸の苦しみから始まり、最終的には死に至る、それが魔力酔いだ。
勤勉なヴァイオレットは魔力酔いについても詳しく、突然倒れた彼の症状と、タイミングからして、おそらくシュヴァリエは魔力酔いに間違いないのだろうと推察した。
(早急に処置しなければ、皇帝陛下のお命が危ない……!)
「おい! 皇帝陛下はどうなされたのだ! 答えんかヴァイオレット! まさかお前が毒でも盛ったのか!?」
だというのに、悶え苦しむシュヴァリエを労るわけでもなく、仁王立ちのままで戯言を抜かすダッサム。
王族教育をまともに受けていれば、魔力持ちや魔力酔いのことは当然知っているはずなのに、この状況が理解できないダッサムに、ヴァイオレットは怒りを覚えた。
「……っ、今は殿下の相手をしている暇はありませんわ! この状況で皇帝陛下が魔力酔いであることも分からないようなら引っ込んでいてくださいませ! 邪魔です!」
「なっ!? 王子の私に邪魔だと!? 不敬だぞ貴様!」
不敬も何も、人の命が懸かっているときに馬鹿なことをいうダッサムが悪いのだ。
ヴァイオレットは内心そう開き直ってダッサムを無視すると、呻き声を上げるシュヴァリエに顔を近付けた。
「意識はありますか、皇帝陛下……!」
「うっ……あ、ぐっ……オフィー……リア、じょ、う」
碧の瞳を薄っすらと覗かせ、額にレッドブラウンの前髪を張り付かせているシュヴァリエは、普段の端正な顔立ちの中に、弱々しさとほんの少しの色気を孕んでいる。
何度かこういったパーティーで顔を合わせたことがあるヴァイオレットの名前をきちんと言える程なのだ、どうやら意識はきちんとあるらしい。
ヴァイオレットは少しだけ安堵すると、言葉を続けた。
「陛下は今、我が国の聖女、マナカの魔法により魔力酔いを起こされております! このままではお命が危ないため、私が処置を行いますこと、お許しください……!」
「……っ、あ、あぁ……」
シュヴァリエの意識がなければ、彼の従者に一言入れるつもりだったが、本人の意識があるなら彼に許可を取るのが一番だ。
ヴァイオレットは、失礼いたしますと言ってシュヴァリエの頭を自身の膝の上に乗せて彼が呼吸しやすいよう体勢を整えると、急いで自身の従者に声を掛けた。
「今すぐ公爵家の馬車内にある薬箱を持ってきなさい! 急いで……!」
「はいっ!!」
会場がざわつき、背後からはダッサムの罵倒する声、マナカの動揺した声が聞こえる。
この会場にいる殆どのものがシュヴァリエの体に何が起こっているのか分かってはいないだろうから、それは当然だろう。
けれど、ヴァイオレットは違う。
常に穏やかな笑みを向けながら、必ず助けますからと、シュヴァリエに励ましの言葉をかけ続けていた。
「ヴァイオレット様! 薬箱を持って参りました!」
「ありがとう……! 助かったわ!」
そのとき、ヴァイオレットは従者から薬箱を受け取ると、それを開いて目的の薬を取り出す。
「シュヴァリエ皇帝陛下、今から私が開発した、魔力酔い止めの薬を飲んでいただきます」
芯の通った声で言葉を紡いだのは、ヴァイオレット・ダンズライト。
彼女がダッサムの婚約者に選ばれたのは、公爵家の娘で勉学に長けていたからだけではない。
「ああ、ご安心ください。国家薬師の資格を持っていますので、調合技術には長けていると自負しています。魔力酔いについての文献も読み込みましたから、効果は大丈夫かと……」
ハイアール王国では、他国の追随を許さないほどに薬学が発展している。
そんなハイアール王国で一番取るのが難しいとされている──薬の調合、処方まで自由に行うことが出来る、国家薬師。
妃教育で多忙ながら、最年少で最難関の国家薬師の資格を取得したヴァイオレットのことを、多くの者はこう言う。
「──我が国が誇る天才」
透明な液体が入った小瓶を手に持ったヴァイオレットを見ながら、従者はそうポツリと呟いた。
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