埋めることはできない

三鹿ショート

埋めることはできない

 乗合自動車に乗ってその陸橋を通過する際、其処で佇んでいる彼女を常に目にしていた。

 雨の日は傘を使い、たとえ嵐に見舞われていたとしても、彼女はその陸橋に姿を現していた。

 仕事から帰る際に目にしているために、その時間帯にのみ存在しているのかと思っていたが、陽が沈むよりも前に出先から直接自宅に戻る途中に彼女を目にしたことから、おそらく朝から晩まで佇んでいるようだ。

 何故、彼女はそれほどまでにこの陸橋に固執しているのだろうか。

 そのような疑問を抱いていたが、くだんの陸橋に向かうためには途中で下車しなければならなかったため、一刻も早く帰宅をしたい私が彼女に直接問うことはなかった。

 だが、その機会は私が望んでいない形で得ることとなった。

 私は、会社を首になったのである。

 上司に逆らうことなく、同時に残業や休日の出勤もしていた私が、何故会社を首にならなくてはならなかったのだろうか。

 それは、至極単純な話で、私が無能だったからだ。

 人当たりは良いが、仕事が誰よりも遅い人間は、会社にとって荷物以外の何物でもなかったのだろう。

 そのような事実を突きつけられれば、当然ながら、他の会社においても必要とされるわけがないと考えてしまう。

 ゆえに、私には暇な時間が出来た。

 だからこそ、彼女に接触することが可能と化したのである。


***


 私が声をかけると、彼女は私に視線を向けるものの、何も語ることはなかった。

 見知らぬ人間に対して警戒する様子を見せることはないが、関わろうとする気は無いようだった。

 しかし、暇な私が即座に諦めることはなかった。

 それから私は、毎日のように彼女に声をかけては、時折近くの飲食店で購入してきた食事を差し入れた。

 当初は受け取ることがなかったものの、二週間ほどが経過した頃、彼女は頭を下げると、私と並んで食事を口に運ぶようになった。

 それでも、彼女が何かを語ることはなかったために、私は沈黙を破るかのように、どうでも良いことを話し続けた。

 彼女は私の話を聞いているようだが、笑みを浮かべるなどといった反応を見せることはなかった。

 だが、確実に親しくなっているだろう。

 彼女が自分から何かを話してくれる日は何時訪れるのだろうかと考えながら、私は陸橋に足を運び続けた。


***


 彼女と接触を開始してから一年ほどが経過したある日、彼女は初めて自身の声を私に聞かせてくれた。

 想像していたよりも低いものだったが、彼女は己の名前を教えてくれたのである。

 ようやく心を許してくれたのだと感動にも似たものを覚えながら、私は何故この陸橋に佇んでいるのかを問うた。

 その瞬間、彼女の表情が固まった。

 相手の反応から、私は訊くべきことではなかったのだと察した。

 彼女はそれから陽が傾くまで無言を貫いていたが、親しくなったことが影響したのか、やがてその口をゆっくりと動かし始めた。


***


 いわく、彼女は恋人を待っているらしい。

 この陸橋は、彼女の恋人が愛の告白をしてくれた思い出の場所だった。

 それから二人は互いを愛し続けていたが、どのような時間にも終わりは訪れるものである。

 彼女の恋人は、仕事の関係でこの土地を離れることになった。

 どれほどの間離れることになるのかが不明だったために、彼女は涙を流した。

 そのような彼女に対して、彼女の恋人は、相手を安心させるような笑みを浮かべながら、

「何時の日か、必ずきみを迎えに来る。そのときは、我々の思い出の場所であるあの陸橋で会おうではないか」

 彼女は恋人の言葉に、何度も頷いた。

 それから、彼女は毎日のようにこの陸橋に立つようになったということだった。


***


 聞けば聞くほどに、美しい物語だった。

 しかし、彼女は何時からこの場所で恋人を待ち続けているのだろうか。

 それを問うたところ、彼女は答えてくれたが、私は耳を疑った。

 その約束は、十年以上も前のことだったからだ。

 それほどの間、恋人がこの場所にやってきたことが無いという事実を知り、私は彼女に同情してしまう。

 おそらく、彼女の恋人は、仕事先で彼女よりも魅力的な女性と出会い、その相手に乗り換えたに違いない。

 そのような悲観的な思考を抱いてしまうほどに、時間は経過してしまっているのである。

 だが、彼女はそのように考えていない。

 一途に恋人のことを想い続け、見慣れた姿が現われることを待っているのだ。

 彼女がどれほどの寂しさを抱いているのかなど、私には想像することもできない。

 同時に、その寂しさを私が埋めることもまた、不可能である。

 彼女に心を奪われている私が彼女を愛することは可能だが、彼女がその気持ちに応えることは無い。

 私が彼女の新たな恋人と化し、その孤独感を癒やすことは出来ないのだ。

 わずかな希望を見出すこともできず、打ちのめされた私は、事情を説明してくれた彼女に感謝の言葉を吐くだけで精一杯だった。

 それ以来、私は彼女に会うことを止めた。

 その悲しさを忘れるために、私は新たな仕事先を探し、やがて無事に働くことが出来るようになった。

 雑談として、上司に彼女のことを話した際に、相手が複雑な表情を浮かべていたが、それは一体何故なのだろうか。

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埋めることはできない 三鹿ショート @mijikashort

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