危うく聖人君子


「いつもありがとねぇ。君みたいな若い男の子がそばについて介護してくれると、施設のご老人も喜んでくれるのよ」

「なら良かったです。僕でも役に立てる現場があるならどこへでもいきますよ、動ける人間が足を運ぶべきですからね」


 納品された荷物を運ぶ。

 台車を使っているとは言え、やはり若くて力がある男子がいると効率も変わってくる。施設で働く大人は女性ばかりだ。男性もいるが、あと数年で介護を『される』側に回されるような年齢であり……、重いものを持ち上げて腰がびくともしない人材は貴重である。


「できた子ね……まるで聖人君子だわ。色々な施設を転々としているって聞いたけど、いいの? 学生さんなら友達や彼女と遊びたいし、バイトもして、お金を稼ぎたいんじゃないの? 少ないけど、お小遣いを出しているとは言え、お手伝いさんとして君に頼んでいるから、やっぱりお小遣いと言うだけあって額は少ないわ。社員よりも働いているのに給料が少ないというのは、君のモチベーションに深く関わってくると思うけど……急に辞めたりしないでね? 君を頼りにしているのは、私以外にもたくさんいるんだから」


「大丈夫です、求めるものはお金じゃないですから」


「あら、そうなんだ…………じゃあなんのために? こういう言い方は悪いけど、老人の介護なんて面白くもなんともないでしょう? 熟女好き、だとしても、過ぎるよね? 延命しているだけで残り猶予はもう少ない人ばかりよ。若い君が口説く相手ではないと思うわ」


「お金じゃないですけど、だからって女性が目当てでもないですよ。なんだか古い価値観ですね……、当然、社員さん目当てでもないですから。純粋に、介護について、勉強をしているだけです」


「そう、それは偉いわね。将来は介護士さん? 高齢化社会だから、一気に介護に必要な人材が求められるわ――既に介護士の人手不足が問題になってはいるけどね……。君が大人になる頃には、随分と介護が必要な老人の数も減っているかもしれないわねえ――身に付けた技術も、いざ使うタイミングになってみれば、あまり重宝されなかった、なんてこともあり得るかもしれない。それでも、いてくれるだけでもありがたいところばかりだとは思うけど」


「将来のため、ではありますけど……介護士になるわけではないですね……いえ、職種の選択肢として、入れておいてもいいのですけど……。実際に、その仕事に就くかどうかは、その時になってみないとなんとも言えないです。今回、体験してみて、嫌悪感があった仕事でもないですし、どんな感じなのかも分かりました。今は施設を転々としていますけど、将来は色々な職種を転々として、その中の一つとして、介護士というのもありですね」


「介護士になるつもりじゃないんだねえ……え、じゃあなんのためのお手伝い?」


 ――運び終えた荷物を別室に置いて、二人は近くの自販機へ向かった。

 小休憩だ。


 忙しい現場だが、まったく休めないわけではない。休まず働いて、介護する側が倒れたら最悪だ……、介護しなければいけない人材が増えれば、負担がまだ動ける介護士に乗る――多忙な上にさらに仕事が増えれば、また倒れる人が出て……悪循環だ。


 施設の全員が、介護されなければならない状況になるかもしれない……そうなれば崩壊だ。いっそ崩壊してみれば、危機に直面した寝たきりの老人が、奇跡的に自分でなんでもできてしまうかもしれないが、それに期待をするにしては、一か八かが過ぎる。


 悪循環になるくらいなら休ませた方がいい――多忙でも多少の仕事の遅れは目を瞑ってもらっているのだから……小休憩くらいはちょくちょく挟めるのだ。


「なんのため、ですか……将来なるつもりがなくとも、体験してみたい仕事だっただけですよ……、嫌になったから将来の展望から外したわけではないですからね? 将来のためと言ったのは、介護士としてではなく、親のためです」


「親の……あぁ、なるほどねえ……親御さんを介護する時のため、経験をここでしておきたいってことなのね……――学んでおきたい、か……腑に落ちたわ」


「初めての介護が親、もしくは祖母か祖父になるのは怖いじゃないですか。全てが初めてで、0から始める介護生活……ですよ? どこでどういう失敗をするか分かりません。取返しのつかない大事故を起こしてしまうかも――? でも、初めてでなければ、スムーズに、安全に身内を介護することができます。かなり悪い言い方になってしまいますけど、転々としている施設で、他人であるご老人を介護して経験を積んでいるのは、致命的な大失敗――大事故を起こしたとしても、僕は痛手には感じないからです。介護されている本人やご家族は嫌かもしれませんが……こっちも人間ですからね、失敗はしますよ。いくら注意を向けていても、してしまう時はしてしまうものです――歴戦の経験者だけが介護すればいいのでしょうけど、それでは下が育ちませんね。……そんな現場は近い内に崩壊しますよ。介護士を介護する時代が、もうすぐそこまで迫っていますから」


 介護士を介護する時代――笑えないが、現実だ。

 子が親になる時代は、あっという間にやってくる。

 親が老いて死ぬことも――、遠い未来のことではないのだから。


「ロケハンです、リハーサルです……失敗をしないことが大前提で、それを望みますけど、もしも失敗してしまえば、それを糧にして、身内の介護の時に役立ちます。失敗をすれば、回避の仕方が分かりますからね……多くの実験たi、……ご老人で介護の経験を積んで、身内には万全の介護をする……将来を見据えた、だけど介護士になるつもりがない僕の今の活動の動機はこんなものですね――」


 自販機で買った缶コーヒーに口をつけてから……聞いていた彼女が感想を漏らした。


「聞かれたら困ることを堂々と言うのね……人通りの少ない場所でよかったわ……」


「聞かれても困らないですけどね。言ったじゃないですか、失敗する気はありません、と。失敗するつもりで介護しているわけではありませんし……。事故も起こしません。教わったことを駆使して、介護をします……ですけど素人ですから失敗もします。それは僕でなくとも、経験が浅い社員さんでも同じことじゃないですか。ベテランさんでも絶対はないですし。――プロだってミスをします……河童も川下りですよ」


「レジャーになってるじゃない」


「ラフティングのつもりはないですけどね……、ともかくです、意図的なミスはしませんけど、想定外のミスはするものです。その経験を身内で活かしたいだけなんですよ……なにも目の前にいるご老人を早く始末したいなんて考えていません」


「言い方が怖いのよねえ……」


「この場で、できるだけ技術を盗んで帰りますよ……、僕の目的はそれだけです。なので当然、聖人君子なんかじゃありませんよ。ちゃんと見返りを求め、求める分を働いているだけで、少ない給料でも、相手が熟女を過ぎてても、モチベーションが揺れないのはそういう理由があるからです……納得してくれました? これ、社員さんの中で共有をしておいてくださいね」


「……それは、どういう理由で……?」


「同じ仕事ばかりでは経験が積めないので……色々な仕事を振ってくれるように、です。失敗しても痛手にならないような仕事の方がいいかもしれないですね……僕は気にしませんが、施設側は気にするんじゃないですか? 介護される人も当然ながら。覚えたてでもできるようなことがいいですね――ミスが重大な事故にならないような仕事です」


「君は…………、でも、要領は良いし、優秀ではあるのよね……口ではこうは言っていても、実際には失敗しないから、任せてもいいのかしら……」


「だから言ってるじゃないですか……失敗するつもりはありません。仮に失敗した時、それを後悔して落ち込むのではなく、前向きに、前例として、次の失敗を回避するための情報として使おうというだけの話です――反省はしても後ろ向きにはならないように。僕は善人にはなりたくないですが、だからと言って悪人になりたいわけでもないんですよ――」


「……そっか。なら、任せたい仕事があるのだけど……」

「はいっ、どんとこいです!」


「いい返事。まあ、色々と聞いたけど、君の働きぶりには助かっているから、これまで通りにお願いね……ただ、聞いてしまったら色々と不安になってきたけど……」

「がんばりますよ!」


「お願いね。まあ、私たちにとっても、施設のご老人は赤の他人なんだし、どうなってもいいと言えばいいんだけど……、親のためのリハーサルか。そう考えれば、多忙な毎日にうんざりしても、少しは見え方が変わってくるのかもしれないわねえ」




 …了

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