すぐに帰れる遭難中。【後編】


 慌てた様子で、別の男子生徒が駆けてきた。

 体力を温存する方針だったけれど、それを忘れて走るくらいには、焦っている様子だった。


 二人の男子が、顔を見合わせ、しかし、慌てた様子だったのに用件を言わなかった。

 ちらり、と私を見たから……、なるほど、女子には聞かれたくない話らしい。

 いやらしい話、ではなさそうだけれど?


「……言いにくいことでしたら、私たちは外しますけれど……」

「いや、糸魚川も聞いてくれ……浅倉も――」

「う、うん」


「――それで? 問題でも起きたのか?」

「ああ…………死体だ……殺されたのかもしれねえ……っ」


「え」


「遂に、か……――誰がやられた」

阿久利あぐりだ。食糧をみんなから奪って……、だから恨みを買ったんだろうな。今、向こうで犯人捜しをしているところだ――四十万もきてくれ」


「分かった、すぐにいく――糸魚川、お前もくるか?」

「え……?」


 今、名前を呼ばれた?

 でも、ちょっと待って…………死体? 殺された……だれが?

 クラスメイトが?

 どうして、なんで――誰が、なんのために?


「……大丈夫か? 顔が青いぞ。……遭難してるんだ、いつどこで誰が死んでもおかしくはなかったんだ……、一人目だから衝撃が強いのは分かるが……慣れておけよ。これから先、脱出するまでにあと何人が死ぬか分からねえんだからな」


「…………」


「もしかしたら全滅もあり得る――それは肝に銘じておけよ」



 二人が去った後、私は、体の芯が冷え切っていくのを感じた。だけど冷静じゃない。冷静になんかなれなかった――なにかをしないと、心臓が止まりそうだった。

 今の私に、できることと言えば――


「……私、食糧を獲ってくる……」

「え? 糸魚川さん? ……でも、もう遅いし、危な、」


「いいからっ!! ……一人にさせて」


 浅倉さんからかけてもらった優しい言葉の一つも、思い出せなかった。



 夜の海。

 海面に手を差し込み、ゆっくりと左右に揺らす――それが合図だからだ。


「――出てきなさいッ、出てきて――出ろッ、神崎かんざきィッッ!!」


 ……しかし、何度、手を揺らしても、呼びかけても、答えてくれなかった。

 潜水艦が浮上してくる気配もない。

 ……海中に、いるかも怪しい。

 神崎は……私の執事は、どこにいったの……?


「……どうして、呼び出しに応じてくれないの……? ッ、私の執事でしょぉっっ!!」


 長時間――……だけど実際、どれだけその場にいたのかは分からない。音沙汰がないことを嫌というほど思い知らされて、それから、私はクラスメイトの元へ戻ることにした。夜の海で一人でいるのが堪えられなかったのだ――遭難中のみんなと一緒にいる方が、安心する。


 ……キャンプ場に戻れば、知った顔が一つ、増えている。



「――お待ちしていましたよ、お嬢様」

「は、……かん、崎……?」


「どうやら一人目の犠牲者が出てしまったようで……、死因はやはり、仲間割れによる殴殺ですね。極限状態による、過度なストレスが、人を殺させてしまったのでしょう。環境も、無人島という大人の目がない世界ですからね――それに、法律も隠れてしまっています。この状況であれば、出た手を止めることも難しいでしょう」


「なん、で、あんた、外に出て――」


「ご学友が死んでいるのですよ? ――このまま不干渉を貫けるわけないでしょう」


「ッッ」

「では皆様、充分な食糧を用意していますので――こちらへどうぞ。病原菌の検査もありますので……その前に、シャワーを浴びて体を清潔に、」


「待って」


 私の口から出た声。

 それは知らずの内に、言葉になっていた。


 クラスメイトの視線が私に突き刺さる。……当然だ、だって私の執事がこの場にいる……どうしてこの場にいるのか、という話になれば、私がこの遭難を仕組んだ犯人だってことが分かるから……。


 私に突き刺さっている視線は、非難だ。

 死者が出たのは、私がこんなことを計画したから――


 同情を誘うわけじゃない。じゃないけど、でも――止まらなかった。

 止められなかった。


 堪えても溢れ出る涙は、手で拭ってもすぐに顔を濡らしてしまう。


「……ごめん、なさい……私が、こんな島に連れてきたから……っ」


「……糸魚川さん」

 遠くから、浅倉さんの呟きが聞こえてくる。


「遭難、しているフリをして、頼れる私を、見せたくて……っ、でも、みんなが極限状態になっていることを知っていて、それを甘く見ていて……。頼られたり、すごいすごいって、言われることに気持ち良くなって、それで――友達を、死なせてしまった……」


『…………』


「ごめんなさい……ごめんなさいっっ!! 私が殺したようなものだから――だからッッ」


「お嬢様」

「うるさいッ――全部ッ、私のせいなのよぉ!!」


「お嬢様」

「………………なに、なんなのぉ……っ」



「見てください、死体が動いています」

「へ……?」


 涙で霞む視線の先。

 確かに、地面に転がっていた死体だった……、でも、動いている……。

 死人の、灰色の顔のまま、だ。


「よっ、糸魚川。オマエがそこまで泣くなんてな……ってことは、これ、ドッキリ成功ってことだよな?」

「はい。お疲れ様です、阿久利様。それに皆様も……、私の粗い作戦に乗っていただき、感謝しています」


「いいってことよ、執事さん。糸魚川だけ、遭難中なのに余裕があるから、疑問だったんだ……、よく考えれば糸魚川が用意した島で、提案したキャンプだ。なにかを仕掛けられるなら糸魚川しかいねえし、悪巧みの目的も理由も、一緒に過ごす内になんとなく分かったからな――あとはどう仕返しをしてやろうかと考えていたら……アンタがきた。渡りに船だったわけだ」


「私がネタバラシをする前から、大半は分かっていらしたのですね……さすがです」

「糸魚川ほど、分かりやすいお嬢様もいないぜ――さて、これで反省したのかね、お嬢様は」


 周囲からの非難の目は、気づけば興味津々の目に変わっていた。

 私の反応を、見逃さないと言わんばかりで……。


「……は、へ、え? ……神崎と、みんなは、協力関係……?」

「そうなの、ごめんね、糸魚川さん」

「……浅倉さんも……?」


「浅倉どころか、みんな知ってたぜ。知った上で、仕組まれた遭難に付き合ってたわけだ――どうだ、楽しかったか? 途中、あれだけ気持ち良く笑っていたなら楽しかったんだろうな。……死人が出たってのは少々やり過ぎたよ、ごめんな、お嬢様」


「……し、四十万ぁッッ、あんたねえ――」


「お嬢様? これを機に、反省なさってくださいね」

「はぁ!? なによ!!」


「ご学友に頼られたいからって、命の危険があるシチュエーションを利用するのは感心しませんね。事情を知っているお嬢様だけは『無事に帰れる』ことを知っているから安心でしょうけど、しかし、自然の中ですから……事故があったかもしれません。……さすがに我々でも、予測できない事故は起きます。ドッキリという形でしたが、過度なストレスで仲間割れが起こる可能性は充分にありました。……そして、頼りになるお嬢様を脅して、食糧を独占しようとする輩がいてもおかしくはなかったんです――、抵抗している最中に、事故でお嬢様が怪我をすることもあります……。そういう危険性を、あなたはまったく考慮していませんでしたね?」


「…………、それは……はい」


 考えていた、と強がる空気ではなかった。

 歓談の空気から、今は完全に、お説教の空気になっている。

 誰も、茶々を入れたりせず、静観している……。


 誰も助けてくれない……。

 見て見ぬ振りじゃなくて、ちゃんと向き合ってくれているだけマシだけど。


「金輪際、こういったドッキリには関与致しませんので。もちろん、お嬢様が一人で行動することも許しません。節度を持って、安全安心なドッキリに留めてください……分かりましたか?」


「は、はい!」


 優しい笑みから見える、瞳の奥の本気に、背筋がぴんと伸びた。


 ……執事なのに、ちょっとだけ、苦手意識が生まれてしまった。



「では、皆様、あらためまして――安心安全なキャンプを再開いたしましょう」



 …了

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