カツアゲ・ディスカッション


「――おいオッサン、痛い目に遭いたくなければ金を置いてけよ」


 仕事帰りのことだった。

 残業が当たり前になり、遅い時間の帰宅が常となったサラリーマンの前に、数人の男が立ち塞がった。年齢は若い方だ……、ヤンチャな見た目をしているので大人っぽく見えるが、義務教育を終えたばかりの子供であることが分かる。

 サラリーマンの男は、日頃の疲労のせいで頬はこけ、死んだ目をしていたが、見て分かる危機に目に光が戻る。


「……おー、怖いねえ。ここ、普通に繁華街のど真ん中なんだけど、その出で立ちが当たり前かのように、肩にバットを担いでるなんてねえ……、手慣れた悪ガキさんかな?」


「うっせえよ。金なら持ってんだろ。それともジャンプさせて確認しねえといけねえか? 大人なアンタは、どうせ小銭なんて持っていねえだろうけど……、あるのは札束だろ」


「今時、現金を持ち歩いている人も少ないかもねえ……、だから確かに、ジャンプしても音は鳴らないだろうね。ただし、それは札束だからではなく、カードの可能性もあるとは考えなかったのかな?」


「――チッ、最近の大人はカード払いばっかりだ。ボコボコにしても小銭の一枚も持っていやがらねえ。あー、やな時代になったもんだ。カード決済、スマホ決済……、その内、自販機からコイン投入口がなくなるんじゃねえか?」


 面白い発想だな、とサラリーマンの男が感心する。

 さすがに投入口がなくなったりはしないだろうが……、だけど、スマホやカード決済が主流になっていくのは予想できる。だからと言って紙幣や硬貨がなくなる、ということはないわけで――、少数派でも、使っている人はいるのだ。


「……君たちはよくここでカツアゲをしているのかな? ……いや、咎めるつもりはないさ、説教するつもりだってない。こういう言い方は君たちの教育上、悪いとは思うけど、襲われて、差し出す大人が悪い。このやり方を――まあ、発明したのは君たちではないだろうけど、リスクがある上で決行しているなら、私から言うことはないね」


「……なんだよ、悪ガキだクソガキだ、なんて吠えたりしねえのか?」


「しないね。君たちだってバカじゃない。リスクとリターンの計算くらいはしているだろうし、もしもしていないのであれば、それだけ切羽詰まっている環境にいるのだと分かる。法整備されているから分かりづらいが、元々人間の世界だって弱肉強食なんだ……、狩られて怒るヤツは、野生の世界では生きていけないよ」


「……なら、オッサンも、ここで狩られても文句はねえってことだよな?」


 金属バットが動いた。

 牽制の意味で、青年がバットを地面に打ち付ける。


「まあね。もちろん、私だって自衛手段は持っているし、狩られた後のことも考えているさ……無事に自宅へ帰れたら、の話だけれどね。君たち、私を襲うつもりなら徹底した方がいいよ。ボコボコにする? それじゃあ甘い。――殺すか、監禁するか、復讐の手段を奪うくらいはしないと、大人の人脈と権力を甘くみちゃいけない。こうして君たちの顔は覚えているし、人の目も、カメラの目もある。地の果てまで追って、君たちを地獄に落とすことはできるわけだ……――いいかい? やるなら徹底的にやりなさい」


 自暴自棄になっているわけではない。

 世界は弱肉強食で、無条件で優しく接してくれる人は少ないのだ……、そう割り切っている。

 だから襲われることを前提に考え、襲われた場合、どう対処し、復讐するのかは、あらかじめ考えていた。……すぐにでも実行に移せる準備がある。


 せっかく準備したのに使う機会がない……、と嘆いたばかりだった。だからって、進んで被害を受けたいわけではないけれど、この機会を避けられないのであれば、復讐の手札を切ることを躊躇ったりはしない。


 その覚悟が伝わったのだろう、バットを握る手を緩めた青年が、眉をひそめた。


「…………アンタ、なにもんだよ……」


「おっと、怖気づいたかい? ……悪いことじゃない。自分よりも強者の存在に、攻撃を仕掛ける前に気づけたのであれば、君は長生きできるよ……、まあ、ここで手を引けるのであれば、の話だがね」

「…………」


 その挑発に乗ることに躊躇う青年は、一つ、大きな成長ができただろう。


「――カツアゲをするならすればいい。君たちが想像しているリスクが、後々に君たちに牙を剥くだろうけどね……」


「――チッ。……不気味なヤツだ。ここは引いてやるよ――」


 と、青年が、仲間たちに手で指示を出し、夜の町へ消えていく寸前だった――


「ああ、待ちたまえ」


「あん!? なんだよ!」


「カツアゲをするくらいなんだ、金が必要なんだろう? それとも腹が減っていたのか? もしも腹が減っているなら、奢ってあげるよ……現金を渡すのは犯罪臭がするからね、やめておこう……。奢るなら構わない――どうだい、くるかい?」


「……はあ? ……アンタに、なんの目的があって、」


「善意を蔑ろにする気かい? その警戒は正解ではあるけどね……時には罠を覚悟して飛び込んでみるのもいいと思うよ。その先の恩恵が、君たちを救うこともある――」


 サラリーマンの笑み。

 青年からすれば、素直に頷いていいものか、分からなくなる不気味な笑みだった。



 そして、青年は厚意に甘えることにした。

 罠とかリスクとか、そういうことを考えるよりも先に、腹が減っていたので選択肢などないようなものだった。腹を満たしてから考えればいい……そう思ってついてきてみれば……、安くてたくさん食べられる店ではなく、美味しくて高い焼肉店だった……。


 今後一生、縁がなさそうな場所である……。


「……いいのか、十人以上も引き連れて、焼肉なんて……こいつら、めちゃくちゃ食うぞ?」

「育ち盛りに加え、数日間も満足に食べていなかったのだろう? じゃんじゃん食え、カード払いなんだ、際限はない。好きなだけ食べたらいいさ」


「……限度はあるだろ……? でも、どうして、こんなことをする……」

「これは交換条件だからだ」

「ッ」


 反射的に立ち上がった青年がバットを探すが、脱いだ靴と一緒に置いてきてしまった……、この場に武器はない。


「おっと、身構えなくていい、危険な仕事を渡すつもりはない……君たちを犯罪者にするつもりはないんだからね……。ただ、聞きたいことがあっただけなんだ」


「……オレたちは、裏社会に通じているわけじゃねえぞ……!」


「そういう話でもない。どうせカツアゲされるなら、ノーリターンでなければいいと思っただけだ……、つまり、なにかを得ることができれば、君たちにお金を配ることくらい、私は遠慮なんかしないわけだ――私が知らないことを、君たちは知っているはずだろう?」


 高い焼肉を奢ってまで、知りたいことがある……?

 青年たちは、それに見合う情報を持っていないことに、体が震え出す。

 もしも、男が満足する答えを出せなかったら……?


「…………、そんなもの、あるか……?」


「ないわけがない。酒のつまみだ、聞かせてくれ。――君たちの面白い話。今時の若い子は、なににはまって、どんなことで大爆笑するんだい?」


 雑談だった、世間話だった。

 思わず笑ってしまうような、拍子抜けな要求だったが、これはこれで求められるハードルが高い気がしている……、奢られた上での「面白い話をして」は、攻撃と同じではないか――。


「さあ、誰から話す?」


 サラリーマンの男からすれば。

 滅多にない、同性の若い世代と会話できる、貴重な時間である。



 …了

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