人格インク

「……お前もこの街に住んでるのか?」


「たわけ。拠点ぐらい複数持ってて当然だろう? 我、色付きだぞ?」


「さいですか……」


 デカキノコは荷物:食品と記載するだけで大したチェックもなく検問を通り抜けた。ドローンが映し出す街並みに、コメント群が騒ぎ立つ。


 生きている電灯として道路を彩る無数のクラゲやら、生体外骨格を身に纏い黒い海へ向かっていく漁師。


 支配企業によって都市の彩りはまるで異なるから。他の都市に住む人間からすれば珍しい光景なのだろう。


「君の端末の連絡先を我は一方的にハックしておいたぞ。用があれば呼ぶかそちらへ向かう。それまでは自由にしてくれてかまわない」


「なんで当然のようにハックしてるし、そちらへ向かうと断言できるかがわからないんだが」


「結果が全てさ君ぃ。手段は教えられなくてね? 嗚呼、忘れかけていた。君も我のドローンを使うといい。サブチャンネルを使ってもいいから暇なら配信しろ。これはアシスタントとしての職務だな?」


 飛来する飛行物体。通知を鳴らす端末。画面を覗き込むとアズレアの開設したと思われる配信チャンネルにログインできていた。


「拒否権はないみたいだな……。そんな面白いことないぞ。俺にカメラを向けたって」


「誰かにとっての常識が万人に通じるものだと思うんじゃない。とにかく、物は試し。思い立ったが吉日。我は楽しみにぃ、してるからな?」


 キュンと、あざとく首を傾けホログラムのハトが飛び散る。グレンが咄嗟に全て避けると、アズレアは露骨なまでにジトリと睨みを効かせていた。


「むぅ、もっと初心い反応のほうが我は好みだぞ? それか、このハートを全て抱きしめるぐらいの寛容さを持ちたまえ」


 知ったこっちゃないことを言って、ギィと音を立てながらアズレアは踵を返した。青い背が市場へと向かい遠ざかっていく。そのうちすぐに見えなくなってしまった。


「グレンはどこ行くのぽ?」


“地獄やで”


“黒い海に沈めろ”


“タイヤに詰め込んで燃やせ”


 アズレアがいなくなった途端に燃え上がるコメント群。滲む怒気に凄むように、デカキノコが奇怪な悲鳴をあげていた。


「換金しにいく。人格インクを買う必要があるんだよ」


“人格インクってなに?”


“催眠グッズか?”


「説明がめんどい。直接見たほうが早いだろ? どこに住んでるか知らんが。このあたりだけは見栄えもいいぞ」


 街の中心へと歩き進んでいく。廃墟のビルが連なる区画を通り過ぎて大通りに出ると、沿岸部に出た。黒い海、今は潮が引いているのか。打ち上げられた巨大な軟体動物や船の残骸が露わになっている。


「ボクの母星みたいで郷愁を感じてしまうのぽ」


「……普段はあんな汚いものは隠れているんだ」


 グレンが視線を逸らすと撮影ドローンが海ではなく隣接する店を映し出していく。そのうち、エーテル電光の本社が見えた。


 青い光の中心にある巨大な摩天楼は灯台のように海を照らし、吐き気がするぐらい揺れる電灯クラゲ。周囲を浮遊する無数の蛍光する微生物が眩い。


 観光地でもあるせいか、関係者入り口まで騒がしい音が響いている。


『静止し、身分証明として使えるものを提示してください。』


 敷地に入ると何もない場所から声が響いた。やがて玉虫色の光が周囲に屈折していくとエーテル電光の正規雇用職員が姿を現す。


 群青のスーツ。目を覆う遮光グラス。頬面のような義体から響く機械音声。……向けられた銃口が紫電を迸らせていた。


 グレンは慣れた様子で社員が向ける銃口へ目を近づける。軽快な通知音が響くと、職員は一歩距離を置いた。


『認証しました。グレン・ディオウルフ。しかし撮影は許可していません。状況は理解していますが、次からはそちらで承認を取ってください』


「可能な限り善処はするが変なのに絡まれたんだ。多少の融通を利かせてほしい」


『可能な限り善処はしますが。こちらも職務ですので――――』


 不毛なやり取りを遮るように、デカキノコが興味津々な様子で銃口に目を近づけていく。警戒心のなさに、職員は顔を引き攣らせていた。


「ボクも同じのしてみたいのぽ」


『食品で分類登録がされています。生体認証の必要はございません。それで要件は?』


 デカキノコが視界外にフェードアウトさせられる。グレンは数瞬、流し目に見詰めていたがすぐに向き直った。


「ここに俺がくる理由なんて大してないだろ。換金と、人格インクだ」


 次元バッグを手渡すと職員の色が消えて見えなくなる。数十秒ほど待つと、姿は再び可視化し、職員は次元バッグを返却した。


「入金致しました。収入から人格インク代金を差し引いて計28万Lです」


 ――命が掛かっているというのにはした金だ。あの女なら配信だけでも容易く稼げるだろう。


“やっす。月給じゃん。可哀想”


“月給を一日二日で稼いでるんだから安くないだろ”


“割に合わなくておもろい。ざまあ”


 好き勝手に流れていく言葉の数々。職員は見向きもせず、職務に戻るために不可視状態へと戻っていった。僅かな青と紫の燐光だけがその場に残る。


「はぁ……。だから見せるものじゃないって言っただろ。人格インクもつまらないぞ。ええとこれはだな」


 受け取ったバッグに手を突っ込み、色のないインク瓶を取り出す。蓋を嚙み開けると、頭から全て浴びた。


 びちゃびちゃと数秒の水音。そして静寂。遠い喧噪だけが響いていく。


「……結局なにしたのぽ?」


「俺は缶人……造られた人間なんだが。身体と精神が別々の製造法なんだよ」


 グレンは撮影ドローンに視線を向けて言葉を続けた。


「俺自身の人格は外付けなんだよ。この体の素体は強力なんだが人格を付随させて製造できないらしくてな。あのインクは浴びたやつの人格を矯正、固定するものなんだが、それを使わないと俺が消滅する」


“リンクインク.INCの特異点技術?”


“他企業と提携したやつじゃなかった? 怪物を飼い慣らしたりドローンをAI操作以外でコントロールするための道具って聞いてたけどこういう用途もあるんだな”


“閃いた。これはがんばれ代金です。500L”


 初めて振り込まれるはした金。グレンは苦い笑顔を浮かべたが。数十秒ほど言葉に悩んでから、カメラに小さく会釈した。


「まぁ、……ありがとう。デカキノコ、飲み物ぐらいなら買えるぞ」


「ボク、出汁が飲みたいのぽ」


「……自販機にあったらな」


 多分だが、ないだろう。喜び、巨体を揺らすデカキノコを連れながら自室へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る