干渉

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 かつて摩天楼だった廃墟に囲まれたバラック群を進み続けていくとやがて、ド・マリニー時空管理会社の本社ビルが一人と一機の視界に入った。


 見上げると首が痛くなりそうなくらい高く聳え立つ灰色の塔。曲線を描きくすんだ空を貫いて、周囲を巨大な影で覆っている。廃墟とは違い今も煌々と電気が灯されているのがよく見えた。ビルに近づくにつれてバラックの数は減り、亀裂と錆だらけの舗装路が整っていく。


「レイル・ヴェイン様。お待ちしておりました」


 あどけない声が何もない場所から響く。刹那遅れて、宙に紫電が弾けると空間が裂けた。熱された空気のように歪んだ空間の境目から、平然とした様子で和服姿の童女が姿を見せる。カツン、カツンと奇怪な足音を鳴らしながらレイルに歩み寄って一礼。


 光のない瞳。黒く艶のある髪。下駄で身長を持っているがソラよりも小さく、幼い。しかし華奢な手は異界道具と思しき純白の刀。袖からはいくつもの銃身、銃口が垣間見えていた。


「……あれどうなってるの?」


「空間を弄って衣服にどんなものでも収納できるようにしている。科学の集大成だ」


 レイルの説明に和服姿の童女はにこやかに微笑む。仮面のような笑顔を向けられてソラは頬を引き攣らせた。スラム街にいた住民とは視線や纏う空気の種類が違う。生理的に受け付けがたい何かがあった。


「こちらは【ド・マリニー武装和装】でございます。お買い求めの際はぜひ、正面エントランスからお立ち寄りください。……それで、そちらのお嬢さんは? 関係者以外の立ち入りを禁じているものでして」


「彼女はドルスの一人娘だ。訳あって俺が同行させている。社内に立ち入れないなら報酬の金だけここで渡してほしい」


 レイルは一歩前に踏み出てソラを腕で隠した。僅かに脚部を曲げて臨戦態勢を取る。腰に吊るされていた【肉の剣】が空気を読むみたいにパッチリと目を開けた。


「庇うつもり? もともとあんたの所為でこうなったのに。罪悪感を紛らわすつもりでやってるだけならやめて。こんなことしてほしいなんて望んだ記憶はない」


「違う。逆だ。彼らは俺の依頼主で、そのことを考慮すると突然キミが殴りかかってもおかしくない。そうなったら俺は取り押さえなきゃならない。それは面倒だろう」


 ――沈黙。ソラは勢いよく地面を踏みつけてレイルを強く睥睨した。ぷるぷると腕を震わせ握り拳を作る。殴ってやりたかったが痛い目を見るのは自分だと思い出して、やり場のない憤りを地面にぶつけた。硬い舗装路はビクともしない。


 何度か地団駄を踏んで歯を軋ませる。結局これも自分が痛いだけで何もいい事はなかった。童女はへらへらと笑いながら一人と一機を眺めていたが、不意に何かを思い出すみたいに目を丸く見開く。


「……彼女は何歳ですか?」


「またそれ? 十六だけど。なんで二人とも歳なんて聞いてくるわけ?」


 童女は言葉を濁してレイルを見上げる。真っ黒な顔部装甲に二人の少女の顔が映る。レイルは何も言わないまま首を横に振った。


「……かしこまりました。ただいまプレジデント・ド・マリニー様の許可が下りました。転送いたします」


 瞬間、閃光が周囲を包み込んだ。耳鳴りが走り廃れた臭いが消え失せる。しかし数秒もすると光に染まった視界が白一色に統一された部屋を映し出す。


 最低限のテーブルに椅子。簡素な部屋だったが、ソラの目を惹いたのは鉄棚に置かれたいくつもの円筒だった。


 緑の謎めいた液体に使った人間の脳みそがいくつも飾られている。鮮度があるような淡いピンク色で、よく見るとドクン、ドクンと。心臓に繋がっているわけでもないのに脈動していた。


「ッおぇえええ……!」


 血の気が引いて嗚咽が込み上げる。スラムで干した人間の腕やら死体が転がっていたのにはさほど驚きもしなかったのにと、ソラは締め付ける胃を撫でる。生理的にこの部屋も、脳みその缶詰も受け入れられなかった。


 レイルと、和服姿の童女が驚きもせずに心配するように見つめているのも気に食わなくて平然を装うみたいに少女は歯を食いしばる。涙に潤んだ蒼い双眸を険しく細めたまま部屋の主を睥睨した。


「その様子だト依頼は無事終えてくれタみたいだネ」


 掠れた声。茸の傘のように膨らんだ肉っぽい頭から響いていた。その怪物は海老のような胴体から生える翼を揺らめくように羽ばたかせ浮遊しながら、蠢くいくつもの肢の一本をレイルに伸ばす。


「【隔絶空間キューブ】はこれで返却した。依頼は完遂したぞ」


 淡く煌めく立方体を手渡してレイルは念押しする。わかっているとでも言いたげに怪物は肉っぽい頭で何度か頷いた。


「レイル・ヴェイン。君に依頼した甲斐ガあっタ。面白いモノも見れタからナ。その娘はドうするンだ? もし貴様が良けれバ高く買い取ルが。殺しはしなイ。大切に保管スる」


 怪物に目はなかったが足元から頭の先まで全てを視姦されたような不快感にソラは一歩たじろいだ。どうしようもない悪寒が柔肌を弄び、毅然とした表情で耐え続けようとしたがそのうち脚の震えが止まらなくなった。


 レイルが前に出る。父を殺した張本人だと理解しつつも、何もかもを押し殺して少女はその背中に隠れた。


「悪いが売るつもりはない。棚の缶詰を増やしたいんだろうが企業に絶対に渡すなと言われた。金は大事だが、金のために人間性を捨てたら俺の目的は全て無意味になる」


 声に抑揚もなければ表情もない機械だったが人間性を無くす気はなかった。多肢の怪物は難しそうに頭の傘を傾げる。


「……そウか。希少な個体ユえに興味がアったのダが仕方あるまイか。しかシ――実に精巧ダ。本物よリも生命力、魔力がアる。どコの企業の技術ダろウか? ドルスも随分拘っテ作ッたのだナ」


 ――精巧? 作った? 本物より? ソラは怪物の言葉を何度も反芻して頭が真っ白になっていく。瞠目せざるを得なかった。


「嫌がらせのつもりか? 随分余計なことを教えてくれたな。知らないほうがいいことを知らせてどうしたいんだ。彼女をこれ以上――――」


 機械仕掛けの合成音に感情を滲ませてレイルは無言のままさらに一歩前に出た。【肉の剣】が目を覚ますと童女が膝を曲げて臨戦態勢を取る。


「……保護者面しないで!」


 凛とした叫びが響いて異様な静寂が包み込む。籠の中の鳥だと思っていた少女が想定外に無謀を極めていて、レイルの思考をフリーズさせた。


 二体の怪物と一人の人間の視線が向けられるなかソラは震える脚で仁王立つ。銀の髪を靡かせて有翼の怪物に対峙した。


「希少な個体とか作ったとか魔力とか! ……年齢を聞いたのも関係あるの? なんで私のことなのに私が一番知らないの? コレが隠してること全部教えてよ」


「依頼報酬にソの義務はナい。そこノ黒い奴に教えテ貰えウといイ。報酬は支払っタ。転送すルぞ」


「随分と酷い仕打ちをしてくれるな。俺に恨みでもあるのか?」


 レイルの確かな睥睨にケタケタと怪物は嘲る。


「恨ミ……? 違ウ。我々は感情デ動かなイ。未来ヲ見て最善の行動をするダけ。それガ時空を管理する企業トしての使命ダろう?」


 再び視界を閃光が覆った。白一色に染まり臭いが消える。耳元でノイズがさざめいて五感が途切れる。三半規管を揺らす。


 空間が歪みふわりと少女と機械の足が地面に着いたとき、一瞬前までいた部屋も怪物も童女も消えて、退廃したスラム街と廃墟群の中心へ転送されていた。


 ドブと排泄物の悪臭。トイレもなくここに住んでいる人間が路上を使うからだ。嗅覚は捻じ曲がりそうだったが異常な存在から遠ざかった実感が湧いてソラは深く深呼吸をした。鼻をつまんで。


「……それで。隠してること全部言ってよ。それとも私が知るには都合が悪いことなの? パパを殺した以外にも何かしたの?」


「それは違う。俺にとって問題はない。ただキミが信じていることをこれ以上壊すのは良くない気がしただけだった。ショックを……受けると思った。嗚呼、余計なお世話だったと思っている。」


 レイルは膝を曲げて視線を合わせる。何もかもが気に食わなかった。納得できなくてレイルの足を踏みつける。痛いだけだった。涙ぐんで神経を走る痺れを堪える。


「上から見下ろされるのも嫌だけど視線を合わせられるのはもっと最悪。なんであんたなんかに配慮されなきゃいけないの? 誰が身長差があるから膝を曲げてくださいって頼んだの?」


「すまない。これも余計な事だったか」


 レイルはすぐに視線を合わせるのをやめた。理不尽な罵りをしてる気がしてならなくて、ソラはわしゃわしゃと髪を掻きながら刃のような眼差しで彼を見上げた。


「……納得したいの。どうしてパパもあんたも私の何かを隠してたかを。自分がどんな存在なのかもわからないまま、それを見て見ぬフリなんてできない」


 強く地面を踏み蹴った。石ころが転がっていく。華奢な手が握り拳を作って爪が皮膚に食い込み血が滲んでも構わなかった。レイルに歯を向けながらソラはジッと黒い装甲を見据える。


「知ったうえであんたを絶対に殺す。どんな事実があってもパパを殺したことは許さないしずっと恨むから。この気持ちを忘れるつもりもない。そのうえで、無茶苦茶言ってるのはわかるけど、お願いだから知ってることは教えて」


「……移動しながら俺が知っている限りで話そう。嘘をつくつもりはない。だから文句は言わないでくれ。それが信じられない話でもだ」


 瓦礫を踏み締め、異臭漂うスラムの路地を移動し始める。ソラは何も言わないままコートの裾を掴んだ。

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終末世界の便利屋 ~復讐を誓いし少女は憎き機械の手を握る~ アンドロイドN号 @rioro

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