平凡
――ガタン! とソラの部屋から物音が響いて会話が途切れた。彼女の父ドルスと、彼に雇われていた便利屋二人が扉を一瞥する。
「聞かれてしまったか……。ソラにはあんな世界のことを知らないでいてほしかったが」
ドルスは握り拳に力を込めて二人の便利屋と向かい合う。
一人は高身長でスーツを着た女だった。長い黒髪が揺れる。腰に帯びた包帯まみれの黒刀に手をかけながら、真紅の双眸がドルスを見下ろす。
「すぐに終わらせましょう。ドルス様。わたし達は確かに金銭で雇われましたがそれ以上にこの世界が素晴らしいものだと考えています。泥に汚れた内臓のない死体を見ることもなければ空が青い。終わらせて、娘さんを安心させてみせます」
ス・アーラは深々と一礼して隣に佇む相棒のエスペルを睨んだ。内気っぽそうな青年は促さられるみたいにコクコクと頷いて、眼鏡越しにドルスを見上げる。フードを深く被り蒼黒い髪が重なる。
「僕も彼女と同意見です。全ての準備が整えばドルス様のお嬢さんも安心して外に出ることだってできます。もうひと頑張りです。企業の雇った便利屋などすぐに処理してきます。僕らには武器も実戦経験も、なによりも信頼できる仲間がいます」
エスペルは深呼吸をして腕に装着した機械の電源を入れた。機械内部の鉄球が急回転を始めるとバチンと弾ける音が響いた。紫電が舞う。
「敵は既にBブロックまで来ている。エレベーターから急いでくれ。何かあったら連絡を入れろ」
「了解」
「了解です」
雇われた二人は淡々と返事をして侵入者がいるエリアへと急いだ。エレベーターに乗り込み、武器に異常がないかを確認していく。
――静寂。無機質な駆動音が響き続ける。二人はしばらく黙ったままでいたが、エスペルのほうがやがて口を開いた。
「ス・アーラ……。この空間が安定するのにかかる時間はあと何日だったっけ」
「三日です。三日経過すれば空間の隔絶は完全になって、侵入者も誰も入れなくなる。そうすればここは企業の保護区域よりも安全に過ごせるようになります」
ス・アーラはエスペルと向かい合う。見つめ合って、不意に顔を赤らめてそのまま顔を背けた。気難しそうに艶のある黒髪を掻いて刀の柄を握る。
「時間がくれば私達も安全に一緒に過ごせる。もう……こんな仕事もしなくていいわけです。長かったですね……ここまで」
「ええ、だから死なないでくださいね。あなたはドジですから。僕は毎回毎回心配で――」
会話が途切れる。額にひりつく便利屋としての直感。二人はすぐに真剣な眼差しを前に向けた。黙り込んで息を押し殺す。
ス・アーラはゆっくりと包帯の巻かれた刀を抜いた。エスペルは電流を迸らせる機械を構える。減速していくエレベーター。
『フロアBです。ドアが開きます』
扉が開いた。乗降口前の広場に出て壁に背を寄せる。周囲の索敵。気配を殺しながら白一色の廊下を覗いて侵入者の姿を視認した。返り血で濡れた黒いコートを羽織った漆喰の機械。悠然と通路の中央を歩いていた。
見える限りの武装はただ精度の良い拳銃と――ぬたぬたと蠢く肉色の刃。
『客だぜレイル。二名だ! オレを見て怯えてびくびくしてる可愛い女の子と女々しい野郎のカップルだぜ? 血! 血! 血ぃ!』
【肉の剣】が野暮ったい声を叫びあげた。刃を形造る真紅の肉片からぎょろりと巨大な眼球が開き、瞬きをし始めると刃に返しをつけるように犬歯がいくつも生え揃っていく。
科学で証明できない異なる世界から持ち出された武装。二人がそうした存在に対処するのは初めてではなかったが緊張を強いられた。
「奇襲が無理なら普通に殺す」
エスペルは自らに言い聞かせるみたいに呟くと同時、装着していた機械から鉄球を敵めがけて撃ち放った。一発、二発、三発と。
乾いた銃声が連続で反響した。鉄球は急回転しながら弧を描いて距離を詰め宙を漂い、一瞬のうちにレイルと呼ばれていた機械を包囲する。
「面倒くさい武器だな。俺のほどじゃないが」
レイルは愚痴を零しながら剣を振り下ろす。直後、――雷撃。球体の回転が加速すると断続的に紫電が周囲一帯を迸る。
『ギャア! 痛ってえ! てめ、オレを電気の身代わりにしやがったな!』
「気が散るから黙ってくれ」
脈動する【肉の剣】が雷撃の直撃によって黒く焦げるとそのまま膿んで破裂するものの、新たな肉が膨張し刃を再生していく。
「気持ち悪い異界道具だ」
エスペルは苦い表情を噛み締めながら敵と対峙し武器の操作を続けた。放った球体はさらに加速を続け激しい攻勢が始まる。
廊下に響く雷鳴の連続。すれすれの回避を、もしくは喋る剣による防御でその場を凌ぐレイルを追い込むようにス・アーラが縫って至近する。
黒と赤の剣撃が重なった。力強く踏み込んでさらに一閃。激しい金属の衝撃。生きている剣が黒い刀を牙で鑢のように削るも、刀に巻き付いていた包帯が宙に呪詛を描きながら【肉の剣】を縛り付ける。
「お前はこれの使い方を忘れる」
ス・アーラはレイルに肉薄すると唱えるように囁いた。レイルの身体が強張る。表情こそ存在しないが黒一色の頭部装甲から確かな焦りを確信した。
距離を取ろうとするレイルに対して畳みかけるようにス・アーラは黒い刀を捨て、一気に肉薄しに掛かる。
「逃がさないよ」
エスペルは機会を逃そうとはしなかった。一歩退くレイルに対して蒼雷の一撃を直撃させる。弾ける轟音。閃光。常人なら衝撃で即死する雷撃。だが致命傷にはならない。それでも発生する衝撃と振動。一瞬の麻痺。
レイルがまだ抵抗を続けたことにス・アーラは僅かに動揺したがすぐに勝利を確信した。何の能力もない拳銃を咄嗟に構えるのを視認したからだ。白兵戦闘を担当するにあたって、彼女もまた常人なら即死する攻撃を無力化できるように肉体を改造していた。
市販の弾丸程度ならもちろん、痛みの遮断、筋肉の動きの最適化。生き残るためにあらゆる術を施してきた。
「身体を改造してないことに賭けたかッ!?」
歯を剥き出しにして勢いを重ねるように膝を畳み、地面を蹴り込む。懐から別の異界道具を、真っ赤な斧を振り下ろし追撃。
ダン! と乾いた銃声。弾丸はス・アーラの額に着弾するも僅かな打撲の痕だけを残して貫通することなくその場に転がり――――彼女の動きがピタリと止まった。
静寂の時間が訪れた。【肉の剣】を縛り付けていた呪いが解け、レイルは無感情のまま再び武器を構える。エスペルは顔を引きつらせ、状況を把握しきれずに沈黙した。
重苦しい感情の波によって胃液が喉元まで這い上がる。冷や汗が落ちた。斧を手にしたままス・アーラは動かないままだった。髪の毛の一本すら靡くことなく不自然な位置で固まったまま戻らない。
「……アーラ?」
「当たるべきではなかった。彼女は二度とあの姿勢から動けない。心臓も、脳もあの一瞬の状態を永遠に保ち続ける。そういう弾を使った。使うかは悩んだ。これであと二発しかない。偶然手に入れた貴重なものだったんだ」
レイルは一歩、二歩と歩み寄ってス・アーラの目の前を通り過ぎる。半信半疑な言葉がその瞬間確信に変わって、エスペルは激情を噛み締めて白兵用の異界道具を抜刀した。
肉に触れた瞬間、血を蒸発させる異界の刀。生物に対してなら極めて強力だったが機械に対しては無意味だと自覚はあった。だが他に武器はない。道具をいくつも持っている者のほうが少ない。
「あと……三日なのに。なんで……ああ、糞……!」
頭が真っ白になりそうだった。鉄球を自動操作に切り替え、浅い深呼吸をしてなんとか冷静さを保とうとしながら臨戦態勢を整える。鉄球の回転が限界の域にまで達すると周囲一帯に無差別的な雷撃を振り撒き始める。
「治す方法があるはずだ。……お前を処理してアーラを助ける。フー……! やることは変わらない。殺す」
『ギャハハハハ! 殺すってよ! どうする? こいつもそこの女と同じように不老不死にでもしてやるのか!?』
レイルは周囲に警戒を巡らせ、彼以外の敵が周囲にいないことを確信すると首を横に振った。下品に嘲る【肉の剣】を力強く握り締める。
「……もったいないからお前を使う。食っていいぞ」
【肉の剣】はそう言われると黙り込んだ。黙ったまま、ギチギチと蠢く刀身から唾液を垂らして、大きく見開いた眼球でエスペルを睥睨し――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます