第五章  教師/刑事/血族 ~4~



 藍乃あおの家は三人家族ではなく、四人家族だった。そして英雄えいゆうには英傑えいけつという名のお兄ちゃんがいた。そしてその英傑という名のお兄ちゃんは、捨てられていた。


 だからだったのだ。


 だから僕が『捨てたんじゃない?』と発言したことに、ともメはひどく怒りを感じた。捨てたことへの罪悪感か、忘れたい過去なのか。・・・・・・定かじゃないが、少なくとも、僕があの家族の逆鱗に触れたことには間違い。やはり、運命というのは数奇なもので、それを今、この場所で。

 僕は体験しているのかもしれない。


「うそよ、嘘よ嘘よ嘘! ありえないわ! 英傑が・・・・・・まさか・・・・・・」

「覚えてくれていて良かったよ、本当に。嬉しいね、感激だね」

「でも、英傑は・・・・・・」

「大丈夫だよ、母さん。二人が俺を捨てたことなんて今更恨んでもないさ」

「いや! でも嘘よ! 英傑はこんな顔じゃなかったわ!」

「時間が経てば顔くらい変わるだろう。といっても、俺は整形してこの顔になったんだからね。母さんが疑問に思うのも無理はない」


 ここにきて怒涛のカミングアウトが交差する。

 僕の頭の中は痛みと困惑で、脳内メモリがパンパンだ。


「え、え? 整形していたんですか?」

「ああ、そうだよ。前の顔もまあまあ爽やかだったんだが、理由があってね。前の顔が嫌いだったのさ、藍乃英傑という名を負った者の顔が。だから変えた。容姿が理由で人生が前へ進まないのなら、容姿を変えてゼロから人生を歩み直すのも悪くない。と思ってね」


 どんな理由であれ、これが乃手坂のてさか先生の選択だった。

 これ以上、部外者である僕が踏み込んでいい領域ではないだろう。


 しかし余計わからないことが増えた。今、目の前にいるこの人は一体誰なのか。物語特別対策部捜査第一課所属の木海月真実きくらげまこと刑事なのか? 私立英雄譚高等学校の教師、乃手坂白雲のてさかしらくもなのか? 藍乃家の長男であり英雄の実兄、藍乃英傑なのか?


 この人は一体、どの人間なのか。


「大体わかった」


 短い沈黙を破ったのは白白しらしろだった。

 先ほどとは打って変わり、毅然きぜんとした態度で向き合っている。


「おや? 驚かないんですね、父さん」

「驚いたさ、だが腑に落ちた。英傑、お前は我々への復讐を捨てきれなかったんだろう」

「・・・・・・・・・・・・」

「物語対策部として様々な顔を持つことで、我々へ報復するチャンスを窺った。そして今回またとないチャンスが訪れた」

「ふーん」

水扇兎音すいせんとおとを助けるというのはただの口実だろう? お前の本当の目的は――」

「ハズレだ」


 乃手坂――いや英傑さん? は、きっぱりと切り捨てた。


「たしかに最初はあんたらを恨んだ。だが言っただろう? 俺は恨んでもいないし、英傑としての人生を捨てた。その時点で復讐も報復も、チャンスすらも捨てた。それにあんたらへの復讐を考えるほど暇じゃなかった。今回、ただチャンスが巡ってきただけ」

「ならどうして、何故このタイミングで化けの皮を剥いだ!」


 白白は一歩を踏み出し、問い詰める。

 英傑さんは涼しげな表情で、あしらうように答える。


「英傑という人間を終わらせるため。父さんと母さんがいくら過去を忘れようと、過去は消えない。二人には英傑は死んだと、もうこの世にはいないのだと、改めて認識してもらう必要があると思ってね」

「英傑の存在を殺す手段が整形か? くだらない」


 白白は吐き捨てるように言う。

 しかし英傑さんの表情は変わらない。涼しげな表情の中に、どこか余裕を感じる。


「整形もまた、ひとつの手段。父さん、今は多様性を謳う世の中だよ? 認めなよ」

「だから、何だ。ソレとコレとに、何の関係がある」


「いや、別に。ちょっと語りたいだけさ。父さんのように多様性を認めないのも、また、多様性だと俺は思う、それだけ。――ただ、多様性を謳うこの世の中は自由を得た分、生きづらい世の中になったと思わない? 選択肢がありすぎるんだ。必ずしも選択肢が多く存在するということは、自由と直結しない。いささかそれは、不自由と呼べる」

「要点を言え」

「・・・・・・俺を不自由にしていたのは、英傑として生きていく。という選択肢がまだ残っていること」


 英傑さんは視線を逸らすことなく、二人を視線に捉えている。

 最早、白白も巴メも僕への復讐など忘れ、ただこの現状を受け止めている。

 少なくとも、僕の瞳にはそう映っていた。


「じゃあ、英傑、貴方が素顔を見せた理由は何?」


 巴メは不安げな様子で訊ねた。


「二人にも捨ててほしいのさ。俺を捨てたときと同様に、英傑の存在を記憶から捨ててほしい。そのために、ここで俺は俺の顔を晒した」

「だからと言って、英傑が消えるわけじゃないでしょ?」

「いや、消える。まだ英傑は生きていると思っているのは、父さんと母さんだけだ。二人が認知することで、初めて英傑の存在は死ぬ。そして英傑として生きる選択肢も消える」

「それなら、やっぱり彼を助けるというのはただの口実よね? 貴方の目的は、選択肢の削除なわけだから」


 英傑さんは瞳を閉じて、そっと首を振る。

 瞼を開け、寂し気に笑みを浮かべるその表情は、英雄とそっくりだった。


「それは違うな。あくまでも兎音くんを助けるという道すがらに、俺の小さな私欲が絡んだだけだ。俺の目的は兎音くんを助けること。それは変わらない」

「そう、じゃあ助けてみなさい。負傷している彼を連れて、逃げてみなさいよ」


 巴メは隠し持っていた刃物を僕らへ向ける。その眼には、僕を殴ったほどの殺意を感じられなかったが、無敵の人特有の頑なる意思を感じた。しかし英傑さんは動じず僕の傍まで近寄ると、腕を僕の前へ突き出し守る姿勢を取る。


 僕も何かしなくてはと思い、動こうとするが頭部と殴打された脛の鈍痛が、身体中を支配する。今までアドレナリンにより多少痛みを緩和することができていたが、興奮状態も冷め着実に脳が痛みを認識し始めている。

 苦痛で顔が歪み、声が漏れる。


「ほら、苦しそうじゃない。早く動かないと、失血死するんじゃない?」

「逆に動けば多量の血が流れる。応急処置は済ませた。じっとしているのが先決だ」

「守り切れるの? 逃げもせず、隠れもせずに」

「ああ、勿論。あえて言わなかったが、侵入する前に、既に通報は済ませてある。時間も稼げたし、逃げるべきは二人の方だと俺は思うけど」


 英傑さんの言う通り、タイミングよく遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。

 巴メも白白も気づいたのか、音が聞こえる方へと顔を向ける。

 小さく舌打ちをした白白は手に持っていたスパナを僕らの方へと放り投げ、その場で両手を上げしゃがむ。一方、その様子を見た巴メは歯ぎしりをすると、持っていた刃物を床へと捨て、白白同様しゃがむと僕らを睨みつける。


 流石に、白白も巴メも観念したらしい。

 英傑さんはその様子を確認すると、白白の方へ近づき手錠を取り出す。


「ひとつ、いいか」


 白白はおもむろに口を開き、訊ねる。


「いいよ」

「お前は刑事であり、教師だった。だが、普通このふたつを両立することなど不可能だろう。英傑という選択肢を削除したお前は、一体誰なんだ」


 それについては僕も、疑問だった。

 刑事である反面、教師でもある。たとえ物語特別対策部の人間だとしても、その活動は捜査や事件解決ひいては、事件を未然に防ぐ対策を講じる組織だと聞いている。わざわざ教員として活動するのも、お門違いのような気がする。


 公安警察でもあるまいし、公安でもやらないだろう。


「ぼ、僕も疑問です。先生は、乃手坂先生なんですか? それとも木海月刑事ですか?」

「教師か、刑事か。答えはどちらでもなく、どちらでもある、だよ」

「それは答えじゃありませんよね。ここまで話して、隠し事は野暮じゃないですか」

「・・・・・・・・・・・・」


 英傑さんは何も答えず、白白に手錠をかけると、次は巴メを手錠にかけた。

 サイレンの音は徐々に大きくなり、もうすぐ近くまで迫っている。


「いいや、答えだよ。与えられた〈配役〉は全うする。法律にも定められていることだ」

「はい?」

「・・・・・・俺は〈物語に関わる機密機関〉の人間だ」


 手錠をかけ終えた英傑はゆっくりと立ち上がり、告げた。


「俺は物語にふさわしい者を選定するよう、役割を賜った者だ。だから教師と刑事、ふたつの〈役〉を与えられた」


 すべてがフェイク。全部が嘘。

 最初から何者でもなく、最初から何者でもある。

 それは、木海月真実でもなく、乃手坂白雲でもなかったということ。

 だが、話はまだ、終わってなかった。


「そして水扇兎音。俺は君を、次の物語の主人公に推薦するつもりだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る