第五章  教師/刑事/血族 ~2ー2~



「夫あなたはよく耐えているわ。でも、いいの? 猶予なんて与えても」

「いいさ。彼は散々 英雄えいゆうを悩ませた挙句に、自殺に至らせた」

「そうね、彼には十二分に後悔し、懺悔してもらわなくては」

「その通り。流石は我が妻。察しがいいね、だから愛したんだ」

「ありがとう、夫あなた。私も愛しているわ」


 二人は見つめ合い、二人共微笑んだ。そしてともメが白白しらしろの肩に手を乗せると、白白はその手に自分の平を被せた。


 場違いな状況下で、場違いなシチュエーション。

 僕の方こそ、苛立ちを通り越して呆れるよ。

 だがこの夫婦の愛は確かなモノらしい。何故こうも歪んでしまったのか疑問だ。


 否、そんなこと考えている暇はない。いよいよ僕も終わりのとき刻々と迫ってきている。時間は十四時十分を過ぎたところ。今頃学校では五限目の終盤か・・・・・・。そんなことを考えられるほどには、僕は冷静であるらしい。


 こんなにも追い詰められ、激痛で冷汗が止まらないのに落ち着いているとか。

 自分事も他人事ってか――笑えねえ。


「さて、兎音とおとくん。私は貴方に腹を立てています。怒り心頭です」


 白白と巴メは立ち上がり、見下げて言う。


「そりゃあ、勿論。承知してますよ」

「ええ、ですがこの場で私たちへの無礼を詫びるのであれば、怒りの矛先は収めましょう」

「ああ、そうするべきだね。そうすれば、猶予を延ばすことも検討しよう」

「・・・・・・この度、は。あんたら夫婦、に。癪に障るような無礼を働、き。誠に、申し訳ございませんでし、た。許してください、お願いします」


 生憎、僕はロープで縛られているため土下座なんてできない。

 軽く会釈をする程度に頭を下げて、真心を込めて、謝罪した。

 視界に入ってきたのは、赤く血を流しながら腫れ上がっていた脛と、血の床だ。

 人間一人から、結構な血が出るんだな(失血死しなければいいけど)。


 そんな、どうでもいいことを考えていると、白白は巴メに視線を移し、今まで見たことのない微笑みの表情を浮かべ、巴メに問いかける。


「どうだい? 怒りは収まったかい?」

「言葉の節々に気持ちがこもっていませんが。まあ、許してあげます」

「君は運がいいね。寛容で寛大な妻に感謝しなさい」

「本当に、聖母のようなお人ですこと・・・・・・」

「誉め言葉として受け取っておくわ。英雄の旧友さん」

「さて、事も済んだ。君には後悔し、懺悔と祈りの時間を与えようじゃない――」


 僕は白白の言葉を遮るように「待て」と、中断した。

 白白は再び怪訝な表情を浮かべる。


「後悔も懺悔も祈りも、必要ない。ただし、最後に――死人への、最後の情けをかけてくれないか」

「・・・・・・情けとは」

「ふたつ、質問がある。ひとつ、英雄は『あの人たちが許してくれない』と僕に話してくれた。物語の内容に関することだ。あんたらは、英雄の物語に口出しをしたのか、真偽を知りたい。ふたつ、英雄が生きていたとき、あんたらの言うことを強く拒否したことを聴かせてもらいたい」


 白白と巴メは目を合わせて、白白は頷き、巴メが口を開く。


「物語の主人公は英雄よ。私たちは口出ししない。ただし少しだけ、アドバイスを告げただけよ。より良い物語を紡ぐための、アドバイス」


 なるほど、黒だ。


 やはり英雄の話していた〈あの人たち〉はこの夫婦で間違いない。

 これで僕の喉につっかえていたような一つ目の疑問は解消された。

 続けて巴メは話す。


「英雄が私たちの言うことを訊かなくなったのは天宮剣一あまみやけんいちと接触以降、多々あったわ。でもね、貴方の言う強く拒否するようなことはなかった。一度もね」

「訊きたいことは訊けただろう? それじゃあ」


 白白は僕へと近づき、耳元まで顔を寄せると、ひそひそと告げてくれた。


「実はね、妻も知らないことがひとつだけある」


 僕は視線だけを白白へと傾け眉をひそめた。


「英雄が君と密かに育てていた、あの薄汚い野良猫。英雄には経験しておかなければならないことが、ひとつだけあった。わかるだろ? 所詮、あれは下賤な生き物だ。死んだって問題ない」

「嘘だろ――お前・・・・・・」


 これが白白の本性だったのかもしれない。

 白白は最も醜悪で、忌々しい笑みを浮かべる。


「何事も経験――だろ?」

「ふざけんな! ゲス野郎のドブ野郎め! お前それでも親かよ!」

「さあさあ、これにて幕引きだ。さようならだ、水扇兎音すいせんとおとくん」


 終わったと思った。でも最後まで諦めず、時間を耐え忍んで良かったと、心の底から思う。


『そこまでだよ。父さん、母さん』


 扉から入ってきたのは、僕の見知った人。

 木海月きくらげ刑事だった。

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