第五章  教師/刑事/血族 ~1ー2~



 壁に掛かった時計を確認する、時刻は十三時五十二分。


「君の訊きたいことは知れたかな?」

「訊く必要はないわ、夫あなた。望む回答は得られたでしょ?」


 白白しらしろはあくまでも、いつも通りの表情で変わらない音程で話す。一方、ともメはニヤニヤと口角を上げ、眉尻を下げ柔和に答える。


 未だ僕の正面に並ぶ二人は、もう、同じ人間とは思えなくなってしまった。

 毒親。という言葉があるが、今目の前にいる人たちは毒親どころじゃない。

 猛毒だ、しかも遅効性の、極めて殺傷能力の高い猛劇毒だ。

 こんな人間の下で英雄えいゆうは――一体どれほど耐え忍んでいたのだろう。


 誰にも相談できず、ただ親の躾に従う人形のように、感情なんて死んでいてもおかしくないはずなのに、あいつは笑っていた。以前からスパルタな教育を受けていたということは、知っていた。しかし、これはスパルタなんてレベルの教育じゃない。虐待だ、それも心理的虐待。


 もっと早く気づいていれば――もっと早期に対応していれば――もっと英雄と向き合っていれば、こんなことには・・・・・・。


 後頭部に突き刺す痛みが走り、現実世界に引き戻される。


 そうだ、今はそんなこと考えている場合じゃない。まずはこの状況を打破せねば。なんとか事態を好転させないと、最悪、僕は今日死ぬかもしれない。


「いえ、まだ訊きたいことはある」

 僕はどうにか頭を働かせて、考える。

「どうして僕は監禁された挙句、殴られたんですかね。別にあなた方に恨みを買った覚えはないし、もし、僕が英雄を殺したと思っているのであれば、それはお門違いだと思いますけどね」


「お門違い? 何を言うかと思えば・・・・・・」

「何が可笑しい。さっきの話を聞くに、異常な教育のせいで英雄は――」


 言葉を遮り、僕を強く非難するような眼を、巴メは向けた。


「異常ですって? すべて英雄が立派な主人公に選ばれるための教育よ」

「何が教育だよ。都合よく、言葉を並べてんじゃあねーよ!」


 瞬間、腹部にドンっと重い拳がめり込む。

 内臓が上へと上がる感覚と同時に、肺の空気が外へと流れる。

 僕はたまらず咳き込み、吐き気を催すが、ぐっとこらえて白白を睨む。


「立場を理解しろ。そして、言葉にも気をつけろよ?」


 痛みをこらえている僕をよそに、白白はキッチン付近のテーブルまで移動する。手前にあった椅子を持ち上げ、僕の傍まで持ってくると、その場に椅子を置き、正面に座った。

 巴メはドアを開け、リビングから退室する。


「まあいいだろう。質問には答えてやる」

「それは・・・・・・どうも・・・・・・」

「答えはひとつ。君が憎いからさ」


 そりゃあそうだろうさ。

 僕はお金持ちのボンボンでもないし、身代金を要求できる親戚もいない。恨めしい感情がなければ、僕を襲い、椅子に縛り付け監禁するわけがない。


「憎いんですね、僕が」

「ああ、今すぐに殺してやりたいくらいにはね」

「じゃあ、意識のなかった僕を殺せばよかった」


「すぐ殺してしまったら、英雄の無念が晴れないだろう? 英雄は主人公に選ばれ、物語に選ばれた。我が家族宿願の夢が叶うその手前で、あろうことか、死んだ。どうしてか? 君にはわかるかな」

「・・・・・・さあ」


 白白は立ち上がり、同時に巴メが扉を開けて入ってくる。


 巴メの手には一枚の紙が握られていた。巴メはその紙を白白に渡し、白白はまた僕の元へと戻ると、椅子に座り持っていた紙を僕の目の前に出した。一ページ分の紙。おそらくノートか何かを破いたのだろう。しかしその紙は、くしゃくしゃに丸められた形跡があった。


「これは英雄が書いた日記だ。英雄が自殺する前日に書いたものだろうな。遺品整理をしていたとき、部屋のゴミ箱から見つけた」

「英雄の、日記?」

「そうだ。これを読んで、君は懺悔するといい」


僕は目の前に出された日記を読んだ。



兎音とおとに会わなければよかった。兎音の存在があたしの頭から離れない。勇気を出して決めた覚悟も、緩んでしまう。そもそも兎音に出会わなければ、こんなにも考えずに、悩むことなく決断できたのかな――』



 続きはなく、ボールペンで文章全体を乱雑に消していた。


 その筆跡は間違いなく英雄のもので、誰かがでたらめに書いただとか、筆跡を真似て書いた文章ではなかった。

 ちゃんと、英雄が書いた日記だ。


「どうした? 顔色が悪いぞ? 殴られた傷が痛むからか? ん、どうなんだ?」


 今までの強張った口角は崩れる。

 子どもは無邪気に虫を殺し、無邪気に笑う。

 それは命の価値がわからないから。それは純真無垢だから。

 白白は今、無邪気に、命の価値を理解したうえで、イタズラに、

 わらって、ワラって、呵い、嗤う。

 声も上げずとても醜悪な面で、わらう。


「英雄は君を憎んでいた、だから我々家族は君を憎む」

「そう、英雄が貴方を恨んでいたから。だから私たち家族は貴方を恨むの」


 巴メはソファーの後ろで、繋げて話した。

 僕は何も答えなかったし、何かを言う気も起きなかった。


「それはそうと、君は過剰な教育だと我々を非難したね。だが誰が過剰だと決める? プロアスリート選手を鍛えた両親は、皆厳しいものさ。刀鍛冶が鉄を鍛え続け立派な刀を造るように、アスリートを育てた両親も子を鍛え上げる」

「私たちの本質も変わらないのよ?」

「そう。我々はただ、英雄が主人公になるために、やるべきことをやっただけ」

「私たちは英雄に情熱をもって愛を注いでいるの。異常な教育だと、はき違えないことね」


 巴メも白白も誇ったように胸を張る。自分たちのやってきた行いが、すべて誉れある行為だと言いたいのだろう。現にそう思わなければ、アスリートを育てた親と自分たちを重ねることもない。自分たちは同等かそれ以上だと言いたいのかもしれない。


 ただ僕は思う、絶対にこの夫婦は間違っている。


 たしかに僕は英雄を自殺に追い込んだ一因だろう。それは白白が持っている、英雄の日記の一部が物語っている。だが、それだけじゃない。僕のせいだとしても、イカれた思想を英雄に背負わせ、それを愛情だと謳うこの夫婦を、英雄が許しても僕は許さない。

 

 英雄が僕を許してくれなくても、僕の贖罪は、この夫婦で果たす。


「それでも、あんたらが異常なことには変わりない」

「はァ? 何を言ってるの?」

「そのまんまの意味さ。あんたら夫婦は異常者で歪んだ価値観で子どもを縛り、単なる夢の果たし人としか思わない、都合のいい魂の宿った人形を手に入れたと考えている猛毒親だよ。だって――英雄が都合のいい人間じゃなかったら・・・・・・捨ててたんじゃない?」


 巴メが唸る。両拳の血管が浮き出るくらい握り、下唇を力強く噛み締め流血している。身を震わせながら僕の方まで近づく。逆鱗に触れた、殴られるかと・・・・・・思った。しかし巴メは僕を素通りして、僕の後ろ側へと回る。カーテンが擦れる音と共に、金属が擦れる音も聞こえる。


 再び僕の正面に戻って来た巴メは、荒い息遣いで僕を凝視する。


 巴メの手には、

「フスーッ、・・・・・・! スーッ、・・・・・・!」

 スパナを固く握りしめ、

「・・・・・・ぁぁああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ!」

 大きく振りかぶると、

「ふぅー! ふぅー、・・・・・・ふぅーッ・・・・・・」

 僕の頭部を割いた。

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