第五章  教師/刑事/血族 ~1ー1~

第五章 教師/刑事/血族


 1


 意識が戻る。後頭部に強烈な痛みが残っている。

 目の前は暗く、一寸先も見えない――布の感覚? 目隠しをされているのか。


 身体を左右に激しく動かしてみる。軋む音、手首と足首が固く固定されている。

 どうやら椅子に縛られているらしい。


 手首のロープが解けないか、くねくね動かす。


 ダメだ。無駄な努力らしい。

 そもそも、ここはどこだ?


 たしか天宮あまみやの自白を聞き、藍乃あおのの自宅へ行って、チャイムを鳴らして、そしてともメの声が聞こえて、それから・・・・・・そうだ、そして後ろから誰かに殴られたんだ。そのまま意識を失って、今か。


 思い出していくにつれ、殴られた後頭部の痛みが鋭くなる。

 ということは、ここは藍乃の自宅なのかもしれない。そして、僕を襲ったのは白白しらしろなのか? でも、何故僕を襲う? 別に藍乃夫妻に恨まれるようなことをしたつもりもないし、それに、僕を襲っても何の得にもならない。


「・・・・・・ゔ、・・・・・・うぅ・・・・・・」


 後頭部の痛みがピークに達した。

 たまらず呻き声をあげる。

 思いの外、しっかりと殴られたらしい。それもそうか、意識が飛ぶくらいだもの、死ななかっただけありがたい。


 背筋に生温かい液体が伝う。

 雨漏りでもしているのだろうか、いや、今日一日嫌みなほど晴れていた――もしかすると、意識を失っている間に雨でも降ってきたのか? 藍乃の家も、ついに老朽化が進んだか・・・・・・。


 僕は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いて冷静になる。


 待てよ。外からは雨の音なんて一切聞こえない。それに、雨漏りしているにせよ、上から落ちてきた水が背筋に当たる感覚はない。それにこの妙な温度。


 一気に鳥肌が立つ。

 血だ。途端に心臓の鼓動が速くなり、脳が一気に活性化する。一瞬パニックになるが、右側から聞こえてくる足音でクールダウンする。音の数は一人・・・・・・、二人分の足音だ。


 ドアが開く音が聞こえ、暗闇全体が少し明るくなる。


 誰かが僕の頭を触ると、目隠しが取れ目の前が眩しく、鮮明に・・・・・・。


「あら、声が聞こえると思ったら、もうお目覚め? 早かったわね」

「ああ、もっと眠っていても良かったのだが、目が覚めたらしい。早かったな」


 目が慣れてきた。

 一通り、周りを見渡す。


 一番奥には冷蔵庫、キッチン、そして藍乃白白が立っている。跨いだところに大きなテーブルがあり、二人分の椅子が用意されている。その手前には一面を覆うカーペットが敷かれ、ソファーには藍乃巴メが座っている。ソファーの向かい側にはガラスのテーブルと4K液晶テレビが設置され、白白と巴メが入ってきたドアは開けっ放しだ。よく確認すると、テレビの上の壁には時計が掛けてある。時計の針は十三時四十八分を指しており、秒針はしっかりと動いている。


 どうやら藍乃宅に到着し、殴られてから五分ほど意識を失っていたらしい。


「キョロキョロ周りを確認してどうした? 逃げようって魂胆か?」

「周りを確認したところで、どうにもならないわよ。諦めなさい」


 二人は、さもこの光景が当たり前であるかのように、悠長に話す。


 僕は何かを言おうと口を開く、が。どうも口が回らない。殴られた際の脳震盪が原因なのか、どうなのか。言葉ではなく吐息交じりの一文字だけが、小さな音で出てくる。二人は何も言わず、ただ、僕が喋るのを待っているようだ。白白は屈むと果物ナイフを取り出し、キッチンの上に置く。巴メはソファーに座りながら、視線を僕から外さず、ただじっと視ている。


 ようやく言葉が出始めたので、喉を鳴らし、発音チェックを行う――。

 ――うん。ちゃんと言葉が出る。


 僕は二人を交互に見て、初めに思った疑問を投げかける。


「あまみやから、きい、たぞ。・・・・・・どうしてあおのに、ばいしゅん、なんかを・・・・・・」

「おや? まず最初に訊きたいことはそれかい? 状況に不釣り合いなことを訊くものだ」


 白白は特に驚いた様子も見せず、ただただ機械のように話す。

 二人は顔を見合わせ、巴メは無頓着に答える。


「何事も経験よ。経験に勝るものなんてないわ」

「その通りだ。経験は知識を凌駕する。体験は記憶に定着しやすい」

「は、・・・・・・はあ?」


「妻が言った、何事も経験だと」

「夫あなたは言ったわ、経験は知識を凌駕すると」


 この人たちは何を言っているんだ、頭がおかしいんじゃないのか? 


「こえたえに、なって、いませんよ」


 二人は再度顔を見合わすと、巴メが立ち上がり、僕の傍まで近づいていく。

 

 巴メは、僕の真正面に立ち、話す。「いいかしら。学ぶということは、蓄えるということ。蓄えられた学びは、これからの人生において重要な引き出しになる。私たちはそれを育まなければならない」


 白白は後に続いて、繋げて話す。「しかし、学んだことを忘れてしまっては、意味がない。では、どうすればいいか我々は考えたのさ、忘れず記憶できるにはどうすればよいのか。そして行き着いた結果が、経験だ」


 僕の額に、巴メの指が触れる。「それも、良質な経験が大事なのよ。頭でも身体でも憶える、質の高い経験。物語の主人公たるもの、才色兼備であり、すべてを経験し再現する力が重要なの」


 キッチンを離れた白白も、ゆっくり僕へ近づいて来る。「英雄えいゆうには一通り、物語でも再現できるよう経験を積ませた。物語に不備があってはいけないからな、主人公ともなればなおさらさ。だが、他にも経験していないことがあった。セックスだよ」


 巴メは僕の額を指で叩きながら、言う。「英雄も十六歳になったわ。結婚もできるし、立派な大人の仲間入りよ。なのに、SEXを一度もしていないなんて、どうかしら? 人々を魅了する演技というものは、経験から来るもの。それは成功と失敗、恋愛と憎悪、・・・・・・性行為だって例外じゃないわ」


 冷汗が止まらない、白白が近づいて来る。「その通り。だから我々は早急に手を打った。身近な人間じゃダメなんだ。もっと経験豊かで、テクニックを英雄に教え込める人間でなければ」


 巴メは指を離し、脱力する。「そして、そう言えば身近に有用な人物がいることを思い出したわ。前の物語の主人公であり、英雄の教育を行う人間。天宮剣一あまみやけんいち。彼なら質のいい経験を英雄に提供できると考えたわ」


 白白は巴メの横に並び、見下ろす。「だから秘密裏に天宮剣一とコンタクトを取り、このことを依頼した。最初は彼も断ったさ『そんなことはできません』とね。だから後日、多額のお金を用意して彼の口座に振り込んだ。彼の口座を特定するなんて、わけないからね」


 巴メはニヤリと微笑み、見下ろした。「彼も自分の口座を確認して、さぞ驚いていたでしょうね。彼は断れるはずもなく、雪の降るあの日、英雄をホテルへとエスコートしてくれたわ」


 白白は苦虫を噛んだ表情を浮かべる。「しかし、実際のところSEXどころか、何もしていないというじゃないか。それ以来、英雄は我々の言うことを聞かなくなった。正直、天宮剣一には失望したよ」


 鳥肌が、冷汗が、止まらない。


「だからね。君がここへ訪ねて来たとき『英雄は近所の除雪作業を手伝うと言っていた』と返答したと思うが、アレは嘘だ」

「は?」

「簡単な話よ。私たちは英雄に言ったの『白雪通りで貴女を待っている人がいるわ。行ってきなさい』と。それから英雄は、白雪通りへ向かったの」

「じゃあ、あんたら、英雄を欺あざむいたのか」

「あら、人聞きの悪い事をおっしゃるのね。欺いたのではなく、諭さとしたのよ」


 頭がおかしいどころじゃない。この夫婦はイカれてる。

 まるで、自分の娘を道具や人形のように思っている。

 愛情なんて一切感じない。非人道的じゃないか。

 僕は身体中に走る嫌悪感を抑えながら、訊ねる。


「あんたらは・・・・・・。英雄の気持ちを考えたことはないのかよ」

「英雄のことを想うからこそじゃない。英雄には立派な主人公になってほしいの」

「我々の叶えられなかった夢を、英雄は引き継ぐんだ。英雄は最後の希望なんだよ」

「・・・・・・・・・・・・っ!」


 僕はなんて浅はかだったんだ。この人たちは藍乃を――英雄のことなんか、一ミリも考えちゃいない。自身の夢を子に背負わせる我儘わがまま、子の気持ちを想わない薄情者、外っ面だけの愛情を持つ偽物にせもの、子の為だと言い綺麗事を謳うたう偽善者、子を思想概念で縛りつける――人間の皮を被った――化け物だ。


 こんな人間が親だなんて――そんなこと、あっていいはずがない。


 僕は後ろで結ばれた拳を強く握り、奮い立たせる。

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