第三章  元・物語主人公/藍乃夫妻 ~4-2~



 白白しらしろもスタイルがよく、藍乃あおのの輪郭や雰囲気は父親譲りらしい。ダンディな顔立ちにシュッとした輪郭、整えられた髪には所々白髪が交じっており、それがまたよく似合っている。仕事帰りだったのだろうか、緩んだネクタイとシャツが見える。


「それで、今日は何用かな?」

「それがね、あなた。兎音とおとくん。我々に何か訊きたいことがあるらしいのよ」

「訊きたいことか。いいよ。何を我々に訊きたいんだい?」


 どうしてだろう。二人が並んだことで感じる、この感覚。

 どこもおかしくはない。これといった妙な部分もなければ、変な部分もない。でも、今までともメとの会話だけでは得られなかった、この謂いわれのない違和感は何なのだろう。理由もなければ根拠もないのだが、肌でひしひしと感じるのだ。


 この違和感、強いて言うなら。

 薄気味悪い。


 ただ、今は別のことに集中しよう。僕の都合で二人を外に出させるのも、少々忍びない。


「まだ英雄が高校一年生だった頃、去年の冬。この頃のことを覚えていますか?」

「ええ、覚えているわ。去年の冬は一段と寒かったもの。あなたは?」

「ああ、覚えているさ。新しく始めた事業が成功したからね。印象深い冬だった」


 藍乃夫妻はお互い顔を見合わせることなく、僕を視ながら淡々と話す。


 その様子を見て若干引いたが、僕は続けて話す。


「そうですか。僕が訊きたいというのは、その冬の出来事です。たしか例年よりも多く雪が降り、大雪警報が発令されるくらい〈印象的だった冬〉だったと思います。その日、藍乃 英雄えいゆうがどこに行っていたのか、お二人は知りませんか?」

「どうだったかな。たしかに、あの日は家には英雄はいなかった」

「そうね。英雄は出かけていたわね」

「ああ、そうさ、出かけていたな。ただ我々もどこへ行っていたのか知らないんだ」

「私たちに一言でも伝えてくれればよかったのに」

「そうだね。まったくその通りだ」


 二人とも口を揃えて言う。


 どうやら藍乃は両親にも天宮あまみやと一緒に、ホテルへ行っていたことを伝えてないらしい。でも、そりゃそうか。わざわざ自分から両親へ抱かれに行く報告なんてする奴いないか。話していたとしても、部外者である僕に対し話す必要性もないし。

 

 二人がもし、知っていたとして僕に話していたら、それはそれで問題だろう。

 藍乃は既に死んでいるとはいえプライバシーの配慮という、別の問題が発生する。


 少し主旨を変えてみよう。


「実は、ここに住む近所のおばちゃんと会ったとき、軽く世間話をしたんです。話をしている中でおばちゃんが、白雪通りで藍乃英雄を見た、なんてことを言っていたから気になっていたんです」

「あらぁ、私は初耳だわ」


 巴メは下唇に指を当てると、僕を視ながら続けて訊ねる。

 

「うちの英雄が白雪通りにいた。たしかにそう、おっしゃっていたの?」

「はい。そうです」

「ほほう、それは興味深いね」


 間髪入れず、一呼吸空けることなく白白は言うと、腕組する。


「たとえ身内であっても、ホウレンソウは徹底するようにと、英雄には言って聞かせたのだがね。ちなみに誰が兎音くんに話したのかな?」

國枝くにえださんです」

「ふーん。國枝さんか。俺は國枝さんとはさほど交流がないな。巴メはどうだい?」

「私も挨拶するくらいよ、あなた。集まりで軽く駄弁るくらいね」


 二人ともお互いの顔を見合わせることなく、会話を成立させる。


 一見奇妙である。しかし、話によれば熟年の夫婦はお互いの名前を呼ぶだけで、何を要求しているのか何を欲しているのかわかるという。熟年とは言わずとも、長年寄り添ってきた熟練の夫婦というものは、案外こういうものなのかもしれない。表情を視ずとも意思疎通が行える。そう考えるとLINEでのやり取りだけでも事足りそうだが、それを言ってしまうと皮肉か。


 ただ、やはりこの光景、奇妙ではある。


「ということは。藍乃はお二人には白雪通りに行くとは伝えていなかったんですね」

「我々は知らなかったよ」

「私たちに何も言わないなんて、些細な反抗期だったのかしら」

「ふははっ、英雄に反抗期なんてあるはずないだろう。英雄は立派な主人公になる人間なのだから・・・・・・いや、既に主人公になったんだったな」


 二人の表情は静かに沈み、しかし、口角は上がっている。

 絶望と幸福、誇りと焦燥。矛盾した感情が入り混じっていた。


「でも変じゃないですか? あの真面目で素直な藍乃が報連相を怠りますか?」


 僕は二人の表情を見て取り、無視して話す。

 流石に二人とも表情が崩れる。先ほどまでの薄気味悪さが消えた。


「兎音くん。それはどいうことか、説明してくれるかな」

「あの日は大雪警報が出ていました。外出するにしても危険だし、万が一がある。この日に限っては、何も言わずに出て行くなんて藍乃に限らず、誰もが置き手紙なりLINEなり一言添えるでしょう。それに玄関を開ければ音や振動でなんとなく、誰かが玄関を開けたとわかると思いますが、お二人は止めなかったのですか?」


 この空気を読まない。

 失礼極まりない発言に巴メはムっとする。


「英雄が白雪通りへ行っていたこと、それは重要な事なの?」

「重要かどうか、ではなく、事実かどうか。僕が求めているのは後者です」

「今更真実を求めてどうなるというの? 私たちはもう十分に苦しんだし、もう掘り返したくはないの。受け入れられない現実を、必死に受け入れようとしているの。私たちは英雄と一緒に人生も失ったのよ」

「ええ、お二人が抱いているその気持ちは理解しているつもりです。けど、どれだけ辛い思いをしていようが、真実を知らずに生きていく方が耐え難いものだと思います」

「わかるはずないわ! だって――」


 巴メは何かを言いかけた。しかし白白は巴メの肩にそっと手を添え、一歩前進した。このとき、巴メは初めて白白へと振り向き顔を見る。


 白白は鋭い眼光で僕の眼を覗かせる。


 今までにないほど、肌で感じるほど揺れ動く感情。

 白白からは巴メと比べ物にならないほどの、激情の渦の中にいるように感じた。


「まあまあ、落ち着きなさい。それに兎音くんも。傷口に塩を塗るどころか、泥を塗るようなことはやめてくれ。兎音くんが思っている以上に、我々夫婦はどん底にいる」

「・・・・・・すいません。配慮が足りませんでした」

「少しは気をつけるように。心に深い傷を残しているのは兎音くんだけじゃない」

「・・・・・・はい」

「わかればいい。それで、英雄が外出した理由だよね。たしかに英雄が白雪通りに行くという報告は受けていない。けどその前に英雄は、近所の除雪作業を手伝うと言っていた。おそらくだが、英雄はそのあと白雪通りへと赴いたのだろう。すまないがこれ以上のことはわからない」


「そうですか」


 これ以上、僕は何も言えない。至らぬところで地雷を踏んでしまった。

 まだ訊きたいことはあったのだが、これ以上質問をするにしてもそんな空気でもない。自分で招いてしまった状況、甘んじて受け入れるしかない。それにこのまま質問を続けていたとしても、僕が藍乃夫婦を疑っていることに勘づく可能性もある。ここは素直に引下がる方がベストだし、それに、僕しかわからないことに気づけたし。十分だろう。


「それとそうだ。兎音くんは英雄の死ぬ前日に会っていたと聞いたのだが」

「え? あ、はい」

「英雄は何か、話していなかったかい? 些細な事でもいい。我々は知りたいのさ」

「・・・・・・すいません。これと言って、話せるようなことは・・・・・・何もなかったです。ただ普通に話して別れた。それだけです」


 ここで嘘をつくのは正直痛ましい。だが、正直に話せる内容ではない。

 一言一句そのまま伝えたとしても、あれは藍乃本人の中でしか理解できないものだ。

 僕らはまだ、藍乃英雄と同じラインに立っていない。立たなければあれは理解できない。


「そうか。でも英雄の旧友と会えてよかったよ。色々と積もる話もあるだろうが、今日はここで失礼させてもらうよ。我々も忙しんだ」


 と言うと白白は、まず先に巴メを家へ入るようエスコートする。


 巴メは靴を脱ぎ室内へ入る間際、鬼の如く僕を睨みつける。その表情は隠すことなく負の念に満ちていた。


「ふー。それともうひとつ訊きたいことがあるが、いいかね」

「勿論、大丈夫です」

「そうか。今から一、二カ月前のことだ。木海月きくらげと名乗る刑事が兎音くんと同じことを訊ねに来たのだが、こんな偶然。あると思うかい?」


 驚いたと同時に、すぐさま冷静になり当たり前かと思う。木海月さんは刑事であり〈主人公喪失事件〉の捜査を続行している。藍乃が白雪通りにあるホテルへと姿を消した、という情報の信憑性を確認するために、藍乃夫妻に聞き込みするのは至極当然。


 そりゃあそうか、と思う。


「偶然じゃないでしょうか? 彼らは事件を解決することが仕事ですから」

「にしては、ピンポイントだと思うのだが」

「それは結果論ですよ。木海月刑事と僕が結果的に同じ疑問を抱いただけであって、僕は何も知らないし、そこには何の因果関係もない。ただの偶然ですね」

「偶然か・・・・・・なるほどね・・・・・・。いいことが聞けたよ」


 白白はそのまま家の中へ入り、扉を閉める直前、振り向くことなく言ことを伝える。


「それじゃあ、さようなら」


 僕は藍乃宅の敷地を出て、重い足取りで自宅へと帰る。


 夕空は、もうとっくに夜空へと姿を変えていた。

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