第三章 元・物語主人公/藍乃夫妻 ~4-2~
「それで、今日は何用かな?」
「それがね、あなた。
「訊きたいことか。いいよ。何を我々に訊きたいんだい?」
どうしてだろう。二人が並んだことで感じる、この感覚。
どこもおかしくはない。これといった妙な部分もなければ、変な部分もない。でも、今まで
この違和感、強いて言うなら。
薄気味悪い。
ただ、今は別のことに集中しよう。僕の都合で二人を外に出させるのも、少々忍びない。
「まだ英雄が高校一年生だった頃、去年の冬。この頃のことを覚えていますか?」
「ええ、覚えているわ。去年の冬は一段と寒かったもの。あなたは?」
「ああ、覚えているさ。新しく始めた事業が成功したからね。印象深い冬だった」
藍乃夫妻はお互い顔を見合わせることなく、僕を視ながら淡々と話す。
その様子を見て若干引いたが、僕は続けて話す。
「そうですか。僕が訊きたいというのは、その冬の出来事です。たしか例年よりも多く雪が降り、大雪警報が発令されるくらい〈印象的だった冬〉だったと思います。その日、藍乃
「どうだったかな。たしかに、あの日は家には英雄はいなかった」
「そうね。英雄は出かけていたわね」
「ああ、そうさ、出かけていたな。ただ我々もどこへ行っていたのか知らないんだ」
「私たちに一言でも伝えてくれればよかったのに」
「そうだね。まったくその通りだ」
二人とも口を揃えて言う。
どうやら藍乃は両親にも
二人がもし、知っていたとして僕に話していたら、それはそれで問題だろう。
藍乃は既に死んでいるとはいえプライバシーの配慮という、別の問題が発生する。
少し主旨を変えてみよう。
「実は、ここに住む近所のおばちゃんと会ったとき、軽く世間話をしたんです。話をしている中でおばちゃんが、白雪通りで藍乃英雄を見た、なんてことを言っていたから気になっていたんです」
「あらぁ、私は初耳だわ」
巴メは下唇に指を当てると、僕を視ながら続けて訊ねる。
「うちの英雄が白雪通りにいた。たしかにそう、おっしゃっていたの?」
「はい。そうです」
「ほほう、それは興味深いね」
間髪入れず、一呼吸空けることなく白白は言うと、腕組する。
「たとえ身内であっても、ホウレンソウは徹底するようにと、英雄には言って聞かせたのだがね。ちなみに誰が兎音くんに話したのかな?」
「
「ふーん。國枝さんか。俺は國枝さんとはさほど交流がないな。巴メはどうだい?」
「私も挨拶するくらいよ、あなた。集まりで軽く駄弁るくらいね」
二人ともお互いの顔を見合わせることなく、会話を成立させる。
一見奇妙である。しかし、話によれば熟年の夫婦はお互いの名前を呼ぶだけで、何を要求しているのか何を欲しているのかわかるという。熟年とは言わずとも、長年寄り添ってきた熟練の夫婦というものは、案外こういうものなのかもしれない。表情を視ずとも意思疎通が行える。そう考えるとLINEでのやり取りだけでも事足りそうだが、それを言ってしまうと皮肉か。
ただ、やはりこの光景、奇妙ではある。
「ということは。藍乃はお二人には白雪通りに行くとは伝えていなかったんですね」
「我々は知らなかったよ」
「私たちに何も言わないなんて、些細な反抗期だったのかしら」
「ふははっ、英雄に反抗期なんてあるはずないだろう。英雄は立派な主人公になる人間なのだから・・・・・・いや、既に主人公になったんだったな」
二人の表情は静かに沈み、しかし、口角は上がっている。
絶望と幸福、誇りと焦燥。矛盾した感情が入り混じっていた。
「でも変じゃないですか? あの真面目で素直な藍乃が報連相を怠りますか?」
僕は二人の表情を見て取り、無視して話す。
流石に二人とも表情が崩れる。先ほどまでの薄気味悪さが消えた。
「兎音くん。それはどいうことか、説明してくれるかな」
「あの日は大雪警報が出ていました。外出するにしても危険だし、万が一がある。この日に限っては、何も言わずに出て行くなんて藍乃に限らず、誰もが置き手紙なりLINEなり一言添えるでしょう。それに玄関を開ければ音や振動でなんとなく、誰かが玄関を開けたとわかると思いますが、お二人は止めなかったのですか?」
この空気を読まない。
失礼極まりない発言に巴メはムっとする。
「英雄が白雪通りへ行っていたこと、それは重要な事なの?」
「重要かどうか、ではなく、事実かどうか。僕が求めているのは後者です」
「今更真実を求めてどうなるというの? 私たちはもう十分に苦しんだし、もう掘り返したくはないの。受け入れられない現実を、必死に受け入れようとしているの。私たちは英雄と一緒に人生も失ったのよ」
「ええ、お二人が抱いているその気持ちは理解しているつもりです。けど、どれだけ辛い思いをしていようが、真実を知らずに生きていく方が耐え難いものだと思います」
「わかるはずないわ! だって――」
巴メは何かを言いかけた。しかし白白は巴メの肩にそっと手を添え、一歩前進した。このとき、巴メは初めて白白へと振り向き顔を見る。
白白は鋭い眼光で僕の眼を覗かせる。
今までにないほど、肌で感じるほど揺れ動く感情。
白白からは巴メと比べ物にならないほどの、激情の渦の中にいるように感じた。
「まあまあ、落ち着きなさい。それに兎音くんも。傷口に塩を塗るどころか、泥を塗るようなことはやめてくれ。兎音くんが思っている以上に、我々夫婦はどん底にいる」
「・・・・・・すいません。配慮が足りませんでした」
「少しは気をつけるように。心に深い傷を残しているのは兎音くんだけじゃない」
「・・・・・・はい」
「わかればいい。それで、英雄が外出した理由だよね。たしかに英雄が白雪通りに行くという報告は受けていない。けどその前に英雄は、近所の除雪作業を手伝うと言っていた。おそらくだが、英雄はそのあと白雪通りへと赴いたのだろう。すまないがこれ以上のことはわからない」
「そうですか」
これ以上、僕は何も言えない。至らぬところで地雷を踏んでしまった。
まだ訊きたいことはあったのだが、これ以上質問をするにしてもそんな空気でもない。自分で招いてしまった状況、甘んじて受け入れるしかない。それにこのまま質問を続けていたとしても、僕が藍乃夫婦を疑っていることに勘づく可能性もある。ここは素直に引下がる方がベストだし、それに、僕しかわからないことに気づけたし。十分だろう。
「それとそうだ。兎音くんは英雄の死ぬ前日に会っていたと聞いたのだが」
「え? あ、はい」
「英雄は何か、話していなかったかい? 些細な事でもいい。我々は知りたいのさ」
「・・・・・・すいません。これと言って、話せるようなことは・・・・・・何もなかったです。ただ普通に話して別れた。それだけです」
ここで嘘をつくのは正直痛ましい。だが、正直に話せる内容ではない。
一言一句そのまま伝えたとしても、あれは藍乃本人の中でしか理解できないものだ。
僕らはまだ、藍乃英雄と同じラインに立っていない。立たなければあれは理解できない。
「そうか。でも英雄の旧友と会えてよかったよ。色々と積もる話もあるだろうが、今日はここで失礼させてもらうよ。我々も忙しんだ」
と言うと白白は、まず先に巴メを家へ入るようエスコートする。
巴メは靴を脱ぎ室内へ入る間際、鬼の如く僕を睨みつける。その表情は隠すことなく負の念に満ちていた。
「ふー。それともうひとつ訊きたいことがあるが、いいかね」
「勿論、大丈夫です」
「そうか。今から一、二カ月前のことだ。
驚いたと同時に、すぐさま冷静になり当たり前かと思う。木海月さんは刑事であり〈主人公喪失事件〉の捜査を続行している。藍乃が白雪通りにあるホテルへと姿を消した、という情報の信憑性を確認するために、藍乃夫妻に聞き込みするのは至極当然。
そりゃあそうか、と思う。
「偶然じゃないでしょうか? 彼らは事件を解決することが仕事ですから」
「にしては、ピンポイントだと思うのだが」
「それは結果論ですよ。木海月刑事と僕が結果的に同じ疑問を抱いただけであって、僕は何も知らないし、そこには何の因果関係もない。ただの偶然ですね」
「偶然か・・・・・・なるほどね・・・・・・。いいことが聞けたよ」
白白はそのまま家の中へ入り、扉を閉める直前、振り向くことなく言ことを伝える。
「それじゃあ、さようなら」
僕は藍乃宅の敷地を出て、重い足取りで自宅へと帰る。
夕空は、もうとっくに夜空へと姿を変えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます