第三章 元・物語主人公/藍乃夫妻 ~4ー1~
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英譚高校から徒歩約十五分の地点。
もうすっかり日は沈みかけ、空は紫色と夕焼け色の二色が覆っている。
久々に来た住宅街を目にした僕は、懐かしさを身体で感じる。
何故かは知らないが、おばあちゃん家の香りがする。といっても、ここはただの住宅街ではなく、一戸建ての家が軒を連ねる高級住宅街なわけで、おばあちゃん要素は一ミリもないのだが。
懐かしいことには変わりない。
僕は住宅街へと歩を進める。
どの家も、整えられた植木に玄関前のプランターや庭の花壇には、パンジーにスミレに薔薇・・・・・・各々個性的で、一般的な構造の家ではないことがパッと見ただけでわかる。建築家の性格が家の形によく出ている。それに街灯だけでなく、足元にも光源があるらしくイルミネーションのようだ。
こんな贅沢な暮らしをできるなんて裕福層は凄いな。
まったく羨ましい限りだよ、本当に。
・・・・・・って、そんなこと考えている場合じゃあないか。
住宅街をぐるぐると回りながら、藍乃の家を目指す。
そうして約十分の時間を要してようやく辿り着いた。やはり二年という月日は僕にとって大きかったらしい。どの家も個性的で、絶対覚えているだろう。と、高をくくっていた僕の考えは浅はかだったようだ。似たような家を見つけては標識を確認して間違える作業を四、五回繰り返しては歩き回る。
結局、絶対ここじゃない。と藍乃宅リストから除外していた家が、あろうことか藍乃宅だった。
阿呆にも程がある。
僕は今一度、〈藍乃〉と書かれた標識を確認して、インターフォンを鳴らす。
数秒後、インターフォンから女性の声が聞こえてきた。
『はい。どちら様でしょう』
その声は落ち着いていて、昔と同じ声だった。
「遅い時間にすいません。藍乃の友人だった、
『あら、兎音くん? 入っていいわよ』
インターフォンから音が途切れる。
僕は正面の扉(門?)を開け、玄関まで移動する。
家の外観や庭の雰囲気を見て「ああ、そうだ。こんな感じだったな」と、徐々に藍乃宅での思い出が蘇る。藍乃と家の中で遊んだのは幼少期が最後だ。たしか、ロミオとジュリエットごっこで遊んでいたような気がする。僕がジュリエットで、藍乃がロミオ。
まあ、俗に言う。逆だったかもしれねえ、ってやつだ。
そんなこんな思い出していると玄関の扉が開く。家からは藍乃の母、藍乃
凛とした顔立ちにスラッとした体形、おそらく藍乃の大和撫子な顔立ちは母親譲りなのだろう。とても良く似ている。肩より長く伸びるその髪の毛は、トリートメントを忘れているのだろうか、がさついており、所々髪の毛が跳ねている。
チラッと家の中を覗いたが、良くは見えなかった。
室内は暗く、外の光で廊下にあるゴミが反射しており、あまり片付いていない様子が窺えたくらいだ。
「久しぶりねぇ。こんな時間にどうしたの?」
「中々踏ん切りがつかなくて。今日、ようやく来る決意を固めたんです」
「決意だなんて・・・・・・いつでも来ればよかったのに」
巴メは顎に手を添えて微笑む。
「なんというか、藍乃――英雄は学校でも有名人だったし、高嶺の花というか・・・・・・」
「まあまあ、そんなことないわよ。英雄の昔馴染みですもの、私たちはいつでもウェルカムよ。お茶菓子を用意しておもてなしするわ」
「それなら、もっと早くに来るべきでしたね」
僕はへらへらと気の抜けた笑いをすると、空いた玄関の扉の奥を眺める。
「そう言えば、お父さんの
空いていた車庫には二台の車があった。
高い確率で白白はいると思うのだが、まるで気配がない。物音すら聞こえない。
「主人は今、二階で書類の整理をしているの・・・・・・。ほら、英雄が自殺してしまったでしょう? 遺言書とかがまだあるかもしれないから。ずっと探しているの」
「・・・・・・・・・・・・」
少し気を落とした。いたたまれない気持ちになった。
俯く巴メの表情は儚しげに映る。子を想う親の気持ちを、子どもである僕は推し量ることができないが、きっと、子を失うという現実は、身体の一部が欠損するほどのものだろう。健気にも藍乃が残した痕跡を見つけるべく、死んで時間が経った今でも探している。
この〈主人公喪失事件〉で失ったものはあまりにも大きい。
特に、藍乃ご夫妻にとっては・・・・・・。
とくに、――ね。
「ああ、ごめんなさいね。気を使わせちゃったわ」
「いやいや、全然、そんなことないです」
「そう? ならよかったわ。兎音くんも辛かったでしょう?」
「それは――もう、はい」
「目の前で飛び降りたのですもの、無理もないわ。でも大丈夫よ。きっと乗り越えられる」
そう言うと、巴メはニッコリと笑顔を浮かべ、僕を視る。
「そうですかね」
「ええ、そうよ。私たちはどれだけ困難でも乗り越えるつもりよ。近いうちにね」
「・・・・・・強いですね。僕も、それだけ強くありたいです」
僕は力なくカラ笑いを浮かべる。
二人してしょんげりするのは良くない、と思ったのだろう。
巴メは軽く手を叩き、思い出したかのように僕に訊ねた。
「そう言えば、用があって来たのよね? どうしたの?」
「そうでした。今日は訊きたいことがあって来たんでした」
「訊きたいこと? ええ、いいわよ。そうだ、主人も呼ぶわね。英雄の昔馴染みと会うなんていつ以来だろう、って喜ぶわ」
話すと、外から大きな声で白白を呼ぶ。
微かだが、階段から降りてくる足音が聞こえてくる。
「ありがとうございます。少し長話になるかもですけど、大丈夫ですか?」
「え? ああ、そうね、時間なら大丈夫よ。このままでも問題ないわ。兎音くんは大丈夫なの? ご両親は心配なさらない?」
「はい。問題ないです」
「そう、ならよかったわ」
明らかに〈長話〉という単語に反応した。まあ、こんな時間に訪ねておいて長時間いますよ、なんて言われたら引くよな。
引きつった笑顔を浮かべる巴メを前に、絶妙な時間が流れる。
誰でも経験したであろう、友人の親と二人っきりの時間。友人と比べても関係値が築けてない分、大人も子どもも双方気まずい、独特の空間。
白白が来るまでの間、特に話すこともなく沈黙が続く。
「やあ、久しぶりだね。いつ以来かな、君がここへ来るのは」
「お久しぶりです。白白さん」
靴に履き替えた白白は、巴メの横に並ぶ形で僕の正面に立つ。
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