第三章 元・物語主人公/藍乃夫妻 ~2ー1~
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後日、朝のHRが終わったあと、
どうやら
タイミングも良かったらしく、どうやらピンポイントで今日だけ予定が空いていたらしい。乃手坂先生からは『今日の昼休みに、別館にある演技指導室へ行きなさい』と、言われたため、授業をなあなあで受けながら昼休みになるのを待つ。
チャイムが鳴る。
四限目の終わりと、昼休みの始まりを知らせる。
僕は後方から聞こえてくる声を無視して、靴箱へと向かい演技指導室を目指す。どうして一度靴に履き替えるのかというと、別館は校舎裏にあるのだ。特進コースの人達は、靴に履き替えずとも直接渡り廊下を経由して行ける。勿論、我々普通科の生徒も特進コースのある棟を跨げば行けるのだが、如何せん僕の背後には黒い噂がある。
通りがかりに
まあそもそも、一年、二年、三年の教室と各学年の空間があるように。特進コースと普通科をばっさりと、明確に隔絶するようなやり方はいささかどうかと思うが、それで未来溢れる物語の役が生まれるとなれば、文句ひとつ思いど言うまい。
僕は吹く風を肌で感じながら、空を仰ぐ。
眼を射て指す太陽が隠れることのない晴天の中、今日の目的を再確認する。天宮剣一の人物像と性格の把握、近辺の情報収集、そして特に大事なのは、僕を信用させること。正確に言えば、僕が天宮を訪ねても天宮自身はそれに不信感を抱かない程度の信用を得る必要がある。そうすれば、天宮に会いに行くハードルは下がるし、誰かを通してアポを取るなんてことをしなくて済む。正直手間がかかって面倒臭いんだ。ともかく、これらを意識して天宮と接触する。
今回の目的を一通り確認したところで、丁度別館に到着した。
遠目から見るより、近場から見るとより大きい。下手すると学校の半分くらいの大きさをしている。別館というより、大規模な施設のような感覚。実際、別館内には物語と関わる上で必要な技術と経験を積むための設備が、必要な数だけ整っているらしい。内部がどうなっているのかは知らないが、藍乃曰く、『基本何でも揃ってる。逆に何が揃ってないのか気になるくらい』と言うほどだから、よっぽどなのだろう。
僕は受付まで移動し、演技指導室がどこにあるか訊ねる。
受付人が言うには、正面入り口つまりここから右手に進んで、突き当りを左に進んだ場所にあるらしい。僕は差し出された用紙に、学科、学年、名前、学籍番号を書く。お礼を言って演技指導室へ向かった。
演技指導室の正面に立ちドアをノックする。中から「どうぞ」と、天宮と思わしき声が聞こえ、僕はそのままドアを開け指導室へ入る。
一見、よくある生徒指導室、広さは教室の3分の2程度。一人だけが所有している部屋としては広い。入り口の右手側は棚となっており、様々なファイルやノート、教材が置いてある。左手側は観葉植物にロッカー、コピー機、そして何故か水道とシンクがあり、その上部には鏡が設置してある。
一通り周りを確認したあと、僕はすさまじい嫌悪感に襲われた。
壁には天宮が務めていた物語に関するポスターがびっしりと貼ってあり、その中には天宮の宣材写真もある。ディスクの上にはパソコンやファイル、プリント類のほか自身のグッズと、物語で使用したであろう品々が飾られてある。指導室全体がまるで、天宮が気持ちよくなるだけの空間と化している。自己顕示欲の塊、自己陶酔、自意識過剰・・・・・・まだ会ってもいないのに、こんなことを思うのは失礼なのかもしれないが、お世辞にも気分がよくなる場所ではない。
天宮剣一の物語のファンなら、ここは楽園なのかもしれないが。
指導室の左手奥から白衣のスーツを纏った男性が姿を見せる。
身長は一八〇かそれ以上、前髪が少し垂れ微妙に崩れたオールバックには、似つかわしくない縁のない丸眼鏡を着用していて、レンズの奥は柔和で優しい瞳をしている。韓流アイドル顔負けのスタイルに加え、その顔立ちときたら国外からも人気のありそうな造形をしている。
「やーやー、君が噂の・・・・・・おっとっと。乃手坂くんの言っていた水扇兎音少年だねー? 初めまして。うんいーや、二度目の対面と言うべきかな?」
気さくに話しかける天宮は自身のディスクへ向かい、僕の前に椅子を用意すると、そのまま自分の椅子に座り足を組む。するとどうしてだろう、あんなに高かった彼の身長は、想像よりもはるかに小さくなった。
「と、言っても? 君がノア少女といたとき、逆光で君の顔は確認しづらかったし、やはり今回が初対面と言うべきかな。初めまして兎音少年。知っているだろうけれども、私の名前は天宮剣一。物語の主人公を見事に演じ、今はこの学校で未来ある原石たちに私の知恵と経験を授け、次なる演者を育てている特別講師だ。以後、お見知りおきを」
「どうも」
僕は素っ気なく、少し頭を下げた。
何ともやりにくい相手だ。言葉の節々からナルシシズムを感じる。もし、こんなスタイルと容姿を兼ね備えていなかったら、ただの腹立つ野郎だっただろう。まあ事前に僕は、天宮が未成年に手を出すような最低野郎だと知っているから、こんなことを思えるのだろうけど。
「それで? 今日は私に用があるとのことだが、私直々に演技の指導でも仰ぎたいのかい? 兎音少年は控えめに見えて、意外と業突く張りだねぇ」
天宮は、さあさあ、座りなさい。と言わんばかりに、僕の目の前にある椅子に手を向け促す。
「いえ、違います」
答えながら、僕は用意された椅子に着席する。まるで自分が最初っから求められている、と言わんばかりの、その態度にまたしてもナルシズムを感じる。
第一印象としては、自己陶酔型の典型的なナルシスト。加えて天宮は、未成年に手を出し、機密情報を洩らすような守秘義務を守れない人で、前の物語の主人公。しかし、どうしてだろう。悪事を平気で行えるような悪人には見えない。
矛盾している考えとは承知しているが、最低野郎なだけで悪人には見えないのだ。
・・・・・・まあいい。
この柔和な顔面に騙されているだけで、仮面の下は醜悪な面をしているのかもしれないし。今は余計なことは考えず、目的達成のために善処しよう。
僕は天宮の表情の変化を見逃さないよう、目を離さず話す。
「
天宮は意表を突かれたのか、上がっていた口角は下がり眉をひそめた。その表情は濁り、その内には寂しさと悲しみと喪失、複数の想いが混同している。僕はその様子を見て、どうして天宮剣一が歴代の物語の中で多くの人気が集まったのか。その理由が今、わかった気がする。
表情で語るのだ。言葉の要らない、非言語コミュニケーション。
自然と湧き出る感情を表に出すのは簡単だが、人工的に創り出した感情や情緒を表に出すことは難しい。ましてや、複数の感情をひとつの表情落とし込むのは尚更だ。しかしこの人はやってのけている。複数の感情が完璧に調和している。天宮が茨咲さんの恩師だというのは間違いないらしい。茨咲さんもまた、表情で言葉を伝えることに長けていた、それも藍乃以上に。
不本意なことではあるが、天宮はプロであり、敬意を払うに値する。
それほどまでに卓逸した技術を、その片鱗を、たった数秒の表情から感じ取ることができた。
僕は思考する精神世界から、天宮から発せられたひとつ息を吐いた音と共に、現実へ引き戻った。
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