第三章  元・物語主人公/藍乃夫妻 ~1~


第三章  元・物語主人公/藍乃夫妻


 1


 休日も終わり月曜日。場所は英譚高校、放課後。作戦決行は一週間後と設定した。

 もう少し先でもよかったのだが、この一週間という時間設定はあくまでも建前であり、必ずしも達成すべき期限などではないらしい。なら意味はないのではないかと思うかもしれないが、茨咲いばらさきさん曰く『時間設定はモチベーションに関わってくる』とのこと。あらかじめ期間を設定しなければ、多かれ少なかれ中弛みする可能性も加味してのことらしい。


 実際、時間を設定してくれるのはありがたいことではある。僕のような人間は、夏休みの宿題を最終日まで手を付けずにダラダラと過ごすタイプなので、否応でも頑張れる――たしかこれを、パーキンソンの法則とか言うんだっけ? まあ、いいや。最後の最後まで取り組まないなんてことはないよう、尽力せねば。


 そこで最初に建てた作戦は、天宮剣一あまみやけんいち先生と対面すること。

 それでは意味がないじゃないか! と思うかもしれないが、とんでもない。茨咲さんや原良はらら先輩は天宮剣一がどんな人物で、性格で、態度で接するのか知っているのかもしれないが、僕は知らない。それに、僕は自分から天宮剣一と対談すると立候補している。お二人からは一旦保留を食らったのだが、僕は木海月刑事との約束もあるため、そこは譲れない。・・・・・・ということもあって、僕はひとまず天宮剣一と会って話をする必要がある。

 

 だがここで重大な壁にぶち当たった。

 僕は天宮剣一を校内で見たことがない。見たことないは言いすぎか。写真や映像では見たことあるのだが、集会以外で天宮剣一と会ったことはないし、すれ違ったことも一度もない。せいぜい遠くからシルエットを目の端で捉えたくらいだ。


「それなら、うちか先輩が先生を呼ぼうか? いきなり凸するよりも、うちらを通した方が自然じゃない?」


 と、茨咲さんから提案を受けたのだが、僕の独断で丁重に断りを入れた。


 茨咲さんや原良先輩は知らないと思うが、僕は木海月きくらげ刑事からの情報で天宮剣一は警察に目を付けられていることを知っている。おそらく、自分のことを探る者に対して警戒心を強めているに違いない。


 もし茨咲さんや原良先輩を通じて僕が会いに行ったとしても、茨咲さんと原良先輩の口から第三者である普通科の僕の名前が出るとなると、それは逆に不自然だ。僕が逆の立場だったら、どうして教え子の口から噂の問題児である水扇兎音の名前が出てくるのか、疑問を抱かずにはいられない。

 この考えを説明すると、「それもそうだね」と納得してくれた。


「とするならどうするんだ? このメンバー以外で、天宮剣一と接触できる人間なんて限られる。それに、お前は噂の中心人物だ。頼れる奴なんているのか?」


 原良先輩から鋭いことを言われたが心配することはない。僕には唯一頼れるスーパーマンがいる。


「それに関しては頼れる人がいるから、任せてほしい」


 と、僕は原良先輩に返答すると真顔で「わかった。それなら任せる」と一言いい残し、僕の肩に手を置いた。多分信用してくれているのだろう。

 その信頼を裏切るわけにはいかない。


 職員室の前に立った僕は、ドアをノックする。


「二年四組の水扇兎音すいせんとおとです。乃手坂のてさか先生に用があって来ました。乃手坂先生はいらっしゃいますか?」

「乃手坂先生はいません。用があるなら俺から伝えてやるよ」


 ずかずかと近づいてきた城愛じょうあいは、僕の正面に立つと見下げ話す。


「俺も乃手坂先生も他の先生たちも、今は忙しいんだ。生徒に構っていられないほどにな。――ったく、なんて空気の読めねぇ奴だ」


 この人は自分が先生だという自覚はあるのだろうか。

 わざわざ僕に聞こえる声で囁くように呟いたあの言葉は、明らかに嫌みにしか聞こえない。そもそも何故、情愛が職員室にいるのか謎だ。生徒指導室は別にあるだろうに。


「いえ、先生の気遣いはありがたいですが、僕は城愛先生ではなく乃手坂先生に用があるので」

「だ~か~ら~。俺らは忙しいんだよ? 聞こえなかったかぁ? お前が行って、乃手坂先生の貴重な時間を取らせるより、俺から伝えた方が早いって言ってんだよ」


 腰に手を当て、深く長い溜息を吐く。まるで〈物分かりの悪い奴だ〉と言わんばかりの態度。何故こんな悪態をつくのだろう・・・・・・と考えていたが、よく職員室を視ると城愛以外先生は誰もいない。どうやら城愛の奴、他に先生がいないことをいいことに、言いたい放題言ってやがる。


「はあぁー・・・・・・」


 思わず僕もため息が出る。僕が折れて城愛経由で乃手坂先生に伝えてもらってもいいのだが――いけ好かないし、なんか嫌だ。


「おいおいおいおいおい、教師に向かってため息吐くとはいい度胸だ。あんまり大人を舐めてっと、あのときみたいに殴ぅ・・・・・・」

「おや? 職員室のドアの前で何をお話ししているんですか?」


 背後から音もなく、唐突に声が聞こえ、僕はぐるんっと後ろを向く。

 乃手坂先生だ。にこにこ微笑みながら、微動だにせず城愛に視線を合わせている。


「あ、ああ、先生、実はですね、こぃ・・・・・・んっんん。水扇兎音があなたに用があるとここへ来てね。丁度私がここに居たし仕事も片付いたから、私が伝えてあげようと話していたんだが・・・・・・水扇兎音は業突張りだねぇ、本当に。私が伝えてあげるというのに、頑なに言うことを聞かない。それどころか、ため息を吐く始末。私に言えば、わざわざ先生の時間を浪費することもないし、手を煩わせることもない。私が伝えれば、私が・・・・・・」

「城愛せんせい」


 乃手坂先生は静かに、でも、どこか重々しく城愛の名前を呼ぶ。

 その声に驚いたのか、城愛は驚いた表情を浮かべ、口を綴んだ。だが乃手坂先生の表情は依然変わりなく、にこやかな微笑みを浮かべ直立している。声と表情のギャップが凄いというか、なんというか。城愛と同様、僕も驚きを隠せないし、委縮してしまう。乃手坂先生は城愛から視線を外さず続ける。


「城愛先生。言いたいことは大体わかりました。ですが、教師である我々は言葉を選ばなければなりません。生徒は先生の言葉遣いから学び、先生は生徒を健全に育てる義務がある。我々は言葉を選び、言葉によって生徒を育むことも重要なのです。それに『○○してあげる』という言葉、好ましくないですね。我々は教える立場でありながらも、対等でなくてはならない。上からモノを言うのは、教育ではなく指導です。教育と指導、似て非なる言葉ですので使い方には気を付けてください。俺だって間違えることはありますがね」


 ふふっ。と笑う乃手坂先生はいつもと違って、どこか不気味で――

「それと『伝えたいこと』が、水扇くんにとってプライバシーな内容だった場合、直接担任である俺に話したいと、はやる気持ちも共感できやしませんか? 端から突っぱねるより、寄り添うことを意識した方がいいでしょう。加えてです、先生。俺がここへ来たとき『あのときみたいに殴る』と、言いかけませんでしたか?」

「いや、それは、まったくもってそんな・・・・・・」

「先生がどのような意図で言いかけたのかは知りませんが、言葉には、気をつけるように。先生は〈主人公喪失事件〉当時、生徒を殴るという暴挙に出た。水扇くんが犯人だと考え取った、咄嗟の行動だったとしても、教師である我々は如何なる場合においても、生徒に手をあげるなんて言語道断。先生、あなたは水扇くんの善意と許しがあって、まだ教師を続けられている。それを、忘れてはいけませんよ」

 ――どこか恐ろしい。


 城愛はぐうの音も出ないのかプルプルと拳を震わせ、歯ぎしりをしている。まさしく怒り心頭、といった様子だ。だが、正論であるがために何も言えず、視線を僕に移し睨みつけた。


「・・・・・・・・・・・・」


 城愛は僕を押しのけそのまま廊下を渡っていく。乃手坂先生はその様子を眺め、職員室へと入る。


 このとき、先生は何を考え、思い、感じていたのかはわからない。

 ただただ僕は、先生への底知れぬ不気味さと、尊敬の念を抱いていた。


「それはそうと、たしか俺に用があるんだよね」

 自分の席に着いた先生は僕を呼び、隣の椅子に座るようジェスチャーした。先ほどの雰囲気は消え、いつも通りの先生に戻っている。

「まあ、座りなよ。――それで俺に話すことって、何だい?」


 僕は椅子に座り、先生と対面する形で話す。


「実は、先生に頼みたいことがあって」

「頼みたいこと、かい?」

「そうです。この学校の特進コースに天宮剣一先生がいるじゃないですか。その天宮先生に伝えたいことがあるんですけど、どうコンタクトを取ればいいのかわからなくて。先生に相談しようかと」

「ふーん。要は天宮先生に話すことがあるから、俺にどうにかしてほしいってことでOK?」

「そうです。僕は天宮先生と会ったことがないですし、普段、学校のどこにいるのかもわからないので、先生ならどうにかコンタクトを取ることができるかなと」

「まあ、それくらいのことなら構わないが、俺が・・・・・・」

 

 言いかけたところで先生は、しまった、という表情を浮かべた。

 何に対して、しまった、と思ったのか知らないが、申し訳なさそうにする。


「いや、わかったよ。天宮先生の方には、俺が伝えておこう。ただ彼は今、多忙を極めているから、あまり期待はするなよ?」

「わかりました。先生、ありがとうございます」

「何を言う。先生は生徒に頼られてなんぼ仕事さ。それより、先生は――先生たちは君に謝らないといけないことがある。〈主人公喪失事件〉のあのとき、君を傷つけてしまった。変わって謝罪する! すまなかった!」


 先生は前髪が膝に触れるくらい、深く頭を下げた。教員が頭を下げる場面をネットニュースでしか見たことなかった僕としては、その光景は面白くなんてなく、視るに堪えなかった。他人が頭を下げるのを見ても、何も思わない。だが尊敬している恩師が、頭を下げるのは違う、そうじゃない。僕自身が申し訳なくなる。この人は、僕なんかに謝っちゃいけないのだ。


「か、顔を上げてください。アレは先生の責任じゃなくて、・・・・・・城愛先生の独断です。それに、先生は前にも謝ってくれたじゃないですか。もう、何とも考えてないんで止めてください」

「そうか・・・・・・すまない。でもな、城愛先生の暴走を止められなかったのは、俺たちの責任なんだ」

「・・・・・・わかりました。同じ過ちを繰り返さないよう、お願いします」


 その言葉に驚いたのか、先生は面を上げ僕を視る。


「ふっ、君は優しいんだな。わかったよ。彼も根っこが腐っているだけで、根っからの悪い人物ってわけじゃない。肝に銘じておくよ」

「先生。それはもう、悪口かもです」

「ははは! それもそうかもな。城愛先生には悪いことを言った。――それじゃあ、もうそろろろ時間だ。俺も業務が残っているから、わかり次第知らせるよ」


 僕はその言葉を聞き、お礼を言って離席する。

 廊下に出てひと息つく。これであとは先生からの報告を待つだけだ。だけど、その前に木海月刑事に報告しよう。前回の集まりで得た原良先輩からの情報を提供した方が、何かまた別の情報をくれるかもしれないし・・・・・・。否、確定していない情報を安易に知らせるのは却ってまずいか?


 ――まあ、それは後々考えよう。

 それともうひとつ、〈あの場所〉に行くべきかもしれない。

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