第一章  物語/主人公 ~4~


 4


 八時四十分。朝のHRが行われている最中。

 主人公、藍乃英雄あおのえいゆうが屋上から飛び降りた。

 スイカが割れるような、押し潰れ砕けるような音が窓の外から聞こえる。


 校内中が騒然となる。叫び、泣き、喚き、場はパニック状態だ。

 騒めきがこだまする様子を見て、嫌な予感に次いで激しい後悔が身を支配した。

 男子生徒が言った。「誰か飛び降りた、主人公の藍乃さんかもしれん」と。

 僕は慌てて教室を飛び出した。無我夢中だった。


 屋上に到着したときには、靴と鞄が置いてあった。その傍にはペンダントも。

 銀色のチェーンに琥珀が付いたペンダント。間違いなく僕がプレゼントしたもの。

 僕は飛び降りたであろう場所まで移動し、座り込んだ。

 瞬間、今までのこと、今までの思い出、今までの出会いがフラッシュバックする。

 実に愉快で、鮮やかな思い出。


 我に返ると、僕は不意に下を覗いてしまった。幾多いくたの人が蟻のように群がっている。

 一人屋上を見上げていた。男性か女性かわからない。金色の髪をしている。

 その人物と僕の視線が交差した。互いが互いを認識したのだ。

 だがそんなことはどうでもいい。今は、現実になんか居たくない。


 呆然とする。何も考えず、ただただ空を見上げる。雲ひとつない晴天だ。

 皮肉なものだ。せめて大好きだった雲があればよかったのに。


 屋上の扉が勢いよく開く。城愛じょうあいを筆頭に数人の先生が飛び出してきた。

「なにしとるんじゃあ!」城愛が怒声を響かせ、向かってくる。

「なにをしたか! お前は理解しとんのか!」僕の胸ぐらを掴み、唾を飛ばしながら叫ぶ。


 何も答えない僕に、城愛の怒りが沸々と湧いているのがわかる。

 顔じゅうにある皺を顔の中心に集め、怒りをぶつける。

 左の頬に平手をひとつ。また左の頬に平手ふたつ。次に拳を振り上げる。

 鼻先に飛んでくる寸前、担任の乃手坂のてさか先生が止めに入った。


「先生、暴力は容認できません」

「うるさい! こいつは我が校の誇り! 藍乃英雄を殺したのですぞ!」

「理由になりません! 教師は生徒を守り! 育む責務がある!」


 城愛は拳を下げ、舌打ちをする。納得はしていないようだ。


「それに彼は彼女が自殺したとき教室にいた。彼女を殺した証拠は、どこにもありません」


 さらに舌打ちをして、城愛は僕を離す。倒れた僕に対し、乃手坂先生が肩を貸す。

 もう大丈夫だよ。安心して。その言葉に僕の意識は遠ざかってゆく。

 どうやら一発目か二発目がクリーンヒットしていたらしい。視界が歪む。

 意識が飛んで、暗闇に落ちる。


 そして願う。夢から醒めますように、と・・・・・・。



 ここまでが主人公の物語――物語が始まる前に幕を閉じた主人公の物語。

 始まることもなければ、終わることもない。

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