第一章  物語/主人公 ~1ー2~


「はぁー。ほんっと、くだらない」


 ケラケラ笑いながら、藍乃あおのは僕に寄りかかる。


「でもそれがいいんだろ?」

「そりゃそ。勿の論」

「――あっ、それと憶えてるか、近所でこっそり飼ってた猫の〈ニャー助〉。野良猫だったけど人懐っこくて、久々に会いたいなー」


「・・・・・・・・・・・・」

「今頃どうしてっかな? 寿命とかで死んでなきゃいいけど」

「うん。そうね、そうだね」

「どっかの裕福な家で飼われてりゃいいけどな」


 藍乃は俯いて、黙って僕の話を聞いていた。

 藍乃も寂しかったのかもしれない。なんせ〈ニャー助〉とはもう数年は会っていない。途端、僕も少し寂しくなったが、


 藍乃は僕の背中を叩きながら、にんまりと笑う。


「きっとそうだよ! ニャー助ってとっても元気だったし!」


 そう言うと、藍乃は姿勢を崩し続けて話した。


「じゃあー、兎音とおと。時間も迫っていることだし、最後にあたしとあんたで、ひとつずつ質問し合いっこしようよ」

「ははっ、なんだよそれ」

「いいじゃん。兎音だって色々あたしから訊いたんだし、あたしもーいろいろー、ききたいなー?」

「あーはいはい。わかった、わかった」


 やったぜ。と、藍乃は両腕をパタパタして喜ぶ。


「じゃーまず僕から・・・・・・そうだなー、物語についてどう思う?」

「え? なんて?」

「いや、だから、物語についてどう思う? だって藍乃は特進で主人公になるために、勉強してんだろ。だから色々知ってんじゃないかなーって」


 藍乃は難しい表情を浮かべながら、腕組する。


「因みにぃー、どうして物語について訊こうと思ったの?」


 藍乃の問いに対し、僕は「なんとなく。ふと、そう思ったから」と答えた。


 僕としてはあまり大それた質問を投げかけたつもりはなかったが、藍乃からしてみれば、シビアな質問だったのかもしれない。そう考え、僕は少し後悔した。ある程度悩み考えた末、藍乃は両手を後ろ出して支え、空を見上げる。


「あたしの全部、かな。だってほら、あたしって物語の主人公になるために頑張ってるから。それはもう魂を削っても成し遂げたい目標であり、ゴールであり到達点だよねっ!」

「ほほう、なるほどねー」


 やはり、僕の想像を超えるほどの気概だ。身を粉にするというレベルではなかった。たしかに藍乃は幼稚園児の時代から、主人公になるためのレッスンを受けていた。それが功成したのか、今じゃできないことの方が少ないほどに、その才能は開花している。


 藍乃は僕の顔を覗くと変わらずの笑顔で訊ねる。


「兎音はどう思っているの? ほら、物語について」

「どう、と訊かれてもなー」


 僕自身ふと思いついたことで、なんとなく。としか言えない。

 だが、藍乃が求めている答えが別にあることはわかっている。

 僕にとっての物語とは何か。それを訊きたいのだろう。


「うーん、難しいな。今まで考えてきたこともなかったし」

「だよねー。そう言うと思ったよ」


 藍乃は見透かしていたかのように、頷いた。


「だから、あたしの思う物語について、もうひとつだけ教えたげるっ」

「なんだよ、お前の到達点ってこと以外に、まだあるのか?」

「あるよ。それはね、担当の先生に色々と教えてもらったから、思いついたんだけど――」


 次の言葉に、僕は度肝を抜かれた。


「――物語の存在そのものに疑問である。ということだよ!」

「はあ? それって意味わかんねーぞ?」

「つまりだね、小説、漫画、映画、アニメ・・・・・・それらはあくまでも創作上の物語であって、現実じゃない。では、現実に存在する物語とは? 一体何なのでしょう?」


 藍乃の言っていることが、もし、〈本来物語は存在などしない〉という意味なら。僕には到底理解できない考えだ。そもそも、物語とは昔から伝わる――いわば各国共有の伝統であり文化だ。日本の歴史を遡れば、その物語はごまんと出てくる。


 最も古い物語の主人公は弥生時代から伝わる卑弥呼や日本武尊ヤマトタケル。そして最もメジャーな物語の主人公としては、宮本武蔵に織田信長、坂本龍馬や土方歳三の名がすぐに出てくる。数多くの過去の遺産、伝記や伝聞から物語の存在は周知の事実。今もなお語り継がれる伝説的な物語だってある。


 日本だけじゃなく各国でも、現在進行形で物語は紡がれている(まあ日本は今、物語の外伝が紡がれているわけだが)。その規模は国家レベルで行われ法律まで存在し、多くの者が関わり後世へと語り継がれている。それを否定することは即ち、現実を否定することと同意義ではないだろうか。


 藍乃は今、すべてが虚像なのだと、言っているようなものだ。

 僕には到底理解できない質問だ。


 それに、もし――絶対にありえないが、物語そのものが空想の産物だとして。今行われているモノは何なのか、歴史とは何なのか。藍乃の成し遂げたい夢を全否定するような、そんな疑問だ。


「えっと、つまりは〈物語の存在〉が曖昧である、みたいな感じか?」

「うーんっとね。簡潔に言えば〈物語の存在そのものに違和感がある〉って感じかな」

「どうだろう。僕の頭じゃよく理解できないや」

「ムムっ! もしかして本気で考えちゃった? 物語とか主人公とかが存在する理由」

「ん? まあ、そうだな」


 そう返事をすると、ゲラゲラと藍乃は笑い出した。

 おおよそ、麗らかな女性から出そうもない、ガチ笑い。


「あーもう。本当に兎音ってば真面目ちゃんなんだから」

「な、なんだよ」

「あんなの素朴な疑問と一緒よ」

「素朴な疑問って。素朴にしては重かったな」

「そう? 人はどうして生まれて、何故生きているのか。くらいじゃない?」

「うん。十分重いな、それ」


 そう話し、藍乃と僕は二人してケラケラ笑った。

 人前で平然と笑えるのは、おそらく藍乃だけだな。

 いや、藍乃の前だから笑えるのかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、昼休みが終わる予鈴が校内に鳴り響く。


「あれ! もうこんな時間!」

「らしいな、随分と話に夢中になっていたしな」

「う~ゆぅ~」


 と、藍乃はほっぺたを膨らませ、しょぼんとした表情を浮かべる。別にこれが最後ってわけでもないし、また機会があれば会えるだろうに。


「じゃーあー、あたしからの質問ねっ!」

「さっきのは質問じゃなかったのか?」

「違うよー。あれは、兎音の質問を質問で返しただけー」


 それは質問ではないのか。とも思ったが、野暮なことは言うもんじゃない。


 藍乃は立ち上がり、袴についたゴミを払う。

 両腕を天高らかに伸ばし、ついでに背も伸ばすと僕へ質問した。


「あたしがさ、もしも・・・・・・、もしも兎音を失望させることをやっていたとしても、あたしと友達でいてくれる?」


「ふっ、なんだよそれ」

「いーから。答えて」

「どうなろうと親友だ。僕には藍乃以外いないんだから」


 藍乃は僕の返答を聞くと、振り向き僕を見る。

 一瞬複雑な表情を浮かべながらも、最後には最高の笑顔で言った。


「やったぜ!」


 藍乃はそう言うと、屋上のドアを開けその場を去って行った。お互い奇妙な質問をしたな、とひとつ息を吐き僕はその場に横たわった。顔にタオルを置くと物語について多少考えつつ、眠りについた。

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