第一章 物語/主人公 ~1ー1~
第一章 物語/主人公
1
これはまだ
始まりは、僕が在籍する
加えて、校内は生徒たち先生たちの声で満たされている。駄弁り声、笑い声、運動部の声、談笑、物音、足音、流れる音楽。すべての音が入り混じり、学校全体に充満している。これ以上にないほど完璧なシチュエーション、絶好のうたた寝日和。そうして深い眠りに入ろうとしていたとき、屋上のドアが開く音が聞こえた。ドアの方から聞こえた足音は僕の方へ一直線に来る。僕は顔に置いていたタオルを取り、太陽の日光に若干目をくらましながら、ドアがある方へ視線を送る。
そこには見覚えのある姿があった。
綺麗に整えられた前髪に、漆黒色をした胸元まで伸びる艶やかな髪。目元はぱっちりしていて、人形みたいな瞳。程よく焼けた肌に、血色のいい唇。スタイルもモデル並みで、例えるなら大和撫子風美少女。何より、学校指定の制服ではなく何故か、紅色を基調とした鮮やかな袴を着ているので、より大和撫子感が際立っている。
藍乃英雄だ。
僕とは顔なじみ――というか、幼馴染。幼稚園生から今日に至るまで、ありがたいことに友達という関係を続けさせてもらっている、友人の藍乃英雄。
「そこで何しているの?」
僕は藍乃を見上げながら答える。
「ええっとー。昼飯も食べたし、いい天気だし、風は心地いいし、そのまま昼寝でもしよう・・・・・・かと」
ふーん。と藍乃は既に用意してあった言葉を機械のように発し、僕の横へと移動した。僕の真横に座ると何も言わず、ただ遠くを眺めながらじっとしていた。
藍乃と話すのは――会うのはいつぶりだろう。
昔の頃はよく遊んでいたが、藍乃とは中学入学を機に疎遠気味になっていた。それでもまだ友達でいれたのは、藍乃の方から接点を作ってくれたおかげなのだが、昔ほど頻繁に遊ばなくなったし、会わなくなった。英譚高校――つまりはこの学校に入学してからは会う頻度はさらに減り、現在、高校二年生の春。藍乃とはまったく会っていない。僕の積極性のなさが原因のひとつであることには間違いないけど。
しばらく沈黙が続き「最近さ、どんな感じ? 元気してるか?」と、特に何も思いつかず、近況報告も兼ねて僕は藍乃に訊いた。久しぶりに会ったこともあり、少し他人行儀っぽくなった。藍乃はため息を洩らしつつ、口を尖らせながら静かに答える。
「元気だよー。元気だけど不健康。忙しさは一年の頃と変わらないけど、プレッシャーは前よりも感じてるねー。お肌がかっっさかさ」
「・・・・・・そうか」
藍乃はそう言うと自分のほっぺたを触りながら少ししょぼんとした。やはり女性にとって肌の状態というものは、自分の髪と同じくらい大事らしい。そんな藍乃を見て、忙しいのも無理はない。と、思った。
ここ英譚高校は物語の役を育成するという、ほかの学校と類を見ない特殊な高校だ。主に普通科と特進コースのふたつに分かれており、僕が所属している普通科は文字通り他の学校と変わらない基礎科目を勉強する。しかし藍乃が所属している特進コースは、基礎科目に加えて物語における重要な役を担えるほどの素養と資質を磨き、自身の才能を伸ばすようカリキュラムが組まれている。その内容はハードで、入学してすぐ辞めた人は幾多もいる。だが英譚高校の特進コースを卒業した者は、将来必ずと言っていいほど物語に関わる。スパルタ教育ではあるが、そこには実績と約束された将来がある。
その中でも、藍乃英雄という人物は校内でも有名で、知らない人はいないレベル。
何故なら、藍乃英雄は、次世代の主人公候補の一人。
しかも、藍乃英雄は、物語の主人公に一番近い存在。
学校中の人たちが藍乃に期待している。そして藍乃は入学してから期待値以上のものを求められている。噂によれば、あの前・物語の主人公である天宮あまみや剣けん一いちも一目置いているらしい。そうなってくると、嫌でもプレッシャーを感じるだろう。
そして僕が藍乃に声を掛けなくなった理由がこれだ。
普通科の――端役でしかない僕にとっては、友達だった、だけでも誇らしい。幼馴染だった、だけでも喜ばしい過去の名誉。脇役にしては上出来な経歴だろう。
「兎音はどう? 久しぶりに会ったけど・・・・・・友達作れた?」
藍乃は煽るように、冗談めいた口調で訊いた。
「そりゃあ、いるさ」
「本当にぃ?」
「本当だって――おい、コラ。眉をひそめるな。疑うんじゃあない」
「じゃあ言ってみてよ。あたしと?」
藍乃は僕を見ながら手を耳に当てて促す。その表情は先ほどと違い、笑みが零れる。
「お前と・・・・・・」
「うん。うん。あたしとぉ?」
「・・・・・・・・・・・・ぼく」
「くふッ」
藍乃は手で口を抑えながら、ニヤニヤ笑っている。まるで人を馬鹿にしているような顔だ。ひょっとして僕は今、藍乃に煽られているのだろうか。久しぶりに会った友人の態度に少しイラッとしながらも、不思議と嫌な気持ちがしない。どちらかというと、懐かしい感覚がする。久しく会っていなかったが、今までのブランクをまるで感じさせない。
やっぱり、変わらない関係というのは、居心地がいい。
藍乃は、はぁーと息を洩らし潤んだ瞳を指で拭った。
「兎音は昔から人付き合いが苦手だったからね、今でもそうなのかなって思ったけど、想像以上に想像通りで安心したわ。それでこそ兎音だよ。やっぱ久しぶりに会っても、変わらない関係って居心地がいいもんだー」
そう言いながら藍乃は笑顔のまま、僕の背中をペシペシ叩く。
どうやら僕の記憶通りの藍乃に近づいてきたみたいだ。久しぶりに会ったとしても、他人行儀で礼儀正しい人じゃあ面白くない。――と思いつつも一番よそよそしくて他人行儀だったのは僕の方で、面白くないと感じ取ったのは、藍乃だろう。
「奇遇だな。僕も同じことを考えてた」
「え? なにそれ、あたしの心読んだの? キモー」
「キモい言うな、傷つくだろ」
ここで言い返しても、どうせ傷つくのは僕なので話題を変えた。
「そんなことより。久々に会ったんだし語り合おうじゃないか」
「急に強キャラ感出さないで、あたし困るよ?」
と、藍乃はヘラヘラ笑って答えた。
そのまま藍乃は胡坐をかこうとしたが、やめて横座りに落ち着いた。
「藍乃はここの特進コースにいるわけだろ。正直な話、特進コースってどう? ハードだってことは聞いているけど、どんなことすんの?」
英譚高校の特進コースは、物語に関わる人間を育成する場所だということは知っている。そのため特進コースにかける費用は尋常ではない。どでかい施設型の別館を創るくらいには金をかけている。そんな将来有望な人材を育成する学科のカリキュラムは気になる。現にこのご時世には珍しいスパルタ教育だと聞くし、途中で止める人もチラホラいるらしいので、さらに興味が湧く。
まあ藍乃が心配というのも・・・・・・、一割あるかもしれない、けど。
ともかく。
特進コースで行っていることを知るのはこの機会をおいてほかにない。
まあ、これは僕の単純なる好奇心だが、訊いて損なし知って損なし。
僕の問いに藍乃は指を使って、下唇をふにふにした。
「いいよー、別に話しちゃダメとかないし」
「よっしゃ。ラッキー」
「基本的には基礎科目プラス、それぞれの生徒に個別のカリキュラムが設定されていて、それに従って授業を受ける感じかな。あたしは主人公を目指しているから、基礎科目と主人公養成課程に入っているから、主人公に関しての勉強をしているの。スパルタ教育だと思われてもいるけど、あれは嘘よ。追い込むときは追い込んで、そしてしっかりと休む。それが鉄則だから。・・・・・・まあ、辞める人もそりゃいるけど」
なるほど、スパルタではないのか。
最後の一文は気になるところではあるが、ひとまず安心した。
どうやら僕は、噂に踊らされていたらしい。
「へぇーカリキュラムが違うってのは知ってたけど、個々によって違うんだな。それに専用の先生もいるのかよ。へぇーやっぱ特進すげぇー」
「ふっふん! 凄いでしょ? ドヤャー」
「うわー、頭がたけー」
お互い談笑しながら、話題を変える。最近没頭していること、少しイラっとしたこと、滅茶苦茶に爆笑したこと。他人が聞いたら失笑するような、どうでもいい話をして盛り上がった。
今までの空いた時間を穴埋めするかのように。
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