第9話 亥の男

 イクサの開始から3時間ほどが経過した時点で早くも二人が干支を失う事態。

 特に酉──主水に関しては片腕を失う再起不能であり、天覧に設けられているギブアップ機能で命からがらの逃亡である。

 いくら即死していないと言えども放置されれば遠くない未来に命を落とす。

 主水に残された一縷の望みはキョウトに来て早々に出会った亥の干支を持つ男との合流。

 半信半疑だった梅香の失った視力も治せるという、男が持つ治癒の妖術にすがるしかなかった。

 干支を放棄して遮幕から弾かれた参加者はただでさえ誰も居ない区画に飛ばされる。

 そこに例の男がすぐさま駆けつけるなど普通に考えればありえない。

 仮に他者から奪った干支を所有しているのならば違うのだろうが、今の主水には約定書と折れた刀の他に何もないのだから。


「そろそろ俺にもお迎えが来たか?」


 意識が遠のいていき痛みすら感じない主水は自分の死を覚悟する。

 ああ、もうすぐ死ぬのかと。

 そんな視力も弱まった虚ろな彼の目に誰かの足が見える。

 具足のように頑丈な鞣し革で包まれた大きな足元。

 ブーツ履きの男が主水の横に現れた。


「キミたち殺しを生業にした仕置人が、こうもあっさりと屠られるとはね。これも諸行無常の響きあり……かな」

「その声……まさか亥の男か?」

「そのまさかさ。オレが来たのがよほど嬉しかったようだね主水くん」


 男の正体は亥の干支を持つ長身美丈夫。

 無情と名乗る角刈りの人物だった。

 望みの男の来訪に「これで助かる」と、主水は脂汗を浮かべていた顔を緩ませる。

 だが少しして主水は違和感に気がつく。

 彼が手に持っているのは何であろうと。


「再開できたことに梅香くんも嬉しそうだよ」


 そう言って無情が突き出したのは梅香の首だった。

 盲目の目を閉じて口からは血を溢れさせている死にたての屍体。

 首だけになった仕事仲間の無惨な姿に主水は血の気が引いていく。


「ちょっと待て。俺を助けに来てくれたわけじゃないのか?」

「もちろんキミもこの梅香くんと同様に助けてあげるさ。そもそも殺す気だったら最初に会った時点でとっくにやっているって」

「だからといって、それが助けたと言えるのか」


 生首になった梅香を見せたうえで「助ける」と言われても、主水も信じられないのは当然だろう。

 あきらかに梅香は既に死んでいる。

 これで生きているようなら梅香が鬼か妖怪にでも変異したとしか思えない。

 片腕が切断された痛みすら消えるほどの疑いと恐怖で引きつった顔をする主水に対して、証拠とばかりに頭を割る勢いで梅香の頭蓋を無情は握りしめた。

 メキメキと骨が軋む音が周囲に響き渡ると、切られた首の切断面から生えた肉が形を成す。

 主水にはもはや何が起きているかも理解できない。


「これで信じてくれないかな?」

(生首から手足が生えてきやがった。これは悪い夢か?)


 首から生えた肉が身体となり、ついに一人の男として復元された梅香らしき肉人形。

 ゆっくりと歩く姿はさながらゾンビ。

 だがゾンビなど知りもしない主水には初見の怪異でしかない。

 ゾンビ梅香は地面に這いつくばる主水の胸ぐらを掴んで片手で持ち上げるのだが、かつての梅香にはこれだけの腕力などない。

 冷静ならばそのことを知っている主水はこれだけで驚くわけだが、もはや主水は正気ではなかった。

 怪物となった梅香の姿に失禁するのみ。


「そのままキミを死なせるのは惜しい。では主水くん……しばしお眠り」


 釣り上げられた主水を釣り上げている梅香ごと、無情は不可思議な力で切りつけた。

 二人の首は切断されて生首となり、一気に絶命した主水は瞳を見開いていた。

 二人分の生首を拾い上げた無情はそれらを箱に詰めると、ゆっくりとしたすり足で何処かへ去っていく。

 約定書の地図に残る参加者を表す干支はこれで残り10個。

 他の参加者は無情という男がトドメを刺したことなど知る由もない。

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