第8話 豊満な丑と腐った子
ガルシアらが拠点にしている店に戻る一方で、晶を襲撃する前段階でのマップ状況からキョウトの南西を目指していたジャンヌ。
彼女は目下の危険要素であるガルシアから離れることを意識しすぎるあまりに通りがかりにいる他者の存在を失念していた。
「助けてジャンヌさま〜!」
幸いなことにその相手はイクサの参加者の中で最も弱い人物。
だが故にジャンヌにとっては大きな重荷になろうなどこの時点では知りようもない。
「だ、誰だ⁉」
突然見知らぬ女性に声をかけられたのだからジャンヌが驚くのも無理はない。
イクサ場であるキョウトが本物の京都とは異なる異界だと気づいている彼女は顔見知りが偶然紛れ込んでいるという可能性を排除している。
それなのに自分がジャンヌであると知っている声の主の正体を、ジャンヌは良い方向と悪い方向の2パターンで考えていた。
どちらのパターンでもイクサに勝ち残った人間に与えられる願いが目当てというのは一緒。
良い方向とは自分と同じく祖国バ・バロア王朝が外的との攘夷戦争に勝てるようにと考えて参加した勇猛な若者という予想。
そして悪い方向とは、これまでの攘夷戦争において王朝側の御旗──姫騎士として数々の戦場で戦果を上げた自分を排除することを目的としている敵の人間という予想。
大まかな外見で判断すると相手は身なりが整っている貴族の令嬢と思しき少女。
それに憎しみすらある外国人特有の匂いがしないことで、ジャンヌは助けを求めてきた少女を前者だと判断してしまった。
「見たところ貴族の御令嬢のようだが……貴女もお国のためにイクサに赴いたのでしょう? しっかりしてください」
(御令嬢だなんて……わたしの家はアニメショップにだって満足に通えないクソ田舎にある一般家庭だよ⁉ むしろ御令嬢なのはアナタのほうじゃない。つい似てたからジャンヌって読んじゃったけれど、否定しないあたり偶然にもジャンヌさんらしいこの女性騎士さんよぉ)
そんなジャンヌには残念なお知らせであるが、この少女はもちろん彼女が予想したような人物ではない。
子の干支を持ち、豊満な乳房が目立たぬほどゆったりとした紺色の制服に身を包んだ黒髪おさげで眼鏡な彼女──いわゆる一部の男子を釘付けにするであろうセクシー女優さながらな地味子は眼鏡巨乳の名は硝子。
本来は年齢相応以上に少女向けを中心としてアニメや漫画が好きな大人しめの女の子なのだが、彼女の不幸は弟たちのヤンチャ具合にあった。
元々工務店勤務の父親緑郎が若い頃には地元有数のワルだった影響なのか、彼女の弟は北欧神話に因んで「フェンリル」「ヨルムンガンド」と渾名される双子の不良少年として、中学に上がった頃には札付きのワル。
そんな弟たちも喧嘩以外にはさほど悪さをしないのだが、その理由はヤンチャな弟たちを拳で黙らせた彼女の腕力である。
結果、硝子にも不良少年たちからは「ヘル」という渾名がついてしまい、そのせいで彼女自身も彼らに一目置かれている状況に困っていた。
漫画の趣味を持った一端も弟たちの影響で普通の友達がなかなか作れないことも一因なのだが、半分腐った女神の名で呼ばれるのは皮肉である。
硝子は確かにこれまでの不良に注目される生活とおさらばして、好きなだけ二次元趣味に静かに浸りたいと願った。
しかし右も左もわからない場所に放り込まれるとは夢にも思わない。
約定書と化した携帯電話の使い方もわからずに困惑していた彼女がようやく見つけた光明が、アニメに出てきたキャラのジャンヌに偶然似ていた姫騎士のジャンヌ。
硝子はいくら不良相手に大立ち回りが出来るとはいえ、それはしょせんは子供の殴り合い。
人殺しが日常だったり、戦争に明け暮れていたり、化け物相手の戦いをしていたりと、現代日本を基準にして非日常的な環境に置かれていた他の参加者と比べれば彼女は無力と言ってもいい存在であろう。
「いかが致しましたか?」
「そんなに畏まらないでくださいよ」
「いえいえ。私もこのイクサにはお国のために必勝を誓っての参戦ですが、貴族の立場でありながら同じく祖国を背負う覚悟を持って赴いた貴女には無礼な振る舞いなど到底できません」
(なんか今更勘違いですとは言えない雰囲気……こりゃあ下手に弁明するよりハッタリで通したほうが良さそうだぜ。この手の手合いは自分の勘違いを指摘されるとウザ絡みされるか逆ギレするかの二択だし、キレられて腰の剣でグサリとかされたら洒落にならないしな)
自分を令嬢扱いするジャンヌの格好をまじまじと見て、彼女の甲冑姿がコスプレではないと理解した彼女はようやく冴える。
このキョウトとかいう謎の街はアニメに出てくるような異空間に近いもので、こちらの姫騎士は大昔か異世界あたりから来たのだろうと。
なにせあからさまに人種が違う彼女と言葉が通じる時点で普通ではない。
その上でジャンヌのことを今まで出会った人間に置き換えるならば、自分のことを弟たちを顎で使う影の頭目だと思って接してくる不良に近いと硝子は直感していた。
故にもう吐いた唾は飲めぬ。
歳下の不良相手ならいざしらず、相手は剣を振り回す甲冑騎士なのだから。
(おや?)
だが硝子の小考に違和感をおぼえるのはジャンヌが優れた騎士だからであろうか。
もしもを懸念した彼女はカマをかける。
「ところで……名前を伺ってもよろしいですか? 私と年頃が同じ御令嬢というと……もしやオットー・エルフマン卿の妹君でしょうか?」
「いいえ違います。わたしの家はジャンヌ様に名前を覚えられていようがない、貴族というのも名ばかりの小さな家ですよ。わたしはロキ・ド・ヘルヘイムの長女。ヘルとお呼びください、ジャンヌ様」
(ロキ・ヘルヘイムなんて、確かに聞いたことがない名前だ。カマかけにも引っかからないし、どうやら私の思い過ごしみたいだな)
(どうやら信じてくれたようだぜ。とっさにしては上手くハッタリが効いたけれど……不本意だった北欧神話ネタの渾名が役に立つなんてね)
「では私のこともジャンヌと呼び捨てにしてください、ヘル」
「それではお言葉に甘えて。それで、いきなりで申し訳ないのだけれど──」
不本意な渾名をとっさの偽名に使った硝子と、彼女を母国の貴族令嬢ヘルと信じて同行を決めたジャンヌ。
一先ず事情に詳しそうなジャンヌとの情報交換で自分がイクサという願いを叶えるための殺し合いに参加していると知った硝子は、生き残るためにはジャンヌの手助けをするのが最善だと考えた。
なにせ殺し合いとはいえ、その目的は任意に手放せる十二支のマークを賭けた奪い合い。
ならば最後に勝ち残った誰かに自分の干支を渡してしまえば、ゲーム終了で家に帰れると硝子は推測していた。
そう考えると他の参加者について全く知らないからこそ、眼の前にいる一先ずの共闘関係にある相手を全面的に頼る他に硝子に道はない。
無論、目的が同じ母国の救済だと早とちりをしているジャンヌも硝子の持つ子の干支は頭数のうち。
両者の利害が一致したことで二人はパーティを組むことにした。
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