第6話 卯の少女、酉を落とす
水入りをする行事のように弾かれて距離を取った二人は互いに心の中で顔を歪ませていた。
痺れ薬からの段取りが全て整っていたのにも関わらず攻撃を回避された主水は次の攻め手に欠けて汗を滲ませる。
一方で晶の右手は機能を失い始めており、彼女はそれを顔に出さないように必死になっていた。
僅かに表に見せる証拠は右腕を折りたたんでの八相構え。
握力が効かないため素早く刀を振り上げる動作に不安があるらしい。
(とりあえず正眼に構えるが下手に動けば斬り下ろされるか。それにしても元服前の小僧にしてはなんて重い振りだ。ただでさえ薬が効いているハズだってのに)
実際には晶も本調子ではないため薄氷の思いなのだが、先程の突きをいなした打ち下ろしの威力を警戒して主水は彼女の出を伺う。
刀を構えてジリジリと睨み合う二人は先に動いたほうが負けだと自覚している。
どちらが先に痺れを切らすか。
(さっきからヤケに静かだ。いや……これは静かすぎるんじゃねえか? まるで動かないんじゃなくて、動けねえみたいじゃねえか)
向かい合う中で気迫だけで威竦みを狙う主水だが一向に効かない晶の様子で彼女の具合にようやく気がつく。
先程は効き目が悪いのかと勘違いした痺れ薬の効果は充分作用しており、構えるだけで相手は精一杯なのだと。
(さっきのは残った力を振り絞ったイタチの最後っ屁か。やはり俺は悪党を切る正義の刃よ。ここぞというところで天が味方してくれやがるぜ)
晶の構えはあとは精々一太刀が限度の虚仮威し。
そう判断した主水は先に動いた。
あの八相から出せる斬りは袈裟か真っ向。
間合いに入って誘い出したソレを上段で受け流せば痺れ薬で限界を迎えた晶の追撃はない。
この主水の見立ては実際に間違いないわけだが、間違っているとすれば──
「晶は力みがちだが、刃筋を通してしっかりと剃りを使って身を引けば、刀ってのは重みだけで充分切れるんだよ」
一方で痺れ薬の影響なのか、晶の脳内にこの場に居ない兄の小言が響く。
余計なお世話だし、なによりこれが幻だと自覚しているからこそ、兄の姿は晶に発破をかけたようだ。
相手が間合いに入ったのを見計らって最後の一振りを決めて、それでダメなら後は体捌きでどうにか出来ないか。
そう考える晶の斬り下ろしは小さな構えからは想像できないほどに大きく切っ先が伸びて、主水が自分の左肩の上で受け流した瞬間にピークを迎えていた。
そこから完全な脱力によりストンと引かれた刀は一切の重みも感じないほどに滑らなかな起動で腰の高さで止まり、これ以上は手が上がらない晶は刃を下段に構えながら一歩後ろに下がる。
今の一刀をしくじっていたら後は薬が抜けるまで体捌きと左手一本で切り抜けるしかない。
(流石にダメだったかな……もう腕が上がらないや)
いくら受け流したにせよ、いくら右手が鈍かろうとも、自慢の木精刀の一振りを受けて一切怯む様子もなく手首を返す主水の動きに晶は汗を滲ませた。
なにせ手応えが無さすぎた。
受け流しとはいえ鋼と激突したのならば自分の腕にも衝撃が伝わって然るべきなのに、刃は豆腐を切ったかのようにストンと通り抜けていた。
こんな手応えは相手の流しがよほど上手だったからに違いない。
自分の不調を根拠にそう思っていた晶自身がこれからの光景に最も驚く。
(もらったぁ!)
そして晶が手応えを感じていないということは、主水が感じた手応えというのも同様である。
立板を流れ落ちる水のように晶の一太刀から衝撃を受けなかった彼は、自分の受け流しが完全に入ったと感じている。
こうなれば手首を返して渾身の袈裟斬りで勝負を決めてしまおう。
左手にギュッと力を込めた瞬間、どうしようもない違和感が彼を襲った。
(なんか変じゃねえか?)
主水の使う刀は江戸中期に広く流通していた数打ちの量販品。
他の時代のモノよりも短く軽いその拵えは化け物を斬るために作られた無骨な木精刀とは正反対と言える。
特に主水は手入れこそ丹念にしているにしろ、刀は所詮斬れれば充分な人斬り包丁だという信念で使い潰す人間なので、彼の刀は長い剃刀のようなモノと言ってもいい。
そんな刀を愛用していても修復不可能な程の刃毀れを滅多に起こさない程度に主水は受け流しの技術に自身があった。
だが今回は何かがおかしい。
手首を返した際に地面に柄が引っ張られるような重みがある。
それでもあと一太刀を入れれば決着がつくと、左手を離してリーチを優先した右腕一本の片手袈裟斬りで晶の首を狙いすました。
ニカワが張り付いたように左手は離れないが研がれた刃さえ振れさえすればこれで決着。
検めるのは小僧の首をはねてからで充分。
構わず振ろうとした主水だったが──
「ぬぐわ!」
結局それは叶わなかった。
うめき声を上げた主水は錐揉みのように回転して倒れ込んでしまう。
激痛を訴える彼の刀はすっぱりと切断されて短くなっており、それは刀だけでなく彼の左腕も同様だった。
豆腐を切るように上腕が途中から骨ごと綺麗に切断されており、あまりの切れ味の良さに彼の細胞もしばしの間は「まだくっついている」と錯覚したのだろう。
袈裟懸けのために力を込めたことで筋肉が動いてようやく切断を自覚した彼の身体は遅れてきた激痛に耐えられなかった。
声も出せずに脂汗を流して倒れる主水。
約定書越しに見るオーディエンスには、あっけなく映る決着でこの天覧は幕を閉じた。
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