癒し

 見飽きるほど眺めてきたパソコンの画面。

 ふと右下に映る時間を見ると、午後の5時になっていた。


「帰るか……」


 仕事を区切りの良い所で切り上げた俺は会社を出て、近くのスーパーへと向かった。

 食い尽くされないように出来る限り食料を買い溜めておこう。


 カートを押して店内を移動しながら、適当な商品をカゴへ入れていく。

 そうしていると俺は、いつの間にか弁当コーナーへ辿り着いていた。


「夕飯買っとくか……」

 

 遅い時間だからか弁当の数は残り少ない。

 俺は半額のシールが貼られている幕の内弁当へ手を伸ばした。


「あっ……」

「あ、すいません……!」


 突如として現れた色白で美しい手がそれを阻んだ。

 俺は慌てて手を引っ込めて恐る恐る隣へ視線を移す。


「お疲れぇ……」

「お前かい……」


 そこには仕事終わりの奈月が立っていた。

 奈月は半額の弁当を片手に小さくピースサインをしている。


「やったねぇ……」

「マジかぁ……」

「早い者勝ちだから恨まないでねぇ……」

「分かってるよ……それじゃあ……また明日……」

「もう帰るのぉ……?」


 奈月はそんな声を漏らしながら、レジへと向かう俺の後を付いてくる。

 まるで飼い主に懐いている犬のようだ。

 

「買い物終わったら服屋行かないといけないんだ……2人の為に……」

「君だと分からないんじゃないのぉ……? 女の子の服とか……」

「それは……そうだけどさ……」

「お姉さんに任しときなさいよぉ……良いの選んであげるからさぁ……」

「じゃあ……一旦、家に帰るか……」

「行こ行こぉ……」


 街灯と看板の光に照らされた煌びやかな街道を2人で歩いていく。

 周囲はカップルや仕事終わりの会社員でごった返している。


「あちぃ……」

「だねぇ……」


 昼間よりは遥かにマシだが、それでも狂気的に蒸し暑い。

 タマとシロはこの暑さに耐えられているのだろうか。とても心配だ。


「ただいま〜……」

「お邪魔しまーす……」


 俺は奈月を引き連れて、居間と玄関を隔てている扉をゆっくりと開けた。

 2人が奈月を怖がらなければいいのだが、果たしてどうなるだろう。


「戻ったよ〜……」

「おかえりぃっ!」


 太陽のように眩しい笑顔を振り撒きながら、タマが腰へ飛び付いてきた。

 溜まっていた疲れが消滅していく感覚を感じつつ、タマの小さな頭を撫でる。


「よしよし……ただいま……」

「お、おかえりなさい……!」

「ただいま……留守番ありがとう……」

 

 気が弱いシロは奈月の存在を察知して明らかに動揺している。

 だが、それを悟らせないよう普段通りに振る舞おうとしているようだ。


「2人に紹介するよ……俺の同僚の三雲奈月だ……」

「初めましてぇ……奈月です〜……」

「よろしくぅ!」

「お、お願いします……」

「奈月には2人の服を選ぶ為に来てもらったんだ……」

「よろしくねぇ……」


 奈月と猫娘姉妹は優しい握手を交わした。

 この様子ならきっと仲良くやれるだろう。

 

 そんな和やかな光景を眺めながら冷蔵庫へ食料を詰め込む。

 綺麗に片付けられている食器を横目に3人へ声を掛ける。

 

「よし……行こうか……」

「うんっ!」

「楽しみです……!」

「行こぉ……」


 自宅から少し離れた所にある服屋へ向かう道中、奈月がヒソヒソと話し掛けてきた。


「あの2人は外国人なのぉ……?」

「あぁ……そうだよ……」

「やっぱりねぇ……」


 前方で夜空を見上げて興奮しているタマと、それを落ち着かせているシロ。

 奈月はそんな様子の2人を眺めながら優しく微笑んでいる。


「可愛いねぇ……」

「だなぁ……」

「2人とは付き合い長いのぉ……?」

「上京する前にちょっと遊んだくらいかなぁ……」

「ふーん……君から昔の話聞いたの初めてかも……」

「そんなことないだろぉ……」

「そうかなぁ……」


 そんな雑談を奈月と交わしていると、いつの間にか服屋の前へ辿り着いていた。

 巨大な建物を目の前にしたタマとシロは入り口の前で立ち尽くしている。


「デカアァイッッ!!」

「凄い……!」

「元気だねぇ……」

「あぁ……そうなんだよ……」


 俺と奈月は燥ぐ2人の手を引いて服屋の店内を歩き回った。

 そして、奈月の的確な服選びによって、たった30分ほどで帰路に着くことが出来たのだった。


「これくらいあれば大丈夫だな……」


 遥か前を歩く奈月とタマの背中を眺めていると、とても微笑ましい気分になる。

 大量の紙袋の紐が手に食い込もうとも、それは変わらない。


「お、重くないですか……?」

「あぁ……平気だよ……」


 俺の隣を歩いていたシロが心配気な表情で様子を伺ってくる。

 それと同時に少し遠慮気味にこちらへ手を伸ばしてきた。


「も、持ちます……!」

「じゃあ……お願いしようかな……」


 シロの心意気を無下にするわけにはいかない。

 俺は最も軽い紙袋をシロへ手渡した。


「任せてください……!」

「ありがとう……」

「はい……!」


 シロは可愛らしい八重歯を覗かせながら明るく微笑んだ。

 彼女は人見知りなだけで、人と付き合うこと自体は好きなのだろう。

 

「シロは優しいなぁ……」

「そ、そんなことないですよ……!」

「食器片付けてくれたのお前だろ……?」

「ま、まぁ……はい……」

「お陰で助かったよ……」


 シロには何かしらのご褒美を与えなければならないだろう。

 そんなことを考えていると自宅に帰り着いた。


「そんじゃあ、私は帰るよぉ……」

「あぁ……ありがとう……今度奢らせてくれ……」

「はいよぉ……楽しみにしてるねぇ……」

「またねぇ! ナツキィ!」

「じゃあねぇ……」


 奈月はタマを優しく撫でた後、のんびりとした足取りで闇の中へ姿を消した。

 それを見送った俺達は自宅の古い玄関を潜るのだった。


「服とか片付けてる間に風呂沸かしといてくれないか……?」

「あ、もう沸いてますよ……!」

「じゃあ……先に入っててくれ……」

「もう入ってるよぉ!」

「そうか……偉いなぁ……」


 2人は俺が帰ってくる前に入浴を済ませていたようだ。

 俺は2人の可愛らしい声を背中で受けながら、小さなクローゼットへ服を収納していく。


「ねむぅい!」


 ふと時計に目を向けると、時刻の針は午後9時を指していた。

 すっかり作業に夢中になってしまっていたらしい。


「俺はまだ起きてるから先に寝ててくれ……」

「分かったぁ!」

「電気消すよ……お休み……」

「お、お休みなさい……」

「お休みぃ!」


 今日は疲れた。それもとてつもなく。

 俺は台所にある椅子に腰を掛けて、背もたれに体を深く預けた。


「飯食うか……」


 座ったまま身を捩って棚から食パンと菓子パンの入った袋を取り出す。

 袋を破いて開けるとパンの香ばしい匂いが溢れ出てくる。

 

「あ、あの……」


 遅めの夕食を摂っている最中にそんな声が聞こえてきた。

 俺は恐る恐るそちらの方へゆっくりと向き直る。


 扉の隙間からこちらを覗く白い顔と目が合った。

 俺はその不安気な顔に向かって優しく声を掛ける。

 

「シロか……?」

「は、はい……」

「どうしたんだ……?」

「い、いえ……少し眠れなくて……」

「それじゃあ……眠くなるまで話さないか……?」

「あ、はい……!」


 青白い光に包まれた台所で俺とシロは対話を始めた。

 2年という月日が経ったのだ。話したいことは無限に湧いてくる。


「ここの生活には馴染めそうか……?」

「はい……」

「なら良かった……何かあったら言ってくれよ……」

「あ、ありがとうございます……」


 シロは軽く会釈をして安心したような笑みを溢した。

 猫だった時もこんな風に礼を言っていたのだろうか。


「あ、あの……」

「ん……? どうした……?」

「えっと……膝に座っても……構いませんか……?」

「あぁ……おいで……」

「し、失礼します……」


 向かい合うように膝の上へ跨ってくるシロ。

 優しい温もりと柔らかさに心が温まる。


「よしよし……」

「えへへ……」


 シロはあの頃のように目を閉じて照れ臭そうに微笑んだ。

 俺はそんなシロの頭を彼女が眠りに就くまで優しく撫で続けたのだった。

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