アイアンワーム 第二話 旅立ち

 彼の歩く先に広がるのは、緑に溢れた自然の風景だった。

 一段と足取りが重くなりながら、レイジは無言で草木が生い茂る小さな森へと進んでいった。

 彼の姿は静かに森の奥へと消えていく。


 その場所の静寂は彼にとって日常の光景だった。

 鳥のさえずりや虫の音色、そんなものはほとんど存在せず、ほぼ無音の世界。

 風が木々を通り抜ける音だけが響いている。

 森の澄み切った空気と、新緑が発するわずかに生々しいような香り。


 レイジが進んでいくと、そこには、手のひら大のアイアンワームがいた。

 その身体は小さく、どこか虫に似た特異な形状をしていた。

 その足の先には回転するドリルが付いていて、一心不乱に木に穴を開けている。

 開けた穴の中に、細く長いワームの触手がゆっくりと伸びていき、そして素早くひっこむ。

 その先端には、小さな虫が摘まれ、口元へと運ばれていく。


 足元では、ずんぐりとした別の種類のワームが地面を探っていた。

 その厚い身体が地面に沈み、微細な振動を発している。

 それを感じ取ったアリたちが集まってきて、ワームのまわりに群がっていた。

 ワームは管のようなものを口から出し、アリたちを次々と吸い込んでいく。


 レイジは彼らが人には無害であることを理解していた。

 この世界では、当たり前の光景を横目に、森を進んでいった。


 森を抜けて目に入った風景は、かつて人々の営みが息づいていたであろう小さな街の廃墟だった。

 道路沿いに朽ち果てた自動車が散乱し、かつての輝きをすっかり失い、今ではくすんだ錆色に染まっていた。

 こうして見ると、それらは何とも哀愁を帯びた景色を作り出している。


 崩れた建物や家々は、かつての生活の痕跡を色濃く残していた。

 窓ガラスは散乱し、ドアは半壊して、今では、ただ風に吹かれるだけの空間となっていた。

 ビルのコンクリートは色褪せ、ツタや草木に覆われていた。

 読み取れない文字が残る看板や、落ちた電線が何かを語りかけるかのようだった。

 アスファルトの道路は木の根により裂け、ひび割れや穴が開き、その存在自体が遠い過去を物語っていた。


 レイジはその古い道路の上を注意深く進んでいった。

 その時、レイジの瞳は道路の先に微かな動きを捉えた。

 期待と不安が織りなす感情に身を委ねながら、彼はその動きが見える方向へと静かに進んだ。


 現れたのは、ウミガメくらいの大きさのアイアンワームだった。

 それは、亀が砂浜を這うようにゆっくりと前進している。

 その姿は何とも奇妙で、てんとう虫を大きくしたかのような形状がレイジを拍子抜けさせた。


「これは資源運搬用のワームだな」と彼は思った。


 そのワームはレイジに対して何も反応を見せず、まるで他の存在を認識していないかのようだった。

 それは他のワームから供給されるエネルギーによって動き、単純ながら絶え間なく資源を目的地へと運ぶだけの存在だった。


 レイジは背中に背負ったリュックから鉄をも切り裂くグラインダーを取り出すと、運搬ワームの背中に乗ると、切り込みを入れ始めた。

 厚さ数ミリの鉄板が抵抗を示すが、それでもグラインダーはゆっくりと切り込みを入れていく。

「大きさの割には思ったより薄いな」レイジは呟いた。

 戦闘用のアイアンワームでこれくらいの大きさになると装甲車のような鉄板のものもいる。

 このロボットは自己防衛のシステムを持たない。

 彼が背中に乗りグラインダーを当てても、ただ黙々とその歩みを続ける。

 四角く切り込みを入れた背中の鉄板を力強く引いた。

 ギシギシと音を立てながら鉄板は剥がれ、その内部が露出した。


 中は、ぬめっとしたジェル状の半透明のオイルで満たされていた。そのオイルは、ワームの体内をなめらかに動かす潤滑油だった。

 胴体の約半分は、資源を格納するための巨大なタンクで占められていた。


 足の付け根の部分には、小さな油圧ポンプから繋がった人工筋肉が取り付けられていた。これらの筋肉は、ピストンのようにゆっくりと動き、これがワームの足を動かしている。


 ワームの体内には、様々なパイプが張り巡らされていた。その一つは、口から続いていて、その先には丸い鉄の装置が存在した。

 それは恐らくバイオ電池だろうとレイジは推測した。この中で細菌が培養されている。

 この手のワームの燃料は、肉食ワームから供給される精製されたアミノ酸かエチルアルコールだ。


 バイオ電池の後ろには、大きなバッテリーパックが接続されている。

 レイジは手をジェルに突っ込み、大きなペンチでバッテリにつながるパイプを切断していった。

 そして、全力で引っ張り上げると、一塊のバッテリーが取り出せた。それは重さ10kgもの大きなリチウムイオンバッテリーだった。


 しばらく経つと、ワームは動きを止めた。

 エネルギー供給源を奪われた彼は、もはや前に進むこともできない。

 凍りついたように足を前に出した姿勢のまま固まった。


 レイジは、無害で有益なワームを見つけることは、滅多にない幸運だと知っていた。


 夕焼けが地平線を飲み込み始め、空は重苦しい雲に覆われていた。

 月明かりに期待する余地はなく、レイジは急ぎ足で適した野営地を探し始めた。

 道から少し外れた地点に小高い丘が見え、その逆斜面は海風をうまく遮るのに理想的な場所と思われた。


 レイジは二本の木にロープをしっかりと巻き付け、その間に厚いコットンシートを渡すと、対向する木の根元にも固定した。

 そして、シートの反対側を地面に固定し、簡易的な三角形のテントを立ち上げた。

「コットン」という素材を聞いて、雨に対して脆弱だと思うかもしれない。しかし、実際には微妙に違う。

 コットンは水分を含むことで膨らみ、布の織り目の隙間が塞がる。

 この独特な性質は、雨が降っても水分を透過しにくくする効果がある。

 昔の軍隊のテントも、コットン製だが雨風を防ぐのに重宝したという。

 これもレイジが父親から授かった知識の一つだ。


 次に、レイジは周囲にいくつかの磁力センサーを設置した。

 この世界で最も警戒すべきは野生の動物や昆虫ではなく、鉄や肉を喰らうアイアンワームだ。

 レイジは、硬いカンパンを噛み砕きながら、毛布に自身を包み込んだ。

 そして、夜の静けさに身を任せると、彼は長い一日の終わりに深い眠りへと落ちていった。


 朝の灰色の明かりが空を照らし始めると、レイジはすぐに身支度を始めた。

 テントを畳み、大きなリュックにしまい込んだ。

 磁力センサーも回収し、そのあとで水筒の水を一口飲んだ。

 そして、その日の一歩を踏み出した。

 生温かい春の海風が彼の頬をくすぐり、一歩一歩と地面を踏みしめて歩き続ける。

 周囲は昨日と同じように静寂が広がっていて、いかなる生き物の声も、人々の気配もなかった。


 海から吹きつける風が、巨大なけやきの枝葉を揺らし、葉間から響く音は風の楽曲のように感じられた。

 遠くの海からは、波が岸辺に砕ける音が、あいまいながらも耳に達した。


 その音色に耳を傾けながら進んでいくと、遠くの海岸線の歩道に人影が映った。

 杖をついて歩く中年の男性だ。

 それはレイジにとって、久方ぶりの人間の姿だった。

 興奮した彼は声を振り絞った。

「おーい!」だが、波の音にはさまれ、その声は消えてしまった。

 レイジは海岸線に降りる道を探した。

 そのとき、男性のすぐ側の茂みが一瞬、揺らいだように見えた。

 続く瞬間、木々の隙間から、フナムシ型のワームが溢れ出し、男性の進む道を覆い尽くした。

 そして、彼の後方もワームの波に飲まれ、男性は退路を完全に閉ざされてしまった。

 レイジは思わず、「危ない!」と叫び声を上げた。

 ワームたちは大きな口元を開き、男性に向けて進み出した。

 ペンチのような歯の内側には複数の細かい歯が並び、噛み切ったものを体内に運ぶように旋回していた。

 ゆっくりと男性を包み込むように迫ったその波は、一瞬にして彼を飲み込んだ。

 ワームは男に覆い被さりうごめいている。

 そのうごめきは少しずつ平らになり、完全に平らになると、潮が引くように姿を消した。

 男がかつていた場所には、静寂と、消え去った命の余韻だけが赤黒く残されていた。

 レイジはその場で一言も発することなく、ただじっと虚空を見つめ続けていた。


 しばらくすると、遥か空から深淵のような音が湧き上がってきた。

 ブーン、ブーンという低く重厚な響きが、確実に距離を詰めくる。


 空に目こらすと、そこには初めて目撃する空飛ぶアイアンワームの一団が遠くに見えた。

 彼らの名前は「アイアン」であるものの、その肉体は軽量のプラスチックか何かで成り立ってるのだろう。


 それぞれが海鳥の大きさを誇り、その体側にはプロペラのようなものが無機質にくっついている。

 頭部は虫類を彷彿させ、大きな眼がこちらを無言で睨みつけていた。

 六本の足と尖った口部は鋭い警戒感を放っていた。

 集団を成す彼らは、プロペラを音を立てて高速回転させながら、次第に迫ってきた。


 レイジは周囲を見渡し、すぐ近くにある巨大な木に素早く身を滑り込ませ、ひんやりとした幹の影に身を潜めた。

 周囲に立ち上る苔の香り、海風に揺れる木々のざわめきが、彼の心臓の高鳴りを一層際立たせていた。


 そんな彼の上空を、ブーンという低音とともに、アイアンワームたちが一機づつ、通り過ぎていく。

 彼らの黒い影が、地面に映し出され、素早く走り去っていった。


 しかし、その中の一体が何かに気づいたかのように動きを止め、空中で静止した。

 そのアイアンワームは無機質な頭部をゆっくりと、こちらへと向け、その大きな目で彼の隠れている場所を探ろうとしているようだった。


 見つかった、その確信が心に響くと同時に、レイジは全力で走り出した。

 地面を蹴る足音が木々の間に響き渡る。

 頭上から聞こえてくるブーンという低い音が急速に近づいてくる。通り過ぎていったはずのアイアンワームたちが一斉に急旋回し、彼の存在を目指して一気に迫ってきた。


 レイジは背中のカバンの横に引っ掛けてあった伸縮式の棒を取り出す。

 しげり始めた木々の間を駆け抜けながら、彼は後方のワーム群に棒を振り回し、それらを叩き落とそうとする。

 しかし、手にした棒の長さはワームたちに届かなかった。


 そのアイアンワームたちは意外なほど素早く、まるで蝿のように彼の頭上を旋回して動き回った。

 彼の手の届かない高さをキープし、その巧みな動きで追い詰めるように彼に近づく。


 その瞬間、背中に冷たい何かが突き刺さる感覚がした。

 振り返る間もなく、レイジの視界に一瞬映ったワームが再び高く上昇していった。


 鋭い痛みは熱さに変わり、背中全体を覆った。

「毒」そう直感した。

 走っていた足がもつれ、彼はそのまま地面に倒れ込む。

 全身の力が抜け、冷たい土の感触が顔を覆う。

 体は重く、目を開けることすら難しくなってきた。

 頭上のワームたちのブーンという音が遠くなっていく。

 視界が揺れ動き、彼の目の前が暗闇に覆われた。

 静寂が戻り、何もなかったかのように、ただ風だけが静かに吹き抜けていった。

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アイアンワーム 鉄の昆虫 野島晋二 @s_nojima

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