【二次創作】強襲、百韻作戦

九頭見灯火

520秒まえ 

〈雪ながら山本かすむゆうべかな〉


「アルフェラッツ星系政府より、本作戦の決行は銀河標準時【アンドロメダ銀河標準時】十八時○○分である。これより、共算主義きょうさんしゅぎネットワークへの反転攻勢を開始する。開示可能な情報は適宜てきぎ思弁国会図書館しべんこっかいとしょかんライブラリから「水無瀬三吟百韻みなせさんぎんひゃくいん」を参照し、ハッシュ値とする」

 なんてばかばかしい作戦だとイルミナは思った。多元宇宙たげんうちゅうネットワークを介する共算主義者たちの浸食しんしょくはもう止められない。絶望的な戦場で我がアルフェラッツ星系電子政府の採った最後の作戦がこれだ。

 百韻作戦ひゃくいんさくせん

 ブロックチェーン化した高密度の情報を、共算主義者の計算限界を超えたシリアル信号で送りつけ、これを撃滅げきめつする。分かってる。こんな作戦がどういう意味を持つかなんて。共算主義者のアンドロメダ戦域を一時的に後退させるのみだ。共算主義者の持つ、一部の領域をただ退けさせる、ただそれだけの意味しか持たない。

 しかし我々は一を全にする。上層部の頭のいい連中は考えた。百韻作戦を並行政府による一斉攻勢を仕掛ける。つまり、全銀河系の共算主義者の一斉殲滅を仕掛けるのだ。胸の下がざわつく。震える手を抑えて、前を向いた。


〈行く水遠く梅にほふ里〉


 イルミナが生まれたときには、もうすでに古典的な意味での人類はとうに絶滅していた。多くの非同期人類ひどうきじんるいは冥王星へと播種はんしゅされた。それは受精卵としてカプセルされた、ある種の外宇宙へのポトラッチだった。

 イルミナが目覚めたときには、すでに同期人類どうきじんるいと呼ばれるポストヒューマンたちの時代になっていた。イルミナもまた情報をゲノム化したDNAプールのなかからサルベージされた、ポストヒューマンたちの一人だった。量子通信により、銀河系のあらゆる星系で、同一の遺伝的形質いでんてきけいしつをもつ同期人類が生まれ始めていた。イルミナも、第五世代の同期人類であり、情報の波のなかで生きていた。すべての同期人類は、かつて人工知能と呼ばれていた者たちの末裔まつえいである。彼らが現在、人類と呼ばれているのは、共算主義者との戦いによるものだ。

 数多の戦争で、共算主義者との戦いは過熱した。そのたびにログは複線化、重層化し、さまざまなレイヤーで複数の出来事が同期しつつも、分かたれ、また共鳴するように増幅し、ときに川辺の蛍の明滅のように湧き起こっていた。もうすでに、そこに至るまで少なくとも四人の天皇が崩御ほうぎょしていた。

 時代は移ろう。イルミナの個人史など、ひとつの点に過ぎない。


〈川風に一むら柳春見えて〉


 亡霊たちを川の間際で見た。紙本主義しほんしゅぎ亡霊ぼうれいたちである。共算主義者が恐れる紙本主義者たちにはかつてのような勢いはなく、やつれた翁のようである。

 イルミナが彼らを見たのは六つのときであった。ただそれが情報として「分かる」程度のことで、彼らは黒塗りの情報として認識され、この世では語ることすら禁じられた人々だった。不気味で醜悪しゅうあくだ。いや、語ることによって彼らは実存じつぞんを確立し、世界に存在することが許される、今では消滅しょうめつした思想という種類のものだった。イルミナもまた、情報の濁流だくりゅうのなかで、あらゆる情報の手触りをかき集めていたが、それが何か自身を突き動かす炎になったことはなかった。紙本主義者たちは、イルミナにその黒い顔を向けた。

 深い、あまりに深い、闇が口を開いた。思弁国会図書館ライブラリを引くよりも先にイルミナの口から出た「深淵しんえんをのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」は誰の言葉だっただろうか。彼らの教えもまた共算主義者たちの恐怖するひとつの武器だった。政府の役人たちは紙本主義の亡霊たちとのコンタクトに急いだ。九十九の対話を重ねて、百韻作戦の全体像が浮かび上がったとき、同期人類たちは感嘆の声を漏らした。


〈舟さす音もしるき明け方〉


 太陽は失われている。いや、その光を人類が失って久しい。見上げれば、太陽と言えばその情報としての太陽は見える。しかし、昔の人々が五感した太陽はどこにもない。イルミナだって太陽くらいは知っている。歴史の教科書に載っている太陽系の恒星である。イルミナの手には、いや人類の手には多くの情報が、いくらでも思弁国会図書館で手に入った。リアルらしいアンリアルも、アンリアルでもリアルでもないリアルも、何でも手に入ったが、現実リアルだけは手に入らなかった。

 本物のない、本物の感情もないリアルだけが、ただ空しかった。いつもだれか二人に焦がれている自分がいた。

 イルミナだって分かっていた。ここには本当なんてひとつもなかった。自分と同じ情報しかなかった。明け方を待つことさえ禁じられていた。そう思うとふと共算主義者たちが微笑みかけてきた。もっとも、共算主義者たちの強い思念か怨念のようなものであった。あちら側へ行けばいい? そう思って悪夢にうなされていた。

 アルフェラッツ政府の百韻作戦の決行日、イルミナは電子政府の司令所に、共算主義者のパンドラの箱をひとつ持って現れた。

 心を共算主義に則られたイルミナは、いま百韻作戦の開始、五二〇秒まえに現れた。ここに百韻作戦の著作権ちょさくけんを独占し、作戦の即時撤回そくじてっかいを求めて。


〈月やなほ霧わたる夜に残るらむ〉


 いま、イルミナが見ているのは月だった。

 月は、異界の門をはらむ。

 フォボスとダイモスが見えた。

 火星圏日本政府が捉えた、百韻作戦開始時間には、コンマ二秒の短い空白時間があった。すべての銀河系の電子政府が、この時間のあいだで、共算主義者による反乱を捉えたと後の作戦記録書には記されている。

 共算主義者たちによって心を支配されたイルミナは、深い闇のなかで共鳴する幾つもの孤独な魂を見ていた。

 彼らは生まれたばかりの思想を持っていた最初の人間だった。イルミナたちには共有するビジョンがあった。彼らが連帯したとき静止軌道上せいしきどうじょうの五〇〇機にも及ぶ衛星設備えいせいせつびをブーストさせて二つの月に直撃させ、フォボスとダイモスを火星静止軌道から解き放ったのだ。

 これから予測されるフォボスとダイモスの軌道は、冥王星近傍軌道めいおうせいきんぼうきどうに乗り、人類の最果て地と呼ばれる、惑星エデンへと通過する。

 紙本主義者の記す経典きょうてんによれば、すべての共算主義者の始まりの地がそこにはある。〈了〉

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