第3話 衝突

 嵐からかなり時間が経って、救出が絶望的であることくらいは、クラゲにもわかっていました。それでも万に一つの可能性に賭けて、そして仮に人魚がもういないとしても、亡骸だけでも回収するために。そして人魚を狙った者たちへ、生まれてきたことさえも後悔するような報復を味わわせるために、クラゲはそこへ向かいました。

 草をかき分け、もうすぐ屋敷の裏手というところで、足を止めました。

 そこには、面をつけた狩衣姿の男が、腕組みをして立ちはだかっていました。

「……む、客人か。今晩は祭りだというのに、わざわざこんな場所に来るとは痛み入る」


 …………。


「…ふむ。流石にくだらん冗談には乗らんか、クラゲよ」


 なぜここから来るとわかった。


「わかるとも。なにせ山側の結界を張ったのはおれだ。家の者たちは海の方ばかり分厚くしたがな。おれは耄碌した爺ぃやぼんくらな親父殿とは違って用心深いのだ。あえて結界に弱い部分を作り、侵入箇所を感知させて追跡するくらいのことはするとも。」


 …。


「こう見えても、お前たちには感謝しているのだ。おかげで次の当主の座は揺るぎないものとなった。わざわざ海魔をけしかけてまで捕らえた価値はあったというもの。」


 ………………。


「そう固くなるな。探し物があるのだろう。場所を教えてやる。察しはついているとは思うがな。………ここだ」


 ………………………!!!!!


 男は、つんつん、と自分の腹を指さしました。とうとう我慢ならず、クラゲは男に飛びかかりました。しかし、男は汗一つかかず、ただ短く鼻で笑いました。

 伸ばした腕が男の喉笛へとかかる寸前。突如として周囲に火柱が上がりました。ただの火ではない、と気づいた時にはもう遅く。瞬く間に人間への変化が剥がされていきます。

「言ったであろう!おれは用心深いのだ。」

 クラゲの体はほとんどが水です。海の上ならともかく、このような山道の中で焼かれ続ければとても無事では済みません。たまらずその場から逃げ出します。

「待てい!!」

 しかし男も追いすがります。陸での速さはあちらが上。あっという間に追いつかれて組み伏せられます。

 これはまずいと悟り、クラゲは指先をぶちりと千切って放り投げます。分かれた指先は小さなクラゲとなり、ぴょこぴょこと跳んで逃げます。


 炎に焼かれるかつての体を横目に見ながら、新しいクラゲは考えます。せめて水場を探さなければ。しかし男には既に自分で存在に気づかれているはず。

 思った通り、男はクラゲを追いかけてきます。クラゲは豆粒ほどに小さくなった体を生かして、ちょこまかと逃げ回ります。やがて川の流れる音が聞こえ、クラゲは一目散に飛び込みました。その川の先は、ごつごつとした岩に囲まれた、家二軒程の高さはありそうな大きな滝。そこへ躊躇いなく飛び降ります。男はこれ以上追うのは流石に危険を感じたのか、舌打ちをしながら滝壺を見つめ、すぐに走り去りました。

 水の中で少しずつ、体を修復していきます。あの男はきっとすぐにここに来るでしょう。どうにかしなければなりません。

 クラゲは水をがぶがぶと飲み干し、体を大きくします。水質が良いのか、瞬く間に体に力が漲ります。しかしあの男に勝つにはまだ足りません。

 ……きっと人魚を食べたというのは嘘ではないのでしょう。でなければただの人間があれほどの炎を扱い、村一つ覆うような結界を一人で張れるはずがありません。

 クラゲは煮え滾りそうな心を必死で落ち着かせます。怒ることも、泣くことも、今やることではないからです。

 クラゲは、ひとまず引き続き川を下ることにしました。この場所の地理については蛸からおおよそのことは聞いています。この川は屋敷で使われている水源になっているはず。ならばそこから屋敷へ侵入することも可能なはずです。

 予想通り、川は屋敷の裏手へと繋がっていました。音もなく塀を這い登り、中を覗きます。

 何やら宴会を開いているようです。どうやら用心深いのはあの男だけだったようで、今なら容易に忍びこめそうです。しかしきっと人魚の肉を食べた者が他にもいるはずです。迂闊に正面から戦えば勝ち目は無いでしょう。

 勝機があるとすれば、それこそ人魚の肉。どうにかそれを見つけ出し、喰らわなければ。

 クラゲは蛸から教わった隠形の術を使い、塀を乗り越えて中に入ります。そしてちょうどそこにあった池の中に身を隠しつつ力を蓄える準備を始めました。しかし。


 …………………?


 池の底に、何かが沈んでいます。


 ………!………!………………!


 ずっと、ずっと会いたかった、懐かしいあの匂い。クラゲは身を震わせ、底を見遣ります。しかし、それは求めていたものではありませんでした。

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