第86話 野蒜
ワテは
油壷どうぶつホテルは年中無休だが、ちゃんとした会社なので料理長のワテも週に2日はきちんと休みを取っている。今は副料理長の
天気のいいある休日、特にすることも無くゴロゴロしていたワテは、ふとしばらく前に来たクマの集団を思い出した。
「クロジさん言うたかな、おもろいクマやったな……」
なんや若いころのワテみたいに真剣に包丁と向き合っているクマやったな、と思った。そういえば、あの時に名刺をもらったことを思い出し、引き出しを開けて名刺ボックスを
鎌倉にあるトラットリアか、なんやあの
「なんや天気もええし、鎌倉観光でも行くとするか…」
ふと思い立ったワテは、三崎口駅から京急に乗り、久里浜でJR横須賀線に乗り換えて鎌倉へと向かった。到着すると2時半くらいで、ランチ営業もそろそろ終わる頃なので、どこかで時間を潰すことにした。
「せっかくやし、
そう呟くと、ワテは鎌倉駅西口から市役所やスターバックスのある坂を上り、
社務所で百円を納めて笊とロウソクを頂くと、ロウソクをお供えしてから本社を拝み、その先の洞窟に入ると中で
「ようさん増えてくれると有難いなあ。」
そんなことを呟きながら硬貨を洗い、洗い終わった硬貨をハンカチで拭くと再び小銭入れに戻した。その後、小さな境内の中に密集する幾つかの弁天社をまわり、銭洗水で点てたお茶を頂いた。
銭洗弁天を出たワテは、さらに坂を上って山の頂上まであがってみた。山の頂上は広い公園になっていて中央に銅像があった。銅像に近づいてみると、どうやら鎌倉に幕府を開いた源頼朝公の銅像だった。公園にはいくつかのテーブルとベンチがあり、自販機で買った飲み物を飲みながら青空を眺めると、実にゆっくりとした時間が流れていく。
「なんや、のんびりしてええ所やなぁ… せや、行く前にクロジさんに電話しとこかな。」
名刺に書いてあった電話番号にかけると、「トラットリア・クロジ」に繋がった。
「あー、クロジさん? お久しぶりです。以前に油壷どうぶつホテルでお会いしました
「あー、
「以前お伺いするて言うておいてご無沙汰してしもうてんですが、今日、お店にお伺いしてもよろしい?」
「大丈夫ですよ! 17時からですけど、少し早めに来られてもお茶くらいなら。」
「悪いなぁ、今、源氏山公園いう所におるんやけど…」
「それなら、寿福寺脇の方から降りてくれれば、お店に近いですよ!」
「おおきに、そんじゃ、これから向かいます。」
クロジさんに言われた通り源氏山公園の前の道を銭洗弁天とは逆の方向に歩いて行くと、いくつかの公園が整備されていて、そこを抜けると急に下りの山道になる。ふと脇を見ると祠か墓のようなものがあり、よく読むとあの江戸城を作った
雨に見舞われた太田道灌が農家で
鎌倉駅方向に数分歩き、山側の細い道に入っていくと木造の大きな三階建ての建物があり、1Fに「トラットリア・クロジ」という看板がかかっていた。
「クロジさん、いてますか?」
そう言いながらドアを開くと、愛想の良い小柄なツキノワグマが出てきた。
「
「こちらこそ、ご無沙汰してもうて申し訳ありませんわ。」
「今日はなんでまた鎌倉に来られたんですか?」
「まあ、天気もええんでちょっと散歩がてら観光でも…と言いたいところやけど、最近本編の更新が滞ってるやろ?」
「
「なんや作者がちょっと調子悪くしてて、本編みたいに練った話を書くよりも、こういう閑話休題的な短編の方が書きやすいんやて。ほんで、ちょっと鎌倉行ってクロジさんと絡んで伏線も回収しといてくれ言われまして…」
「そうなんですか。ちょっと心配ですね…」
「せやけど、別に死ぬような病気ちゃうから心配いらへん言うてたわ。それに、読者さんにしてもこういう閑話休題的な短編はキャラの個性が出てて楽しいいう声もあるそうやし、ええんちゃうかな。」
掘り下げたメタ発言はほどほどにして、クロジさんが出してくれたお茶とクッキーに手を付けた。クッキーはなんとも野趣あふれる風味で、素朴な感じがたまらない一品だった。
「これ、噂のどんぐり粉
「はい、小麦粉、どんぐり粉を混ぜて、あとはクルミを砕いたものを入れてオーブンで焼き上げてます。」
「なんや、ホッとするような味やなぁ……」
そうこうするうちに、17時もまわってちらほらとお客さんが入り始めてきた。そろそろワテも夕食が食べたくなる。頃合いを見計らってクロジさんが気をまわしてくれた。
「そろそろ始めましょうか、お通しです!」
そう言ってクロジさんは3種類のカナッペを持ってきてくれた。取りあえず一番近いものから手を付ける。
「この台のクラッカーもええですなぁ、さっきのクッキーと同じように野趣あふれる感じで… でも、甘さ以外でもクッキーの生地ともちょっと違いますな…」
「さすがですね! これはそば粉の
「上に乗ってるのはクリームチーズと
「ありがとうございます!」
3種のカナッペは、クリームチーズと酒盗、アンチョビと焼きシイタケに九条ネギ、チーズと納豆とトマトソースなどが使われていた。どれもクセの強い素材と、どんぐり蕎麦クラッカーをマッチさせるように考えられていて大変おいしかった。
「あかんわ、これビールが進んでまうわ……」
「そこが良くないところですよね(笑)」
次に出されたのは、青い茎に直径一センチほどの小さな玉ねぎのような
「これは、柚子味噌をつけて食べてください」
クロジさんに言われた通り柚子味噌をつけて齧ると、口の中に爽やかな辛みとニラのような強い香りが広がった。
「これは、
「この建物の裏にたくさん生えてるんですよ! 新鮮だしピリッとしてて美味しいですよ!」
「これもさっきのクラッカーに合いそうやなぁ、良かったら1~2枚頂けまへんか?」
「はい!」
予想通り、柚子味噌と野蒜をクラッカーたっぷり載せて食べると、野生の食材同士のぶつかり合いが堪らなく美味しかった。
なんや、来て良かったな… 心からワテはそう思った。この先の料理も楽しみやな… そんな風に感じながらワテはビールグラスを傾けるのだった。
※1
若き日の道灌は外出時ににわか雨に降られ、農家で
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