第5話 メンヘラ女と危険地帯


 危険度レッドの区域に入った恭一と三森であったが、すぐに異変が起こるということはなかった。


「いい? ここはもう妖怪の腹の中だと思いなさい! 何が起こるかわからないんだから離れたらダメよ!」


「むしろお前が離れろ。動きづらいんだよ」


 三森が必要以上に密着してきていた。

 ギリギリで肌は触れていないものの、ほんの少し手を伸ばせば彼女の身体を抱きしめられるほどの距離である。


「そもそも、どうして貴方は一人で山に入ってるのよ! 退魔師の基本はチーム行動でしょう? 一人だと、集団で囲まれたら詰んじゃうじゃないの!」


「その言葉は完全にブーメランだろ。そっくりそのまま返してやるよ」


「私は一人じゃないわよ! ちゃんと式神を連れてきてるわ!」


「式神って……そういえば、陰陽師だったな」


「ええ、紹介するわ。二人とも出てきなさい」


 三森が呼びかけると、木々の隙間から二つの影が飛び出してくる。

 どちらも大型犬ほどの大きさの四足獣でキツネとタヌキの形状をしていた。


「私の式神よ。キツネが『アカ』でタヌキが『ミドリ』よ」


「カップラーメンみたいなネーミングセンスだな……別に何でもいいけど」


「二匹には森の木々に隠れて警戒してもらっていたのよ。一人だと思わせた方が敵も油断するからね」


『コン』『ポン』


 二匹の式神が三森に応えるように鳴いた。


「ほー、すごいんじゃね?」


 二匹の式神からはそれなりの力の『圧』が感じられる。

 少なくとも、小鬼の五、六匹くらいなら余裕で倒すことができるだろう。

 そんな式神を二匹も同時に使役できるのだから、美森の陰陽師としての実力は本物なのだろう。


「伊達に『賀茂』の姓を名乗ってはいないというわけか。直系か傍流かは知らんがな」


『賀茂』は『蘆屋』と並んで有名な陰陽師の家系である。

 日本でもっとも有名な陰陽師である安倍晴明……その師匠であった『賀茂忠行』をはじめとして多くの陰陽師を輩出しており、現代の退魔師業界においても大きな影響力を持っていた。直系・傍流を含めれば百人以上が退魔師として活躍しているだろう。


「……私は分家の人間よ。だけど、実力は本家の人間にだって負けていないんだからねっ!」


「そうかい、良かったな」


「そういえば……貴方の名前はなんていうのよ? まだ聞いていなかったわね」


「今さらかよ」


 自分はサラッと天才陰陽師だとか名乗ってたくせに、恭一の素性にはまるで関心がなかったようだ。


「蘆谷恭一」


「蘆屋って……どうして偽名を使ってるのよ。やましいことでもあるの?」


 三森が眦を吊り上げて、恭一の金髪に目を向ける。


「本名だよ。この髪は親父がヨーロッパの人間だからだ」


 恭一は自分の髪を一房つまみながら説明する。


「ウチの母親も陰陽師だったんだが……まあ、色々あって海外で仕事をしてたみたいでな。そっちで出会った男との間にできたガキが俺だよ。父親には会ったこともないし、どこの誰かも知らねえ。鏡を見る限りツラは悪くなかったみたいだけどな」


「フーン……じゃあ、本当に蘆屋家の人間なんだ。本流じゃないよね?」


「さあな。母親とは高校入ってから会ってねえし、これからも会うことはない。本家だろうが分家だろうが知ったことじゃねえよ」


「…………」


 三森は黙り込んでいるが、先ほどよりも心なしか目元の険しさが抜けている。

 ひょっとすると、今の会話のどこかにシンパシーを感じる部分があったのかもしれない。


『クアッ!』


『コオンッ!』


「お……どうやら、お出迎えが来たっぽいな」


 二匹の式神の鳴き声がして、同時に恭一も強い妖気を感じとった。小鬼のものとは比べ物にならない強い気配だ。

 直後、進行方向上からいくつかの人影が歩いてきた。


「アレは……!」


「人じゃねえな? あいつらも鬼か?」


「牛頭鬼。3級に属している邪悪な鬼じゃないの……!」


 三森が緊張した様子でつぶやく。

 懐からお札のような紙……『符』を取り出して、指の間に挟んで構える。


「アレは小鬼とは比べ物にならない強さの妖怪よ。私と式神で二体を相手にするから、貴方は残りの一体を押さえていて頂戴。時間を稼いでくれたら私が……」


「おっけ。それじゃあ殺るか」


 三森が言い終わるよりも先に、恭一が地面を蹴って飛び出した。


「ちょっ……!」


「3級。つまり小鬼よりも金になるってことだろ!? 札入れが呑気に歩いてきて結構じゃねえか!」


「馬鹿っ……貴方が勝てる相手じゃ……!」


「フンッ!」


『オオオオオオオオオオオオオッ!』


 急に走ってきた恭一に鬼が応戦しようとする。

 しかし、恭一は素早い動きで太い腕をかいくぐって、鬼の顔面に拳をめり込ませた。


「らああああああああああああっ!」


『グガッ……!』


 そのまま拳を思い切り振り抜き、鬼を後頭部から地面に叩きつける。

 いったいどれほどのパワーで殴りつけたのか、鬼の後頭部の形に地面に窪んでしまった。


『ガ……グッ……』


 3級妖怪。

 ベテランの陰陽師が対処するはずの強力な悪鬼は、退魔師なり立ての男の鉄拳によってあっさりと絶命して、妖気の粒となって消滅したのである。

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