第2話 初仕事、報酬500円(税込み)
退魔師の標準的な年収は1千万円ほどであるといわれている。
その数字だけを聞けば夢のある仕事のように聞こえなくもない。
しかし……実際にはごく一部の退魔師が数千万、あるいは億越えの収入を獲得しており、大多数の退魔師は100万円にも満たない金額しか稼げていないというのが現状である。
日本に置いて妖怪は危険度に応じて1~5までの等級にランク分けされており、これはそのまま退魔師のランクにも対応している。
退魔師の半数以上が5級という最低ランクに属しており、これは『一般に流通している武器で倒せる妖怪』に相応した実力ということだ。
4級以上の妖怪と戦うためには銃火器や呪具などの特別な装備、陰陽術や魔術などの特殊技術が必要になる。
1級以上の退魔師に至っては日本国内に十人ほどしかおらず、いずれも億単位の報酬と引き換えに国家存亡に相応する職務についていた。
「……加えて、退魔師は登録してから一年以内に死亡または行方不明となる確率が15%だ。決して安全に稼げる仕事じゃない。わかったか、新人君」
「……りょーかい」
長々とした説明に辟易しながら、恭一はおざなりに答える。
恭一がいるのは東京都八王子市、高尾山の入口だった。
標高599メートル。真言密教の聖地とされており、平成初期までは観光地やハイキングコースとしても利用されていた。
そんな東京都心にも近い自然豊かな山に強力な悪鬼が現れ、根城にするようになったのは五十年ほど前のことである。
頂上付近に推定2級の悪鬼が棲みつくようになり、配下の小鬼を率いて山から人間を追い出した。親玉の悪鬼が
しかし、山の周辺には眷属の小鬼が出現しており、市内では子供や若い女性が攫われる事件も頻発していた。
「だから、くれぐれも無茶をしてはいけないぞ! 金目当てで退魔師になろうとしているのなら諦めろ。何千万も稼げるのは特別な血筋や家に生まれた一握りの人間だけだ! 幸せになりたいのなら、就職して手堅く稼いだ方が良いぞ!」
などと恭一に説教をしてくるのは、高尾山の入口を封鎖していた自衛隊員である。
妖怪被害によって封鎖されている地域の周辺には自衛隊や警官が常駐しており、一般人の立ち入りを制限、危険区域から出てくる妖怪への警戒にあたっていた。
それでも完全に被害を防ぎ切れてはおらず、周辺では妖怪被害が後を絶たないのだが。
「……ハア、もうわかったから、そろそろ入っても良いだろう? このままじゃ日が暮れちまう」
「ム……ここまで話を聞いて、まだ退魔師として山に入るというのか?」
「アンタの親切心は十分すぎるくらいに伝わってきたよ……悪いけど、こっちも懐に余裕がないんだ。就職とかしてられねえっての」
「……そうか、だったら仕方がないな」
銃器を肩から提げた自衛隊員は溜息をつき、高尾山の入口を封鎖している金属扉を開けた。
「……ここから先を君が知っている日本とは思わないことだ。健闘を祈る」
「はいはい、お仕事ご苦労さん」
「…………」
微妙な顔をした自衛隊員に見送られて、恭一は立ち入り禁止区域『
「フン……」
そこに一歩入った途端、恭一はブワリと空気が変わるのを感じた。
細い針でチクチクと肌を刺すような感覚……それが妖怪が持っている独特の気配である『妖気』と呼ばれるものであることを知っていた。
「……ま、どうにかなるだろ」
恭一はすぐに肌にあたる殺意にも似た感覚を意識の外へと追い出した。
妖気はあるが大した力ではない。
サクサクと土を踏み、枝をかき分けて山中を進むこと五分。
服と靴が汚れることにうんざりしはじめた頃、『それ』はやってきた。
『ギイッ!』
木の陰から小さな影が飛び出してきて、恭一めがけて襲いかかってくる。
一見すると子供のように見えるその影であったが、上半身裸で下も腰布を巻いただけ、額に一本角を生やした異形の存在だった。
退魔師協会において『小鬼』と命名される妖怪である。
「お?」
恭一は軽く身体を逸らして小鬼の攻撃を回避する。
すぐ目の前を小鬼が振り下ろした木の棒が通過していくが、特に気にすることなく右手で小鬼の首を掴む。
襲撃者をあっさりと捕まえて、頭の高さまで持ち上げた。
『ギイッ! ギイッ!』
「ほー……ロープレに出てくるゴブリンみたいだな。チュートリアルも無しで出てきやがって」
こうやってマジマジ見ると可愛らしいものである。
感心する恭一であったが、小鬼が手に持っていた棒を振り回して抵抗する。
『ギイイイイイイッ!』
「
『ギッ……』
恭一はわずかに顔を顰めて、小鬼の頭部を近くの木の幹に叩きつけた。
グシャリと卵が割れるような音がして、小鬼の頭部が潰れて動かなくなった。
「お、消えた」
絶命した小鬼がバラバラに砕け散り、光の粒になって消えてしまった。
一部の例外はあるが、妖怪はそもそも生きた動物ではない。死んだ後に亡骸は残らないのである。
強力な妖怪の中には死後も鱗や角、骨などの身体の一部を残すことがあるらしく、そんな落とし物は非常に高値で取引されていた。
「小鬼程度じゃドロップアイテムはないってことかよ。ハッ、ゲームみてえだな」
クツクツと笑いながら、恭一は退魔師カードを取り出した。
裏面を確認すると、白紙であったはずのそこに『小鬼×1』と文字が浮かび上がっている。
「小鬼は一匹500円だったっけな?」
どうでも良いが、自分で働いて金を稼ぐのは初めてだった。
ずっと恋人に寄生をして食わせてもらっており、これまでアルバイトすらしたことがないのだから。
「初仕事の報酬が500円とはガキの使いじゃねえか……せめてネカフェに泊まれるくらいは稼がないとな」
ぼやきながら、恭一は山を奥へ奥へと登っていく。
山を進むごとに肌を刺す妖気が強くなっていくが、まるで気にした様子もなく足を進めていくのであった。
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