第1話 ヒモ卒業。退魔師就職。

「よし、退魔師になろう」


 決意を込めて宣言して、恭一は退魔師になるべく手続きをすることにした。


 勝利を確信していたはずのレースで敗れ、恭一にはもう後がない。

 履歴書を購入する金すらなく、バイトを探す時間すらもない状態となっていた。

 そんな恭一に選ぶことができる仕事は多くない。非合法な犯罪的な仕事か、さもなければ命の危険が伴う仕事くらい。

 かつての恋人から勧められた『退魔師』を選ぶのは自然な流れである。


 恭一は東京に二ヶ所ほどある『退魔師協会』の支部へとやってきていた。

 退魔師協会は文字通りに退魔師を統括している組織で、半民間・半公営の団体である。

 全国に支部が設置されており、ここで退魔師に登録すると妖怪退治の実績に応じて報酬が発生するのだ。


 三階建てのビルに足を踏み入れると、そこにはスマホショップのように整頓されたオフィスが広がっていた。

 妖怪退治を生業としている組織の支部なのだから殺伐とした雰囲気を想像していたのだが……思いのほかに小綺麗である。

 恭一がどうしたものかと入口で立っていると、事務員らしきスーツ姿の女性が声をかけてきた。


「いらっしゃいませ、本日はご登録でしょうか?」


「あー……そうだ。よろしく頼めるか?」


 恭一は女性に顔を向けた。

 丁寧に髪を結った二十代半ばの女性である。

 端正な顔に営業スマイルを浮かべていて、恭一を笑顔でカウンターまで誘導した。


「それでは、こちらの書類に必要事項をご記入ください」


「りょーかい……えーと、身分証明書とか持ってないんだけど構わないか?」


「登録するだけならば問題ありません。ただし、任務中の怪我や『呪詛』による被害に備えて保険に入会することはできなくなりますが、よろしいでしょうか?」


「それはいらねえ。どうせ保険料払えないしな」


「…………」


 受付の女性が気の毒そうな目で恭一を見やる。

 退魔師には国籍、年齢、経歴……場合によっては種族すらも関係ない。

 審査や登録条件を厳しくしてしまったら、退魔師になってくれる人間が減ってしまい、妖怪による被害を防げなくなるからだ。

 恭一のように身寄りや後ろ盾がない人間にはうってつけの職業である。


「はい、書類はこちらで大丈夫です…………蘆屋様、ですか?」


「そうだけど何か問題あるか?」


「いえ……」


 窓口スタッフがわずかにいぶかし気な顔になった。

『蘆屋』という高名な陰陽師の名前に反応したというよりも、どう見ても西洋人の容姿をした恭一が日本人の名前を名乗ったことが意外だったのだろう。

 しかし、すぐに営業スマイルに戻った窓口スタッフは恭一に一枚のカードを差し出してきた。手のひらに収まるほどのサイズのカードである。


「それでは、こちらのカードに一滴だけ血を付けていただいてもよろしいですか?」


「血って……血液検査でもするのか?」


「登録に必要な手続きでございます。こちらにどうぞ」


「…………」


 恭一は言われるがまま、針で指を刺してカウンターに置かれたカードに血を垂らす。

 すると、カードに一瞬だけ円と三角を合わせたような幾何学的な紋章が表示されて、すぐに消える。


「お?」


 そうかと思えば……今度はカードに文字が浮かび上がってきた。

 にじみ出るようにして、恭一の名前と登録番号、『退魔師5級』という文字が表示される。


「こちらが退魔師としての身分を証明するカードになります。こちらを提示していただくことにより、妖怪が生息していて封鎖されている地域にも入ることができます」


 恭一にカードを渡して、窓口スタッフが笑顔のまま説明を続ける。


「また、仕事の報酬を受け取るためにもカードが必要です。このカードには特殊な呪術がかけられていて、持ち主が討伐した妖怪を記録することができます。その妖怪の種類や数によって報酬が発生しますので、妖怪と戦う際には忘れずに所持するようにしてください」


「……これがないと報酬がもらえないってことか。便利なようで世知辛い世の中になったもんだな」


 最近は科学技術と呪術を組み合わせるという試みも行われているらしく、様々な技術が開発されているらしい。

 どれも高価なものなので恭一にはまるで縁がないのだが……このカードもそんな研究から生まれた物なのだろう。


「それでは、これで登録完了となります。何かご質問はありますか?」


「すぐに稼げる仕事を教えてくれ。楽に大金が入るようなものが良いな……それとお姉さんの連絡先とか教えてくれると嬉しいね」


「冒険者の仕事は危険であるほどに高報酬となります。こちらの地図に妖怪が生息している地域が記載されていますから参考にしてください。それと……こちらがこの支部の電話番号になりますから、何かあったら連絡してください」


「…………りょーかい」


 乃亜と別れたばかりなので新しい恋を探そうとしたのだが……あっさりと受け流されてしまった。

 恭一は溜息を一つついて、差し出された地図に視線を落とす。


「……日本ってのは妖怪だらけなんだな。地図のほとんどが妖怪が出没する危険地域じゃないか」


 カウンターに置かれた地図は東京を中心として関東一帯が描かれている。

 地図は三色に色分けされていた。人間の生存区域である緑色グリーン。比較的危険度の少ない妖怪が出没する黄色イエロー。強力な妖怪の住処であり、退魔師でさえも一定条件の強さがなければ入ることができない赤色レッド

 地図の二割がグリーンで、残りの大部分がイエローかレッド。こうして地図で目にしてみると日本が妖怪ばかりなのがよくわかる。


「日本は国土の七割が森林ですからね。妖怪は自然から発生するものが多いので、山などは自然と妖怪の生息域になってしまうんです」


「へえ……なるほどね」


「蘆屋様は登録されたばかりですので『5級』の退魔師となります。妖怪の出没地域のうちイエローの地域のみ入ることができます」


「イエローね……等級が上がると赤い場所にも入れるってことか?」


「その通りです。イエローは比較的弱い妖怪しかいませんので、協会に登録さえすれば誰でも入ることができます。しかし、レッドは3級以上の退魔師の方しか入ることはできません」


「へえ、勝手に入ったら捕まるのか?」


「法的な処罰はありません。しかし……どうなっても自己責任ということです」


 仮に強力な妖怪に襲われて命を落としたとしても、協会は一切責任を取らないということだろう。

 恭一としては、適当に楽な仕事をこなして小銭を稼げれば問題ないので、別にレッドに入ろうとは思わないが。


「りょーかい。ちなみに報酬の金額は妖怪の危険度で決まるのか?」


「はい。強い妖怪ほど報酬が高くなります。ただし、人間と共存している一部の妖怪には人権が認められており、特別な扱いを受けています。退治すると『殺人』として法の裁きを受ける可能性があるのでご注意ください」


「注意って言われてもな……どうやって共存しているか見分ければいいんだよ?」


「人権を取得した妖怪は専用の身分証を持っていますから、そちらを提示させてください。人型をしていて会話でコミュニケーションをとることができる妖怪とはすぐに戦わず、まずは身分証を確認するのが無難な対応ですね」


「…………ふーん」


 面倒なので人型の妖怪は狙わないようにしようと恭一は心に決めた。


「ちなみに、人間に使役されている妖怪もいるのですが、こちらは倒したとしても犯罪にはなりません。ただし、使役している術者の方とトラブルになるでしょうから推奨はできませんね」


「りょーかい……これで説明は終わりか? だったら、ボチボチ日銭を稼ぎにいかせてもらうよ」


 適当に返事をすると、恭一は地図を掴んでその場を立ち去ろうとする。

 しかし、受付カウンターから一歩二歩と歩いてから振り返り、スタッフの女性に向かって口を開く。


「ところで……さっきの話だけど。やっぱり連絡先、教えてくれない?」


「…………」


「俺ってさ、自分で言うのもアレだけど顔は悪くないと思うんだよな。背も高いし、アッチの方も上手だって前の彼女からは褒められてたんだよ。わりと優良物件だと思うんだけど……どうだい、せめて一晩お試しだけでも」


「恐れ入りますが……」


 女性はニッコリと営業スマイルを浮かべたまま、「グッ!」と親指を床に向かって突き出した。


「いきなり『すぐに稼げる仕事を教えろ』『楽に大金が入るようなものが良い』などとおっしゃる方は恋愛の対象外となります。年収一千万を超えてから出直してくださいませ」


「…………りょーかい」


 底冷えのする笑顔で睨みつけてくる店員。

 恭一は降参するように両手を上げて、大人しく退魔師協会の支部から出ていくのであった。

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