第58話

 あっという間に二ヶ月が過ぎ、うちの会社への鮫島商事のプレゼンも無事終わった。

 部長から聞いた話だとなかなかの好感触でまず九分九厘、案は通るだろうってことみたいだ。


「ありがとうございます、ありがとうございます。これもみんな佐野様のお陰です」


 鮫島商事の飯田部長に手を握られ、お礼を何度も言われている。なんかしっとりして気持ち悪い感触だから早く離してほしいんだよね。

 磯内課長も何故か涙を浮かべている。ああ、久しぶりにとった大型案件なので嬉しかったのね。


「まぁ、ハイグロ企画の高木さんが頑張ったからですよ。磯内課長のご指導も良かったのでしょう」


 あれから本当に磯内課長は会社で怒鳴ったり物を蹴ったりといった行動がなくなったらしい。


 結果、社内の雰囲気も良くなり課員全員でこの企画に全力で取り組めたっていうのも成功の理由なのかもしれない。


「これから打ち上げパーティーなのですが、佐野様もご参加いただけますよね?」


「せっかくのお誘いですが、僕にはまだやらなくてはならないことがありますので、ここでお暇させていただきます。また次の機会には必ず」


「そうですか……。わかりました。今回は本当にありがとうございました」


「はい。では僕は失礼させていただきます」


 成功を祝っていたハイグロ企画の事務所を出て、雑居ビルの階段を上がる。


 今日は僕の誕生日の前日。


 例の日だ。


 まだ日を越すには時間はあるが、のんびりと二周目の回想でもしていれば時間も過ぎるだろう。

 緑色のピクトグラムが蛍光灯の劣化で点滅しているドアもあの時と一緒だ。錆びついてギシギシ鳴るドアを開けて非常階段に出る。


 そのまま屋上に上り、ビルの反対側まで回る。


「あのときは和泉がいてびっくりしたんだよなぁ」


 もうあれも懐かしい思い出になっている。


 配管に寄りかかって缶コーヒーをすする。考えること思うことはたくさんあるが、どうせあと数時間で僕自身の世界は変る。


 今回もまたタイムリープが成功するか、はたまた失敗に終わり無惨にただの死体になるか。


 死んでしまったら、花楓を救えずのうのうとここまで生きてしまったバチが当たったものとして納得しよう。


 せめて和泉だけでも幸せに出来たと思えれば上手いこと成仏できるんじゃないかな?


 遺書も残してきたし、死んだことを知らせるようにメールの自動配信も予約してある。もう用意万端なのだ。思い残すものは一つもない。


「悪い方にばかり考えるのは良くない癖だな。今回もタイムリープは成功する。ゼッタイだ」


 ただ、いつの時点に戻れるかは定かじゃないのでそこは賭けだったりする。


「なんだろこの楽観できない性格は難儀としかいいようがないなぁ」


 22時。まだ2時間もある。しくじった。最後の晩餐と洒落込んできても十分すぎるほど時間があった。


「腹減った。けど、いまさら外に出て食事してまた戻ってくるのってなんか嫌だな。気分的なもんだけど……」


 あーあ……。

 ……。





 ティロリン♫ティロリン♫ティロリン♫ティロリン♫


「うわっ、寝てしまった」


 念のため23時にアラームをセットしておいたのが功を奏した。この大事な日を寝過ごすとかありえないから。


 寝転んで寝ていたようだけど、なんだか頭の下が柔らかくて心地いい。


 ……なんで?


 まだ寝ぼけていて思考がクリアじゃないせいで考えが纏まらないが、なにかおかしいのだけはわかった。

 ガバっと起き上がり、柔らかいものの正体を確かめる。


「膝枕……って? あれ? なななななに?」


「ふふ。久しぶりね、誠志郎くん」


「……………なんで? なんでいるの? ………和泉」


 脱色されたまだらな金髪でもなく、目の下にははっきりとした隈もない。やせ細っていかにも不健康そうな肢体だったことなど想像もできないくらい健康そうな体つきと表情。

 見惚れるほど美人になった和泉が目の前にいる。


「なんでいるのって今日は大事な日でしょ? どうせ誠志郎くんのことだからここにいるだろうなって思ったの。独り抜け駆けなんて酷すぎない?」


「え、あ……」


「あはは。誠志郎くん、びっくりしすぎ。それにしても今回の誠志郎くんはかっこいいね。ビシッとスーツも着こなしちゃって」



「いや。それはどうでも良くて……。なんでここにいるの?」


 目はすっかり覚めたけど、現状がなんなのか全く理解が及ばない。何故ここに和泉がいるんだ⁉


「なんでいるかって、決まっているじゃない。何も起こらない日々を取り戻すためよ」


「取り戻す……」


「そ。取り戻すの。半グレを撃退するのはどうやっても無理だから過去に戻って何も起こらないように逃げまくるの。平穏が取り戻せるのならその手段なんてどうでもいいことよ」


 逃げ足だけは任せておいて、と拳を握る和泉。いや、だから、そうじゃなくて……。


「失敗したら死んじゃうんだぞ? 今の生活が終わってしまうんだぞ?」


「いいよ、そんなの。カエデちゃんをあんなにして手にした幸せなんてクソ喰らえだよ。わたしは絶対に戻ってカエデちゃん共々また幸せになる!」


 ピピピピピピピッ♪


「さぁ時間だよ。誠志郎くん。いくよ!」


「どうなっても知らないからなっ」


 もう考えている猶予はない。


 あの時と同じように和泉と手を繋いで柵を乗り越えた。

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