第47話
いつの間にか自宅に着いており、自室までなんとか叔母に連れて行かれたのは覚えている。
ベッドに潜り込み泥のように眠り、泥沼に嵌ったような悪夢に囚われていたような気がする。
「七時……」
今日のバイトは九時からなのでそろそろ起きないといけない。二時間ほどしか寝ていないせいか鉛の服でも着ているのではないかって思うほど身体が重たい。
花楓のwire-upにメッセージを送ってみるが、案の定既読さえつかない。
昨夜聞いた警察官の話によれば彼女は病院に暫く入院して、その後被害届を出したり、告訴状を提出したりといった手続きに移るとのこと。
警察としても強制性交と器物破損、建造物侵入の各罪状で捜査は一応するみたいだ。
のそのそとベッドを這い出して階下に降りる。今朝は瑞希が近所の幼馴染の家に泊まりに行っているのでいなかったんだった。
「こんな姿見せないで済んで良かったかもな……」
洗面所の鏡で自らの姿を見たが、目はくぼんで隈ができているし、髪は寝癖とは言えないほどボザボサ。昨夜から着っぱなしのシャツはよれよれで薄汚れている。
なんともみすぼらしい。
「飛び降りる直前の自分を思い出すよ……」
こんな姿は瑞希には見せられないし、昼頃には警察から連絡の行っている両親も帰ってくるだろう。
「はぁ……。取り敢えず何か食べて、シャワー浴びて、着替えよう」
ふらついた足取りで、トースターで食パンを焼く。焼けるまでに、ポットでお湯を沸かしてコーヒーも作る。
他にも作ろうと思えば食材は冷蔵庫に入っているが、食欲もないし、何しろやる気が起こらない。
トーストにマーガリンを塗って、ダイニングチェアに腰掛けて半分ほど食べたところですべてを吐き戻してしまった。
花楓がレイプされたシーンを思い浮かべてしまったのだ。
勿論そのシーンがある動画は見ていない。僕はただ和泉からその内容を聞いただけだ。
だけれどもその残虐さや花楓の感じたであろう恐怖や悔しさ、無念な思い等々は想像に難くない。
暫くシンクの前で蹲っていたけど、いつまでもこんな状態ではいられないと、残りのトーストとすっかり冷めてしまった温く苦いだけのコーヒーを腹に流し込んだ。
「バイト……行かないと……」
体はどう見ても疲弊しているのだけど、仕事に穴は開けられない。人手は足りておらず、僕が行かないだけでも周りに及ぼす迷惑は計り知れない。
「前の会社なら、こんなのは日常茶飯事な通常モードなんだけどな」
洗面所で壁に寄り掛かりながら身支度をしていると、スマホにメッセージの着信があった。
「――花楓?」
素早くスマホを取り上げ、ロックを解除して内容を見る。花楓では無かった。
「和泉か……。そういや、彼女も大丈夫だろうか?」
僕がこれだけダメージを負っているんだ。だったら和泉は……。
彼女は警察署で調書を取られている最中から帰宅するまでずっと泣いていた。
『わたしが悪いの……。わたしさえ我慢すれば、カエデちゃんを……』
彼女もまた悔いているようだった。僕にはその悔恨にかける言葉が見つけられない。中身は27歳のいい大人だっていうのに不甲斐ない自分にただただ嫌気が差すだけだった。
なんの進展もなく、なんの気力も起きないまま1週間が過ぎ去った。世間は何事もなかったかのようにお盆明けと言った具合。花楓とはあれから全く連絡が取れていない。
『会って話したいことがある。時間貰えない?』
朝イチで和泉からの端的なメッセージ。彼女も余裕は取り戻せていないようだった。
『今日はバイトが午前中までだから、昼過ぎならいつでも』
『バイト行っているの? 大丈夫』
『行かないと更に周りに迷惑かけるから』
『無理しないで』
『ん、わかった』
『そう言っておいてだけど、バイトが終わったらうちに来てくれない?』
『わかった。住所教えて』
『住所はマップのデータ送るから』
『わかった。昼過ぎに向かうよ』
『よろしく』
時間だ。バイトに向かわないと。
今日の仕事は午前中の三時間だけだったのでなんとかなった。社畜時代は心神耗弱な状態で一六時間勤務したこともあるからこの程度は無心でも熟せる。
仕事中はロッカーに置いてあるスマホにメッセージが入っていた。和泉から自宅への地図が送られてきたのだ。
和泉の家には一度お邪魔したことがあるけれど、よく覚えていないし、駅からじゃなくこのバイト先からだと道順がわからないので頼んでおいたのだ。
ナビに従い和泉の家へ。
「暑いし、バイトの後なのにごめんなさい。来てもらっちゃって」
「僕は大丈夫。慣れているから」
「ありがとう。部屋でまっていてくれる? 麦茶持って上がるから」
「ん、わかった」
二階にある和泉の部屋へ向かう。家人は留守らしく可愛らしい女の子と二人きりだけどまったく気分的にときめかない。
現況当然だろうけど。
小さなテーブルを挟んで向かい合ってクッションの上に座る。
すでに和泉が部屋に来て五分は過ぎているが、一向に話し出す気配が無かった。
今僕らが置かれた状況下で、和気あいあいと話が盛り上がるわけもなく、沈んだ気持ちをこれ以上潜らせないように押し留めているのが精々だ。
「お、お話があります。とても大事なことで、カエデちゃんのこともあるけれど、誠志郎くんにも関係する重要なことです……」
「重要なこと?」
重苦しい雰囲気の中、和泉が語り始める。
「わたし、秘密があるの……。信じてもらえないと思うけど本当のことなんだ。あのね、私、一度――――」
※※
今年もありがとうございました。
続きは来年の少し間を空けた後になりそうです。
どうぞ良いお年を。
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