第39話

「花楓大丈夫かな?」

「ちょっと熱があるだけとは言っていたけどね。寝ていれば治るって医者にも言われたそうよ」


 今日は3人で海に行く予定だったが、直前になって花楓が夏風邪で行けなくなってしまった。


 前日の木曜日は先週に引き続き夏休みの宿題をみんなで片付けていた。

 宿題もある程度切りが付いた頃、花楓はなにか調子が悪いと先に帰って行っていた。まさか風邪を引いただなんて。


「一緒に行けなくなったのは残念だよなぁ」

「海に行けるのは今回だけってわけじゃないし、なんなら来年だってあるわよ」


 花楓本人も同じようなことを言っていたのであまり気にしても仕方ないと思う。それよりも今日は今日を楽しんだほうがいいと思うんだ。


「何気に和泉と二人きりで出かけるのって初めてだよね?」

「そうね。だけどその言い方だとカエデちゃんとは二人ででかけているみたいだけど⁉」

「まあ、放課後は部活含めて二人きりのことはよくあったからね。ちょくちょく二人で近所までは出かけていたかも」


 マッコだったり、駅前の書店だったり、文房具店にも行った。誰も来ないので落ち着くって花楓がいうので、裏道にある小さな喫茶店などにも行ったことがあった。


「ずるくない?」

「何がどうズルいいの?」


 一緒に行ってもそんなに面白い場所ではないと思うけど……。


「わかんないならいいですよーっだ!」

「ええっ!? 理不尽な……」


 今日は花楓も二人で楽しんできてというので、和泉と二人で海まで繰り出している最中。ターミナル駅でJR線に乗り換えたらあとは殆ど座っているだけ。

 ただし、海までの全行程が2時間強となるので気軽に行けるものでもない。それなので花楓も二人だけでも行ってくれと言ったんだと思う。


 一周目の僕だったらまずこのシチュエーションになることはありえないし、思いがけず女の子と二人で出かける機会があっても絶対に断っていたと思う。


 大人の余裕だといえば格好がつくかもしれないけど、実際のところは彼女たちに助けられているのが本当のところだろう。

 全幅の信頼を持って甘えてきてくれる瑞希もそうだし、情けない先輩なのに慕ってきてくれる花楓。勉強をちょっと教えたくらいでほか何もできていない僕を友人と言ってくれる和泉。


 彼女たちの支えありきで僕は少しずつ変わっていけているのだと思うんだ。


 ……さて、なんでこんな余計なことを和泉と二人で移動中に考えているかと言うと、実はこの和泉さん只今爆睡中なんだよね。


 しかも僕に寄り添って、肩に頭をすっかりと預けてね。


 さっきから、和泉の髪からいい匂いがするし少し空いた襟の隙間からチラチラとピンク色の下着が見え隠れしているので気が気じゃない最中だったりする。


「今日は朝が早かったからなぁ……」


 僕は毎日瑞希のラジオ体操に付き合っているので早起きに慣れっこだけど、和泉にしてみれば相当早起きだった模様だ。


「起きるのは9時頃だって言っていた気がするしな。今がその9時だから、3時間位早起きしたのかな? 寝不足なのは確実だよね」


 乗り換えまで相当時間はあるし、ゆっくりと寝かしてあげたほうがいいかな。周りのサラリーマンの視線が刺々しくて痛いけど。

 まあ彼らの気持ちはそれこそ痛いほどわかるからね。僕も長いことそっち側にいたからさ。



 あと二駅で乗り換えの駅に到着するってところで和泉のことを起こすことにする。


「和泉、起きて。あと2つで乗り換えだよ。和泉、起きなよ?」

「ふぇ? あ、わっ! ぇ……」


 寝起きで思いの外大きな声が出てしまい自分の声に驚いて縮こまる和泉。


「おはよ。あと2つで乗り換えだよ」

「ごめん、寝てたんだね。一緒に出かけているのに寝ててごめん」


「別にいいって。早起きだったんでしょ、しょうがないって。それより、はい。これでよだれ拭いたほうがいいよ」


 そっとハンカチを和泉に渡す。彼女の口元にはよだれが垂れた跡がうっすらと残っている。もちろん垂れたよだれは僕のTシャツがしっかり吸い取っているよ。


「///ごめん……。Tシャツ、後で洗うよ?」

「大丈夫だって。着替えるときにでも軽く拭き取ればわからないって。和泉は気にし過ぎ」


 我が道を行くって感じの和泉が縮こまって恐縮している姿を見られただけ得した気分だから問題なんてない。そんなこと和泉に言ったら怒られるかもしれないけどね。


 既に下りの路線に入っているので周りにはサラリーマンは殆どおらず、海に向かうであろう学生同士の友人グループやカップルたちばかりになっている。


 満員電車並に混んでいるというのに誰も彼もがみな楽しそうだ。花楓も連れてきてやりたかった。来年僕は受験生だけど1日くらいは遊んでも問題ないだろう。

 それに来年なら瑞希も中学生になっているし、まだそれまでお兄ちゃん子だったら一緒に連れてきてやってもいいかも知れない。


「さて、乗り換えたらあとちょっとで海岸の前だね」

「海なんて久しぶりだなぁ。小学生の時以来かも知れない。瑞希がやたら小さかった記憶があるな」


 一周目で海に行った記憶ってそれが唯一かも知れない。たしかに海なし県住みだけど人生で一度きりとか寂しすぎるよね。

 仕事で行った東京湾の臨海工業地帯は海に行ったとは言わないよな、やっぱり。2時間ほど埠頭で潮風に吹かれ立ったまま待たされたのは苦い思い出。


「じゃあ今日は思いっきり遊ぼうね! ぜったいに楽しくさせてあげるから期待しててよね!」


 ここは本来男の僕がリードするべきなんだろうけど、如何せん経験不足は否めないので全幅の信頼をもって和泉さんに付いていきます!

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