解答と追跡

「答えはこれだ」


 ガシャン、と室内灯が点灯する。

 照らし出される古びたコンクリートの水槽群。大きい。ジャブジャブと絶え間なく水が注ぎ込まれる音。立ちこめる水の飛沫の匂いと微かな塩素の匂い。カネヒサは水族館のバックヤードを連想した。


「これは……」

「まあ見ていたまえ」

 ピウィッっと渋沢は口笛を吹いた。

 黒々とした水面に、スゥーッと三角形の背鰭が浮上する。

「サメ!」

「アオザメだ。学名イスルス・オキシリンクス。サメの中でも一二を争う泳力を持ち、その速力は27ノット……時速50キロを越えるとされる。気性は獰猛で知能も高い。水棲肉食動物の中でも屈指の優れたハンターだ。因みに魚類は唾液を出さない。覚えておくことだ」

 

 カネヒサの目の前で、ザザザと一匹のアオザメの全身が水上に現れ、ふわりと空中に浮かぶと、そのまま海中を泳ぐように体育館ほどの屋内空間を遊泳しだした。体長はゆうに3メートルを超えている。

「え⁉︎ 飛んで……え⁉︎」

「これが空飛ぶサメの正体さ」

「正体も何も空飛ぶサメそのものじゃないですか⁉︎」

「そうだが」

「なんか空飛ぶサメを合理的に再現する仕掛けがあってそのトリックを僕らで解明する流れじゃないんですか⁉︎」

「普段どんな本を読んでるんだ?」

「分かった! このサメもトリックでしょ! バッテリー内蔵のアニマトロニクスを高張力の樹脂線で吊って……」

「天井のレールに滑車か何かで滑走させるのか? 映画の撮影じゃないんだぞ。ここにそんな舞台装置がないのは明白だろう」

「じゃあ……じゃあ……!」

「現実を受け入れろ。この世にはな、空飛ぶサメというものがいるんだ」

 ガチャリ

「なんだこれは」

「手錠です」

「それは見れば分かる」

「渋沢シゲオ博士。殺人容疑で逮捕します」

「キミはもう少し礼儀というものを弁えた方がいいな」


***


「旧日本軍の……生物兵器⁉︎」

「そうだ。太平洋戦争末期。この国は勝つ為ならなんでもやった。今から79年前。狂気の天才渋沢キチロウ博士が考案した渋沢式自律攻撃魚類参號。海軍能登研究所最後の計画、サ号計画の申し子。渋沢一族が継承する負け戦の遺産さ」

「でも魚が飛ぶって……どんな原理で?」

「概念生物学は既存の物理科学に束縛されない」

「それはもう非科学では?」

「視点を変えてみろ。例えば、既存の科学が概念科学の下位分野だとしたら?」

「詭弁の匂いがします」

「あのサメが見えないか?」

「…………」

「概念は自由だ」

「そりゃ人間が想定するものですし」

「そうだ。だがキミの思う科学的な科学もそうじゃないか?」

「それは……科学には再現性があり、複数の査読を受けた論文があって……」

「再現を検証するのは?査読をするのは?神か?」

「……人間です」

「そうとも!」

 博士はババッと白衣の裾を翻し、両手を腰に当てて反り返るように胸を張った。

「この世の科学は、物理法則は人間によって提唱され、確認され、定義されている。じゃあ我々の技術や、認識や、定義の基準が変わったら? 恐竜の分類、地球の形、神や悪魔の存在とその否定……物理法則や科学的真実など」

 小さな美女は振り返り、その視線でカネヒサを射た。

「書き換えが可能なのだよ」

「それは、仰る通りですが」

「こと生命は!」

 渋沢はポケットからヘアゴムを取り出し、手際よく長い髪を束ねてポニーテールを作った。

「キミの言う既存最新科学をもってしても謎ばかりだ。ウィルスを例に挙げれば我々は生命の定義すらできていないと言っていい。何が生命を生命たらしめているのか? なぜ命は生まれた? その最初の発生は? 非生物はどうやって生物になった? その答えの一つが」

 ピッ

 渋沢は壁のスイッチを押した。

 ゴンゴンゴンゴン……

 飼育室の外扉が開いた。夕闇が迫る森が、優美な流線型を体現した無慈悲な捕食者に解放される。

「概念だ」

「ちょ⁉︎ アレを解き放つ気ですか⁉︎」

「大丈夫。六郎丸は私に従順だ。私自身の手足に等しい」

「六郎丸?」

「渋沢キチロウはサ号計画において七体の完成品を世に遺した。だが終戦のゴタゴタで一体は焼却され、四体は行方不明。この研究所に残されたのは六郎丸と七郎丸だけ」

「じゃあ……この事件の犯人は……‼︎」


 こくり、とポニーテールは頷き、くるりと回った。


「さあ、狩りを始めよう」

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