博士とトリック
貴族の屋敷のような仰々しい館の有り様とは裏腹に、ポーチの付いた立派な玄関の扉の脇には、古びたインターホンが付いていた。
時代の流れか、とカネヒサは捻りのない感想を抱きながら、フッと息を一つ吐いてその勢いのままインターホンのボタンを押した。
ビィーッと昔の団地の玄関ブザーのような音がした。スリットが沢山入ったカバーだったので勝手にインターホンだと思ったが、これは単なるブザーで中の人間と話す機能はないのかもしれない。
「こんにちは。県警本部から来ました。有村と言います。渋沢博士にご相談があって来ました」
何かが誰かに伝わった様子はない。
ん、んっ
「こーんにーちはーッ!県警!本部から!」
ガチャ、ギィ
ドアの隙間から眼鏡が覗いた。
「だ、あっ! 初めまして有村カネヒサ巡査です! 県警本部から来ました!」
重たそうな扉をギギギと鳴らして姿を現したのは
(女⁉︎)
踵に届くような黒く長い髪。
(ジャージ⁉︎)
緑の生地に白い二本線が入った洗いざらされたジャージ。
(可愛い⁉︎)
眼鏡を取るまでもなく、くりっとした大きな瞳、青ざめて見えるほどの白い肌、線の細い整った顔立ちと華奢な体格、背丈は120あるだろうか。小さい。
「…………」
「あ、あの、お父さん……か、お母さんいらっしゃいますか?」
ジャージの少女は不機嫌な顔を作った。
「私がこの研究所の所長、渋沢だ。同居してるものはおらん」
「あ⁉︎ こ、これは失礼を、すみませんその、不勉強で……資料が古かったのかな⁉︎ こちらの所長は渋沢シゲオ博士と聞いてまし」
「いかにも私が渋沢重緒だが?」
カネヒサは背中と脇に変な汗が吹き出すのを感じた。
「スゥーッ あ、ですね。ほんとそのバッ……申し訳ありませんでした……プリンお好きですか?」
「それは頂こう」
***
「なるほどな……」
渋沢は自分で淹れた紅茶を一口飲んだ。
一度扉を閉めて引っ込んだ彼女は、薄いパープルのブラウスと黒のタイトスカートに白衣を羽織った衣装だけは博士然とした出立ちで再びカネヒサの前に現れ、彼を応接室に
優美な装飾のティーセットで紅茶が出され、カネヒサはグダグダの初対面と慣れない雰囲気にどぎまぎしながら、それをなるべく表に出さないように最大限努力しつつ、事件のあらましを説明して資料を博士に提示した。一通りを聞き終えて資料に目を通した渋沢は、ティーカップを置くと真っ直ぐにカネヒサを見た。
「キミはどう思う?」
ドキリ、とカネヒサの心臓が彼の内心を叩いた。
可愛いという第一印象は今は美しいという第二印象に変わり、その小さな美女に射抜くように見据えられている、それが一層カネヒサをどぎまぎさせた。
「ぼぼぼぼ僕ですか⁉︎」
「そうだ。キミがこの事件の専従捜査員なのだろう」
「僕なんて新人で経験も少なくっ、とても博士のお耳に入れるような考えは……!」
「それでいい。素朴な意見でも例えばでも、思うところを言ってみてくれ。なに、馬鹿にしたり怒ったりはせんよ」
「そ、そ、そうですか……そうですね……」
カネヒサは考えた。
「被害者はごく普通の営業マンで、目立った人間関係のトラブルもなく、今のところ動機はサッパリなんですが……」
「ふむ」
「この事件の一番の特徴は空飛ぶサメ、だと思うんです」
「そうだな」
「でも、それは常識で考えてあるはずがない。かと言って死にゆく被害者が嘘を言ったとも思えない。遺体からはアルコールも、幻覚を見るような薬品も検出されなかった」
「と、いうことは?」
「犯人が、なんらかの方法で、被害者に空飛ぶサメに襲われたと錯覚させた」
渋沢はふふっと笑った。
カネヒサの脈拍が少し上がった。
渋沢は短く問いかける。
「噛み跡は?」
「そういう凶器を自作したんだと思います。例えば木刀に、サメの歯そのものか、サメの歯の形を模した金属刃を並べて据え付けたような。だから噛み跡はあっても唾液は検出されてない」
「サメの歯そのものが遺体から出ていたようだが」
「わざとじゃないでしょうか。肉食動物の歯の中では疑いなくサメの歯は格段に入手しやすい。博物館でも水族館でも、アマゾンでもメルカリでも売っている。お金があれば、サメの歯の噛み跡を残す武器を作ることも、遺体にサメの歯を残すことも、そう難しくはないと思います」
「だとしても、被害者が空飛ぶサメに襲われたとは思い込まないだろう。奇妙な武器を持った暴漢に襲われたと思うだけだ。犯人はサメの着ぐるみでも着て、ロープにぶら下がって現れたのか?」
「犯行は夜だった」
「だから?」
「プロジェクションマッピング……とか」
くっ、と喉を鳴らした渋沢は間を置かず
「ハハハハハハッ」
と高らかに笑い、拍手をした。
「お見事だ、有村巡査」
「あ、ありがとうございます」
「全部間違っているがな」
「え⁉︎」
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