第10話 詮議

 ハインリッヒとフレイヤが向かった先は、謁見の間ではなく、さらに奥に位置する王の執務室だった。侍従による取り次ぎを経て、二人は室に招き入れられた。中にいたのは、国王リヒテル・ハイランド三世、宰相アントン・フリューゲル、宮廷魔術師アーロン・ベルトラン、王女ロクサーヌ、それに侍従と護衛の騎士が二名ずつのみである。ごく小規模な集まりであり、それゆえかえって重要な場であると知られた。

 ハインリッヒは、フレイヤを伴い王の座す卓の前に進み出た。粛然と膝をつく。


「陛下、フレイヤ・サンデル殿をお連れしました」

 頭を下げながら、ハインリッヒはしきりとフレイヤに目配せを飛ばした。ぼうっと突っ立っていたフレイヤも、さすがに気付いてぺこりとお辞儀をする。意外と綺麗な所作だ。だが礼儀正しかったのも束の間、すぐに周りをきょろきょろと見回し始める。


「御前だぞ。控えろ」

 小声ながらハインリッヒの口調がきつくなる。しかしフレイヤはむしろ困惑の風情を返した。


「御膳、どこ?」

「まさにここがそうだ! 目の前におわす方は国王陛下だぞ!」

「だけどなんにもないよ。王様の御膳、楽しみにしてたのに。きっとすっごく豪華でおいしいんだろうなぁって」


 この少女はとんでもない勘違いをしている。ハインリッヒがそれを理解するまでに、いささかの時間が必要だった。誤りを正すよりも早く、頬を真っ赤に染めた王女が椅子を蹴立てる。


「たわけ者っ! やはりこんな怠け娘が勇者の転生のはずがない。父上、詮議などするだけ無駄です。マッカートニー卿、遠慮はいらぬ。く追い出してしまえ!」

 王女が怒るのはもっともだった。しかしハインリッヒもおいそれとは従えない。


「殿下、サンデル殿はこうした場に不慣れなのです。どうかいくらかの落ち度はご容赦ください。いっときの感情で全てを台無しにするわけにはまいりません」

 転生勇者は魔王軍との戦いにおいて欠くべからざる存在だ。ハインリッヒとしては当然の理屈だったが、王女はさらに激昂した。


「なぜかばう! マッカートニー卿はそんなにそいつが気に入ったのか? 私より胸が大きいからか!?」

「は? いえ決してそのようなことは……」


 全く斜め外からの言い掛かりだった。確かにフレイヤにはふっくらとした印象があるものの、並の娘と比べてさほど大きい方ではないと思う。もし二人の間にはっきり差があるとしたら、それはたぶん王女の方が小さいのだ。だが無論そんなことは口には出せない。

 剣呑けんのんな気配をまとう王女から、ハインリッヒはそっと顔をそらした。妙な緊迫感が高まる。


「ふっ。ロクサーヌよ、少し落ち着け。そなたこそお客人に対して無礼であろう。フレイヤ殿、すまなかったな。余からも詫びさせてもらう」

 微かに含み笑いを浮かべた王が、少女にゆるりと頭を下げた。フレイヤは再び辺りを見回す。


「それより御膳は……?」

「今言う御前とはな、余の前という意味だ。食事のことではない。残念だったな」

「そっかぁ」

 フレイヤはしょんぼりと肩を落とした。ど平民の率直過ぎる態度に、一同が引っ繰り返りそうになっている中、王が威儀を改める。


「余の名はリヒテル三世、ハイランド国王である。サンデル殿、遠路はるばるよく参られた。歓迎する」

「どうもです。フレイヤ・サンデルです。お招きありがとうございます。たぶんしばらくお世話になります」

 フレイヤはしげしげと王を眺め、さらにくんかくんかと鼻をひくつかせた。


「王様は王女さま……ロクサーヌさんのお父さんですか?」

「さよう。似ているか?」

「見た目はあんまし。だけど匂いが一緒っぽいなーって」

「なっ!」

 憤然とするロクサーヌを手振りだけで制し、王は背後に控える侍従を振り返った。

「カリオロ、例の物を」

「かしこまりました」


 侍従がうやうやしく一礼して室の外へ退出する。さして待つほどのこともなく、細長い包みを捧げて戻ると、王の座す卓の上へ置いた。ごとりと重量感のある音がする。侍従は細心の注意を払った手つきで包みをほどいた。

 現れたのは漆黒の鞘に覆われた剣だった。小さくないざわめきが一同の間から生じる。


「父上、いけません! そんな怠け娘に触れさせたらきっと錆びてしまいます! だいいち無理に決まってます!」

 ロクサーヌが顔色を変えていた。対して王は泰然と落ち着いている。

「試さずばわかるまい。フレイヤ殿、近う寄れ。あるいはそなたならば扱えるやもしれん」


 ただの剣ではない。かつて勇者が魔王との戦いで振るったと伝えられる、王家重代の秘宝である。

 これまで幾人もの名高き剣士や戦士が挑み、しかしついに誰も抜き得なかった。他ならぬロクサーヌもそのうちの一人だ。ハインリッヒもまた然り。


 ロクサーヌの額に汗がにじむ。

 万が一、いや億が一にも抜けてしまったら、もはや認める以外ない。フレイヤ・サンデルは勇者の転生なのだと。


「わたし、剣とか触ったことないんですけど」

「もし首尾良く抜けたなら、最上の御膳を用意させよう」

「やるです」


 フレイヤはずずいと身を前に乗り出した。禍々しささえ漂う伝説の剣に、臆することなく手を伸ばし、気軽くひょいと取り上げる。

 近衛騎士ハインリッヒ、宰相フリューゲル、宮廷魔術師ベルトラン、そして王女ロクサーヌが驚愕に目を瞠った。


「おおっ」

「これは……」

「さてこそ」

「そんな!?」

 その剣は異常なまでに重いのだ。武技に素人の娘が安々と扱える代物では断じてない。

 王が命じる。


「抜いてみよ」

「ふぁい。いきます。えいやっ!」

 裂帛れっぱくの気合いが響いた。転生勇者として召された少女は、まるまっちい手で漆黒のつかを握り、渾身こんしんの力を込めた。


「ほいっ、それっ、ふんっ、とりゃあぁぁっ……無理でした」

 フレイヤは剣を置いた。

 静寂が落ちかかる。王は石像のごとく動かなかった。廷臣達が呆然と息をつく。未だ事が決したわけではない。しかし期待外れ感は否めない。


「ほら見ろ、やっぱりパチもんだ。だからさっさと追い出しちゃえばいいんだ」

 ロクサーヌはぶつぶつと口の中で呟いた。勇者が転生していないのは困る。だがこの怠け娘がそうだなんて思いたくもない。


「おそれながら、確かめさせていただきたく」

 気まずい雰囲気を振り払い、宮廷魔術師が立ち上がった。早足で歩み寄ると、きょとんとするフレイヤの額に手をあてがう。


「ご無礼を。しばし辛抱願います」

 くすぐったそうに身動ぎをするフレイヤに断りを入れ、ベルトランは目を閉じた。自身の意識を集中し、少女の内へと沈めていく。精神の奥深くに魂の所在を探る。全ては明らかだった。尋常でなく強い輝きが魔術師の心を射た。万物の根源、質量共に圧倒的な霊気がそこにあった。

 再び自分の中へと戻り、ベルトランは目を開いた。フレイヤから手を離して一同に向き直る。


「疑う余地はありません。サンデル殿、いや、サンデル様は勇者の転生です」

「私は信じます」

 ハインリッヒがすかさず賛意を表する。ロクサーヌがむっとしたのには気付かず、瞳に真摯しんしな色を宿して主君の判断を待つ。わずかに沈思したのち、王は頷いた。


「良かろう。サンデル殿を勇者の転生として遇する。皆そのように心得よ」

「御意!」

 宰相と魔術師、ハインリッヒが謹んでこうべを垂れる。同じようにおもてを伏せながら、ロクサーヌはちっ、と小さく舌打ちをした。

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伝説の勇者の転生が勇者だと思ったら大間違いなので…… しかも・かくの @sikamo

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