第9話 入城

 馬はこれが初めてだというにもかかわらず、フレイヤの騎乗はなかなか見事なものだった。余分な力みがなく、腰が自然とわっていて、おまけにフレイヤを背にした馬の方もどことなく嬉しそうだ。


 少し練習すれば、すぐにも一流の騎士に匹敵する乗り手になれそうだ。ハインリッヒはつくづくと感じ入った。さすがは勇者の転生だけのことはある。

 やたらと休みたがるのが玉にきずだが、尋常の資質でないのは瞭然だ。果たして魔王と抗するだけの力を秘めているのか、それは未だわからない。だがきっと大いなる希望のともしびとなってくれる。フレイヤを迎える役目を与えてくれたことを、ハインリッヒは王に感謝した。


 数日を経て、一行は都へと入った。堅固にして豪壮なグラール城は、初めて見る者の度肝を抜く。フレイヤもまた例外ではなかった。

「すごーい、おっきなおうちだなぁ」

 そびえ立つ天守を前に、かくんと首を上に傾ける。

「いや家ではなく」

 城だ。突っ込むべきかとハインリッヒは刹那迷ったが、国王の住居であるには違いない。そっと口を閉じる。


 従者達に先導させて、騎乗のまま城門へ向かった。佇立ちょりつする衛兵は、フレイヤを見て何者かといぶかしむ様子をしたものの、ハイランド屈指の騎士にして、王からの信頼も厚いハインリッヒが共にいる。ことさら制止することもなく、一礼して二人を通した。


 くるわで馬を預けてから、城内に足を踏み入れる。重苦しい雰囲気が漂っているのをハインリッヒは意識した。実際に戦場に立った者は元より、下働きの小者にいたるまでが、魔王軍の脅威をひしひしと感じているのだ。ハイランド王国、そして人の世は今存亡の危機に瀕している。それを打破するための切り札となるのは他ならぬ――。


「……あのー、マッカートニーさん」

 勇者の転生ことフレイヤ・サンデルの声は少しく掠れていた。重圧に喉を締め付けられているとでもいったふうだ。恐るべき力を振るう魔王と、その率いる軍勢と相対あいたいする。十代半ばの娘が背負うには重過ぎる宿命だろう。


「どうした、サンデル殿」

 ハインリッヒは努めて柔らかい調子で応じた。幾らかなりと少女の緊張をほぐせたらいいと願う。

「もし心に懸かることがあるなら、遠慮なく言ってくれ。私にできる限りのことはすると約束しよう」


「本当に?」

 フレイヤがすがるような瞳を向ける。ハインリッヒは力を込めて頷いた。この少女を支えるのは騎士としての義務だ。そして自ら望むところでもある。

 フレイヤはきらきらした笑顔を浮かべた。


「そしたら、ちゃんとしたごはんが食べたいな。干し肉とかじゃなくて、できたてほかほかのがいい」

「……用意させよう」


 ハインリッヒの腰には剣が吊り下がっていた。かつて魔物を斬り倒したこともある業物わざものだ。だが無論料理に用いたことなどはない。

 フレイヤにとって剣士と料理人とではいったいどちらが価値があるのだろう。しばし己の存在意義について思い悩んでしまう近衛騎士だった。




 王城の一室をあてがわれたフレイヤは、希望した通り調理してすぐの食事を供された。まさしく破格の待遇である。目下のところ、フレイヤは地位も功績もないただの庶民の小娘に過ぎない。これで不満を述べるようならが当たるというものだ。


「んー、ちょっと物足りないかも」

 フレイヤはお腹をさすった。せいぜい六分目ぐらいである。ちょっと甘いものでもつまめたらいいのだけど。親切な騎士さんにお願いしてみようか。

 とはいえ一応人心地ひとごこちついた。家を追い出された時にはどうしようかと思ったが、案外なんとかなるものである。少女の未来はきっと明るい。


「サンデル殿、失礼する」

 よく響くノックの音に続き、ハインリッヒが姿を見せた。先程までの旅装から、よりとした服に着替えている。あとで迎えにくると言っていたから、フレイヤは特にどうとも思わなかったものの、近衛騎士自らが案内役など普通はしない。


 部屋に足を踏み入れたハインリッヒは、ふとフレイヤの口元に目を留めた。

「む、ソースが」

 手を伸ばし、だが途中で身を強張らせる。まさか己の指先で拭うわけにはいかない。


「左の口の脇だ。ソースがついている」

「んー?」

 フレイヤの桃色の舌がにゅっと突き出す。器用に動いて肉汁のソースを舐め取った。当然ナプキンを使うものと思っていたハインリッヒは、少なからざる衝撃を受けた。だがおもむろに咳払いを一つ。素知らぬ態度を繕う。


「これより陛下に謁見する。国王の御前だ。くれぐれも粗相のないようにな」

「国王の御膳!?」

 フレイヤの声が弾んだ。胸ならぬお腹が高鳴る。つまりさっきの料理は前菜に過ぎなかったのだ。国王といえば国で一番偉い人だ。さぞかし素敵なメインディッシュが待っているに違いない。


「だいじょーぶ、任せて」

 自信を持って請け合う。食べ残すような失礼は絶対しないし、がっついてこぼしたりしないようにできるだけ気を付ける。騎士さんには安心してもらいたい。


 ハインリッヒはなぜか不安を覚えた。ふるふると首を振る。本人が大丈夫だと言っているのだ。信じよう。それに王は賢明なだけでなく、度量も広いお方だ。万一多少の無礼があってもお許しくださる。

「良し。では参ろう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る