第6話 悩みの種
地方領主府の会計役人トーマス・サンデルは、休日の昼食の卓に着くと、一つ空いたままの席へと視線をやった。
「……フレイヤはまだ寝てるのか」
「ええ、そうみたいね」
トーマスの妻にしてフレイヤの母のナタリアは頷いた。いつものことだ。わざわざ起こしにいかずとも、どうせそのうち空腹を我慢できなくなって下りてくる。
しかし仕事で家を空けることの多いトーマスは、娘と接する機会が少ないせいもあり、妻ほどのんきな境地にはなれなかった。
「あの子ももう十五歳だろう。さすがにそろそろどうにかしないとまずいんじゃないかな。いつまでもこんな調子じゃあ独り立ちなんてとうてい無理だし、嫁の貰い手を探すのも難しいだろう。甘やかすのはいい加減やめにするべきだよ。それがあの子自身のためだと思う」
トーマスにはいささかならず苦い選択だった。フレイヤはだめな子だ。だがだめな子ほど可愛いというのもまた真実だ。正直いつまでも手元に置いておきたい気持ちもある。だがそれではきっと娘はますますだめになってしまう。
ひとり娘の悩める父に対し、妻は過激なまでに簡単に賛意を表した。
「あなたの言う通りね。もう放り出しましょう。
「いやさすがにそれは性急過ぎやしないか? もっと少しずつ成長を促す感じでいった方が……」
「あの子なら大丈夫。どうとでもなるわ」
ナタリアはにっこりと笑みを浮かべた。
どうやら事はもう決定してしまったらしい。トーマスは肩を落とした。妻の判断は信用する。しかしフレイヤにとってはまさしく
――どうか娘の今後の人生が平穏無事なものであるように。
心からトーマスは祈った。
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おそらく今が最後の機会だろう。常より大分静かに感じられる王城の中を歩きながら、
魔王軍は強い。ハインリッヒが率いた王国軍は全滅してもおかしくなかった。あえなく先鋒が潰されたあと、撤退することがかなったのは、ひとえに追撃がなかったからに過ぎない。
これから御前会議が開かれる。参加者こそ少ないものの、王国と人族の行く末にとって重要な場となるのは確実だった。床を強く踏み締めるようにして、ハインリッヒは玉座の間へと向かった。
「おっ」
「や、これは」
王家の者が起居する奥へ通じる廊下から、背筋のぴんと伸びた女性が現れた。ハインリッヒの姿を認めて片手を上げる。ハインリッヒはその場に足をとどめ、相手が傍に近付くのを静かに待った。
「マッカートニー
王女ロクサーヌである。臣下の元へと軽い足取りで歩み寄る。ハインリッヒは丁重に
「
ロクサーヌは短く頷く。
「せっかくこうして会えたんだ。堅苦しいのは抜きにしよう。
「承知しました。では同じ目線となることをお許しください」
「許す」
ロクサーヌはわざとしかつめらしく答えたのち、頬をほころばせた。忠勇無双と名高いハインリッヒだが、本来飾らない人柄である。王女にとっては気の置けない友人に近い。
しかしロクサーヌはすぐに表情を引き締めた。事態がどれだけ切迫しているかは承知している。
「まずは魔王軍の侵攻を防いでくれたことに感謝する。もし
「痛み入ります。しかし私には過分なお言葉です。無為に将兵を失い、
ハインリッヒはそっと肩をすくめた。全く謙遜ではない。かの戦いの場にいた者なら誰もが同意することだ。
高貴な姫にはふさわしくない険しい
「敵はそれほどのものか?」
「もし
苦境を誰よりも知るハインリッヒは、
「それでも未だ絶望するには早い。魔王に抗い、打ち破る力が我らにはあります――即ち、転生せし勇者が」
「そうだ、な……」
しかし意外なほどロクサーヌの反応は鈍かった。ハインリッヒは心の内で首をひねりながら、勇者の動向を確かめる。
「宮廷魔術師殿が
ロクサーヌの眉間の皺はますます深くなった。小石ぐらいなら挟めそうだ。
「あれは違う」
「違う? どういう意味でしょうか」
「あの娘が勇者であってたまるものか」
まるで駄々でもこねるような口調だった。ハインリッヒの困惑がさらに深まる。
「そもそも託宣で告げられた方はいたのでしょうか?」
「確かに同じ名を持つ者はいた。だが断じて勇者などではない。ベルトランに特別な霊視の才があることは認めるが、
「それは、絶対ないとは言えないでしょうが……」
曖昧な表情で頷いたハインリッヒを、ロクサーヌがじろりと睨む。
「私が信用できないというのか? ならば卿が自身で行ったらどうだ。フレイヤなる娘が勇者かどうか、
「そうですね。仰る通りです。是非とも会ってみたい」
ハインリッヒは熱意を込めて同意した。ロクサーヌは見えない短剣で刺されでもしたみたいによろめいた。
「馬鹿な……卿は私よりあの娘を選ぶというのか!?」
「はあ?」
ハインリッヒはぽかんと口を開けた。全然意味がわからない。王女は何を言っているのだろう?
常は
「そ、その、私の馬がな、少しばかり疲れ気味なんだ。どうやら西の果ての村まで往復したのがこたえたらしい。マッカートニー卿、もしよければだが、私と一緒に替え馬を選んでくれないだろうか?」
「それは構いませんが」
ハインリッヒはあえて突っ込まなかった。きっと馬だけでなく、王女本人も疲れているのだ。
――ふう、なんとかごまかせた。
ロクサーヌはひそかに息をついた。だがそれも束の間。
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