第3話 勇者の片鱗

「おうじょさま? ほんもの?」

「正真正銘本物だ。貴方を迎えに来た。速やかに出立の用意をしたまえ」

「えぇ……」


 ちっとも勇者らしくない少女は、宝玉のように美しいみどりの瞳を曇らせた。ロクサーヌの心もちくりと痛んだ。あまりにだらけた様に、つい強い態度を取ってしまったが、相手は年下だ。身分も低い。事情も説明せず、命令調で接するだけでは萎縮いしゅくさせてしまって当然だ。


「突然のことで戸惑いもあるとは思う。だが我々は貴方を必要としているのだ。可能な限り貴方に良いように計らうと約束する。今ここに謹んで要請する。共に来てくれるな?」

「むり。おなかすいた」

 フレイヤは薄ぼんやりと首を振った。ロクサーヌの頬はひきつった。


「ふっ、ははは、はっ……そうかそうか。いいだろう。確かに腹拵はらごしらえは大切だ。ではまず午餐ごさんを済ませるがいい。出立はその後だ。荷造りは無用、貴方の身一つで構わない。私が責任を持って連行、もとい護送してやろう」

「……ぐぅ。すぅ」

 寝息は安らかだった。ロクサーヌは自分の中で何かがぶつりと切れる音を聞いた。


「起きろ、この怠け娘! 貴様は勇者の転生なのだろう! 国と民のため、いざ立って戦え!」

 弛んだ寝間着の襟元を掴んでがくがくと揺さぶる。


「ん~あ~」

 目をつぶったまま、フレイヤが王女の手を払い除ける。そしてダンゴムシさながらに体を丸め、再び毛布の中にもぐり込んだ。


 ――これが、勇者だと?

 ロクサーヌはめまいを覚えた。現実を拒絶するように、よろよろと後ろに退る。


「ロクサーヌさん……王女殿下? お顔が真っ白になってますわよ。お茶でもお入れしましょうか」

 フレイヤの母親が気遣う。実際、精神的な疲労感はひどかった。いっそ回れ右をして帰りたい。


「……いや、結構だ。一服している時間も惜しい」

 しかしぎりぎりで王女は踏みとどまった。自分は勅命を受けてここまで来たのだ。しかも懸かっているのは王国と世界の命運だ。負けてたまるか。


 改めてフレイヤに向き直る。どこかに勇者の片鱗へんりんあらわれてはいないかと、瞳をらし、気配を探る。


 だめだった。

 怠け娘が惰眠だみんをむさぼっているとしか見えない。小さく響くいびきが幸せそうだ。


 ふつふつと怒りが込み上げてくる。どうすれば目を覚ます? 全力で尻をひっぱたけばいいのか?

 寝台にじわりと近付く。しかしいったんは振り上げた手を、ロクサーヌはそのまま下ろした。間合いを詰めるほどに、不思議と攻撃衝動が失せていく。


 待て。落ち着け、私。

 一度大きく深呼吸する。

 普通に考えて、これが勇者のわけはない。つまりベルトランの託宣は誤りだったのだ。

 ならばこの娘に活を入れても仕方ない。そんなことより急ぎ城に戻って報告するのが先決だ。そして今度こそ真の転生勇者の所在を突き止めさせる。


「ご母堂、邪魔をした。今回の訪問については忘れてもらいたい。ちょっとした手違いだったのだ」

 ロクサーヌは貴人らしい態度をつくろった。母親は穏やかな笑みで応じた。


「残念ですわ。でもよければまたいらしてくださいな。もし娘で役に立つことがあれば、好きに使っていただいて構いませんので」

「万が一にでも、そのような機会があれば遠慮なく。では失礼する」

 ロクサーヌはサンデル邸を後にした。


 外に出ると、待機していた従者達が一斉に姿勢を正して王女を迎えた。

「帰城する。直ちにだ」

「かしこまりました。それで勇者様はいずこに?」

「おられなかった」

 苦い感情を押し殺す。小石を投げ入れたみたいに、従者達の間に戸惑いの波が広がる。


「どういうことでしょう?」

「お留守だったということですか? それならば待つか、出先まで赴いては?」

「もし殿下のご都合が悪いようなら、我々の幾人かで参りますが」


「違う。この家の娘は勇者ではなかった。断じてあり得ない。あれなら案山子かかしの方がまだましだ。少なくとも、魔王軍の前に立たせるぐらいはできるからな」

 重い体を引きずり上げるようにして騎乗する。頭上は青空だった。だが前途には見えない暗雲が待ち構えている。ロクサーヌにはそう思えてならなかった。




「ふぁあぁー……あ、いい匂い」

〈勇者の転生〉ことフレイヤ・サンデルは、乙女にあるまじき大あくびを一発かますと、毛布にくるまったままと鼻を鳴らした。


「おなかすいたな。おかあさーん、朝ごはーん」

 寝巻きを着替えることもせず、食欲に導かれるまま一階へと下りる。顔は適当に洗ったが、赤味がかった金髪は嵐の後みたいにぼさぼさだ。


「もうすぐできるわよ。朝じゃなくてお昼だけどね」

 娘の惨状を前にしても、母のナタリアは慣れたものだ。今さらこの程度でがみがみと怒りはしない。しかし今日はいつもといささか様子が違っていた。家事の手をいったん止めて、しげしげと娘を眺めやる。


「なあに? わたしの顔になにかついてる?」

「目やにがいっぱいね。それよりフレイヤ、あなた王女様のお話のことは考えてみたの?」


「……おうじょさま? なんのこと?」

 フレイヤはきょとんと首を傾げた。夢の内容を思い出そうとするみたいに、瞳がぐるりと上を向く。


「そういえばさっき、なんかかっこいい女の人がいたような、いなかったような」

「あなたのことを勇者の転生だっておっしゃってたわ。心当たりは……ないでしょうね。王女様も途中で呆れてあきらめたみたいだし。これっきりってことでいいのかしら」


「さあ? わたしはおいしくごはんが食べられるんならなんでもいい」

 フレイヤはにへらと笑った。ナタリアも頬を緩め、しかしすぐに厳しい調子を作り直した。


「勇者はともかく、せめて家事手伝いぐらいにはなりなさいな。食っちゃ寝ばかりしてたら、近いうちに追い出すから。本気で」

「はぁい」

 あくまでのんきなフレイヤだったが、母の言葉に嘘はなかった。フレイヤの旅立ちの時は、もうすぐそこまで迫っていた。

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