第2話 王女の来訪

 どこまでものどかな光景だった。馬上のロクサーヌは、周りを彩る鮮やかな木々の緑に目を細め、だがすぐに心を引き締めた。


 ハイランド王国の西方、山を一つ越えればそこはもう辺境という、最果ての領土である。王都は遠く、既に魔王軍の勢力下に落ちた東の辺境からはさらに遠い。戦乱の影は未だ見えない。


 風雲急を告げる時にあって、王女たるロクサーヌがこのような僻地へきちを訪れたことには、無論十分な理由があった。


「……果たして首尾良くいくのだろうか」


 ここはナロード村、宮廷魔術師ベルトランが、勇者の転生ありとの託宣を得た場所である。


 武技については並以上の心得のあるロクサーヌだが、魔術の類には全くうとい。ゆえに託宣の真偽を確かめる術もない。

 それに、いにしえの伝説に頼ることへの不安もある。もし本当に勇者がいたとして、果たしてどれだけ戦力となるものか。答えは全くの未知数だ。


 しかし転生勇者を迎えよというのは王命だ。個人的な心情は脇に置き、勅使ちょくしとしての役目に尽力せねばならない。


 素朴な田舎道を、小編成ながら場違いなまでに立派な騎馬の一団が進み行く。

 中でもロクサーヌのちはひときわ美しかった。当人も華麗な装備にふさわしい高貴な雰囲気の持ち主とあって、王女と行き会った村人は誰もが驚いたように目を留めた。


「すまぬ。そこの者、少し尋ねたいのだが」


 ロクサーヌの意を受けた従者の一人が馬を下り、作業中の農夫へ近付いた。


「は……はいはい、なんぞご用ですかい?」


 農夫は少しく戸惑った様子だが、剣を帯びた騎士を前にしても脅えてはいない。やはり戦乱とは無縁の土地柄なのだ。しかしその平穏な暮らしも、このまま手をこまねいていれば、いずれ魔王の軍勢に蹂躙じゅうりんされることになる。


「この村にフレイヤ・サンデルという方がおられるはずだ。家を教えてもらいたい」

「フレイヤ? あの怠け娘ですか? どうしてまたそんなことを。まさか下働きかなんかに召し使えようってんじゃないでしょうな。やめときなさい。無駄飯を食わせることになるだけでさぁ」

「怠け娘……? 妙な戯言はよせ。フレイヤ様の家はどこなのだ?」


 農夫はわけがわからないという顔をした。だが別に隠すことでもないと思ったらしい。場所を聞き出した従者が、ロクサーヌの元に戻って報告する。


「どうやらもう近くのようです。先触れを出しますか。それともこのまま直接お訪ねに?」


 ロクサーヌは気難しげに黙り込んだ。従者と農夫の会話は、余さず王女の耳にも届いていた。


 フレイヤ・サンデルは「怠け娘」。

 勇者と怠け者ではほとんど真逆である。

 今回の命令を受けて以来ずっと心に巣食っていた思いが、改めて影を落とす。


 ――もし本当に勇者が転生しているのであれば、なぜ未だ魔王軍との戦いに身を投じていないのか?


 ベルトランの託宣はとんでもない誤りだった。そんな悪い予感がしてならない。

 だがロクサーヌはためらいを振り捨てた。ここまで来て会わずに引き返すなど論外だ。


 村の中心から少し外れ、緑濃い生け垣の開いた先に、小綺麗な木造の二階屋があった。大きさはさほどでもない。庶民の家としては普通だろう。

 下馬したロクサーヌは、従者に手綱を預けた。自ら玄関の扉を叩く。


「頼もう! 私の名はロクサーヌ・ハイランド、フレイヤ・サンデル殿にお目にかかりたい!」

「はーい」


 すぐにいたって気安い返事があった。ついで前掛けを付けた女性が現れる。


「あら……フレイヤのお友達、かしら? ごめんなさいね。あの子はまだ寝てますの」


 年格好からしてフレイヤの母親だろう。見慣れぬ相手の突然の訪問に驚いた風情ながら、すぐに落ち着いた笑みを浮かべる。かたやロクサーヌは眉をひそめた。


「寝ている? しかしもう昼近くだぞ……はっ、もしやそういうことなのか!?」


 それまで予想もしていなかった重大な懸念に突き当たる。


「フレイヤ殿は体の具合が悪いのだろうか。重い病を患っているのでは?」


 だとしたら転生した勇者が未だ表舞台に立っていない理由となる。しかもその原因は特別なものであるのかもしれなかった。たとえば前世から続く魔王の呪いをその身に受けているといったことだ。


「いいえ、おかげさまで健康そのものですわ。放っておいてもそのうちお腹が空いて起きてきますよ」

「む、そうか。では安心だな」


 ――いや、そうか?

 ロクサーヌ内心で深く首をひねった。人としてかなりだめな気がする。やはり託宣は誤りだったのではという疑惑が、王女の中でますます濃くなる。


 かくなるうえは、フレイヤ・サンデルの真の姿を己が目で直に見定めるまでだ。


「ご母堂、ぶしつけな要求で恐縮だが、フレイヤ殿の寝室に案内してもらいたい。おそろしく重大な用件なのだ」

「ええ、どうぞ。お上がりくださいな」

「お邪魔する」


 軽く頭を下げて、母親の後に従う。向かった先は二階だ。母親は遠慮なく扉を開けた。


「フレイヤ、お友達が来たわよ。起きなさい」


 もちろん全く友達などではない。だがややこしい説明は後回しだ。

 ロクサーヌが雑に散らかった部屋に足を踏み入れると、「勇者」はあどけなく寝入っていた。十七歳の自分より一つ二つ年少だろう。赤味がかった金髪が、つやつやと血色のいい頬にかかり、そのうちの一房ひとふさがぷっくりした唇の中に含まれていた。


「うにゃ……おかわり……」


 もぐもぐと口が上下に動く。夢の中で食事中らしい。実に幸せそうである。


「ほら、しゃきっと目を開けて! いい加減にしないと溶けてくっついちゃうわよ」


 母親は手際よく毛布をひっぺがした。少女の寝間着の裾が、太ももの半ばまでめくり上がっていた。空気に触れてひやりとしたのか、一瞬体が震えたのち、まぶたがゆるゆると持ち上がっていく。


「……ふぁい?」


 口の端からよだれが垂れた。

 ロクサーヌにはほとんど衝撃的な光景だった。だらしないにも程がある。


「んぁー……だれ? ごはん?」


 誰がごはんか。

 ロクサーヌのこめかみがぴくりと脈打つ。剣を抜くのはさすがにこらえた。


「私はロクサーヌ・ハイランドだ。この国の第一王女をしている。以後見知り置きを願おう」


 堂々と名乗って身分を明かすと、フレイヤはぱちくりと瞬きをした。

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