EPISODE II ALL YOU NEED IS CHRISTMAS

I


12月18日──────


幽合会事務所内に、しんしんと降る雪のようなピアノの旋律が充満していた。


ユーコ•那加毛は小さい溜息を吐くと、白金の前髪を左耳にかけた。


ティラミスをスプーンですくい口に運ぶ。


碧い双眸そうぼうでスマホのディスプレイを時折眺めては、支払いの明細の山にまた溜息を吐く。


ガチャっとドアノブが回る音がした後、事務所の扉が開いて幽合会唯一の社員、片田へんでんが入って来た。


「戻りました」


左腕のメカニカルアームをメンテナンスして帰って来たのだ。


黒いスーツの上に羽織っていたN3Bフライトジャケットコートを椅子に掛けると、長く艶のある黒髪をポニーテールに束ねる。


鋭い視線が、ユーコの口に運ばれるティラミスを凝視している。


「おかえり、どうだった?」


「軽くて硬いですね、この腕」


左手をぐっと握ってから開いた手のひらを、ユーコの方へゆっくり向けた。


「ナノ何とかっていう素材らしいよ」 


ユーコが視線をスマホのディスプレイに合わせたまま、

気怠そうな返事を返す。


「ユーコさん、もしかしてそのティラミス、冷蔵庫にありました?」


「そうだけど、それより藤部さんに改良してもらったその新しい左腕、凄いのよ」


碧い視線をスマホから片田の方へ向けると、にやにやしながら続ける。


「エビモードって言ってみて」


「エビモード」


片田のメカニカルアームが、エビの前腕に似た鋏状に変形していく。


「凄い威力なのよその鋏、この前、藤部とうべさんと飲んでる時に鉄砲エビの話になってね」


片田が鋏状の左腕を無言でユーコに向けた。


「ちょちょ、何よ、危ないじゃない」


「ティラミスの恨みです」


「死ぬって、死ぬって、事務所吹っ飛んじゃうから、やめてぇぇぇぇぇぇ」


慌てて椅子から立ち上がったユーコが、狼狽しながら右往左往して事務所内を逃げ回る。


「不死身の再生者リジェネレーターでしょ?」


片田は鋏状に変形した左腕を前に突き出したまま、逃げ惑うユーコから照準を離さない。


その時、事務所の扉が開いて公安四課の魚家うおいえが入って来た。


「すいま、え、何してるんですか二人共?」


二人が動きをぴたりと止めて、くるっと顔だけ回し冷酷な視線の片田と、わわわと歪んだ表情のユーコかで驚く魚家の顔を見つめた。


II


「リングネーム、ジ•アトランティスこと底川潮そこかわうしお、四ノ宮地下違法格闘技場、現チャンピオン、この底川を何とかしていただきたい」


応接セットのソファに座った魚家が、対角のソファに座るユーコに資料を渡しながら言った。


「違法地下格闘技場ってルールなしの何でもありの?」


その通りと頷く魚家が、咥えた煙草に火をつける。


「何したのこいつ?」


「一般ノームとミュート四名づつと、潜入捜査官二名の計十名を殺してます」


「ふーん、ミュートも、強いんだチャンピオン、で、どうやって底川に接触するの」


煙草の灰を片田が差し出した灰皿に落とすと、魚家がユーコの顔をキリッとした表情で見つめて言う。


「お二人のどちらかに、二十四日に行われる地下格闘技に出ていただいて、そこで」


「チャンピオンに挑戦して倒す」


ユーコがニヤリと口角を上げて魚家の言葉に重ねた。


「殺しだけで公安が追ってるわけじゃないでしょ、その違法格闘賭博、誰が仕切ってんの?」


眉間に皺を寄せ、少し間を置いて魚家が口を開く。


「剛王連合の仕切りです、ミュートとサイボーグの兵隊を持つ武闘派の」


「なるほど、バレれば殺し合い必至ね」


白い天井を仰いでから、片田に剛王連合を調べるように指示を出し、スマホのディスプレイに視線を移した。


「高いわよ」


碧い瞳が魚家の澱んだ眼をじっと見つめた。


フィルターぎりぎりまで吸いきった煙草を、灰皿に捻り込んだ魚家が頷いた。


「決まりね」


「試合のエントリー名はどうしますか?」


デスクでノートPCを黙々とタイピングしている片田をチラッと目視したユーコが、ニチャアと口角を上げながら言った。


「エビマスクでお願い」


「エビマスク?はぁ、はい」


眉間に皺を寄せる魚家が腑に落ちないまま、地下格闘技場の場所と入り方をユーコに説明する。


ふんふんとスマホを操作しながら、ユーコは魚家の話しを聞いている。


片田が剛王連合の資料をユーコのスマホに転送した。


構成員約700名、シノギは違法賭博格闘技と地上げ、組の代表は塩村剛三しおむらごうぞうと記載されている。


「まあまあヤバそうなヤクザね、私達の目的は底川だけだし、とにかくうちの片田が優勝すればいいんでしょ?」


「は?私がエビマスクで出場するんですか?」


「余裕でしょあんたなら、ボーナスチャンスよ!」


深い溜息を吐いた片田が、また厄介な事になりそうな予感を感じて肩を落とした。


碧い瞳を輝かせるユーコを他所に魚家は、

すいませんと片田の方へ会釈して、それじゃあ宜しくと事務所を出て行った。


「ユーコさんがエビマスクで出場すればいいじゃないですか」


不貞腐れた片田がユーコに不服そうに言うと、バキバキにキマッた碧い瞳を向けて、


「あなたは、エビに、エビになるのよ!エビマスクに」


ダメだ、なんか変なスイッチが入っている。


そして、嫌がる片田に、にやにやしながらユーコが近寄って耳元で囁く。


その邪悪な囁きに片田は、目をかっと見開いてユーコの顔を見返した。


「悪いようにはしないわ、この凄腕プロモーター兼セコンドの私に任せなさい」


ユーコの口角が上がりニチャリと邪悪な微笑みを浮かべていた。



12月24日──────


神解しんかい市、四ノ宮の繁華街から無数に枝別れした暗い路地にある、某雑居ビルの一階に古びた喫茶店がある。


小美人 (こびと)と漢字で縦書きに書かれた、錆だらけの立て看板が店先に置かれている。


その看板の前に黒いリュックを背負った、ユーコと片田が到着した。


「あった、ここね」


「このマスク、本当に被んなきゃいけないんですか?」


「当たり前でしょ、あんたは今夜エビマスクなんだから」


腑に落ちない感じで、ユーコから手渡されたエビの顔を模したマスクを、片田が渋々被った。


「その迷彩柄のスーツ目立ち過ぎませんか?」


「あ、これ、いいのよ、私はプロモーター兼セコンドだから、派手な方がそれっぽくて馴染むでしょ」


にこっと黒縁メガネをかけたユーコが微笑しながら言った。


はぁ〜と、溜息を吐き捨てた片田がマスクを装着し終えてユーコの顔を見る。


「中に入ったら私のこと、ドン•キング、いや、ドン•クイーンって呼びなさい」


「ドン•クイーンですか」


にやにやしながら頷くユーコの顔を見て、片田は肩をすくめてまた深い溜息を吐いた。


「ユーコさん聴こえますか?」


ユーコがかけている骨伝導メガネの耳かけの部分から、魚家の声が微かに聞こえる。


「クリアー、今から店に入ります」


「宜しくお願いします」


「了解」


ユーコを先頭に喫茶店の入り口から、店内へと入って行った。


ガランとした店内には他の客はおらず、カウンター奥に黒い人影が見えた。


二人は背負ったリュックを足元に置いて、カウンター中央の席に座った。


店内の様子をチラチラと目だけを動かして探っている。


ユーコが痺れを切らしてすいませんと声をかけようとした時、カウンターの奥から大きな黒い人影が現れた。


身長二メートルを有に越える上背に、どこで売ってるのか分からないサイズの巨大な白いエプロン。


異様なミスマッチ感の服装の内側は、屈強な肉体の大男ではなく、白髪をアップで纏めたデカい老婆がよろよろと近づいて来る。


「すいません、年なもんで、お水をどうぞ」


デカい老婆が、巨人の様な手から水が入ったコップをユーコと片田の前に置いた。


「婆さん、ちょっとその水、飲んでみな」


真顔のユーコが置かれたコップを指差して、冷静に言った。


迷彩柄スーツの金髪眼鏡っ子、リアルなエビを模した赤いマスクの黒スーツに、身長二メートル越えのデカいババア。


違和感しかない異様な緊張感の中、三人の間に静寂が走った。


「嫌ですよ、年寄りをからかって、わ、わわ私は、さっき飲んだばかりで」


露骨に狼狽しながら、デカいババアが額から滝の様な汗を流しながら恐る恐る言った。


「何故飲めん、毒でも入っているのか?どこの世界にお前みたいな髭の生えたデカいババアがいるんだ」


真顔のユーコが冷静に言い放った。


「キエエエエエエェェイ」


わなわなと肩を震わし、奇声を発したデカいババアが、丸太の様に太い両腕でカウンター越しにユーコに掴みかかって来た。


「アタァ」


その瞬間、すっと立ち上がった片田が、右拳をデカいババアの顔面にめり込ませた。


「ぽみゅら」


奇妙な断末魔と共に、鼻血を吹き出しながら、デカいババアが背後の壁に叩きつけられた。


鼻血を滴らせ、白いエプロンが点々と血で紅く染まっていく。


「エントリー名は何でしょうか?」 


右手でエプロンを掴んで鼻を拭きながら、デカいババアがよろけながら言った。


「私がプロモーター兼セコンドのドン•クイーンでこっちがエビマスクよ」


合言葉だったようだ。


慌てて出場者リストを取り出したデカいババアが確認する。


「ドン•クイーン様とエビマスク様、エントリー受け付けております、どうぞこちらへ」


デカいババアに案内されて、二人は店の奥にあるトイレの扉へと進んだ。


「御武運を」


鼻血の跡が生々しい、作り笑いを浮かべたデカいババアに会釈して扉を開けると、薄明かりに照らされた地下へと降りる

長い階段が、そこにはあった。



地下へと続く階段を降りると、分厚い鉄扉がこれから待ち受ける狂乱を予感させる。


「エントリー名は?」


扉のさらに上にあるスピーカーから声が聞こえる。


「ドン•クイーンとエビマスク」


ユーコの声が薄暗い鉄扉の前で響いた後、


「よし、入れ」


またスピーカーから声が聞こえて、鉄扉が自動で横にスライドし、開いた。


開いた鉄扉の先に進むとそこには、中央に八角形のケージリングが見える。


チンピラ達や金持ちそうなおっさんとキャバ嬢等、大勢の観客で賑わっている。


「さあ、今夜、見事三連勝してチャンピオンに挑戦するのは誰か?そして、無敗のチャンピオンに勝つ者は現れるのか?」


リング中央で司会役の男がマイクを持って絶叫している。


大勢の観客達を避けながらユーコと片田は、バーカウンターの隣に併設されたエントリーと書かれた看板の受付へと進んだ。


「エントリーですか?」


スキンヘッドの厳つい男がユーコ達に声をかけた。


「私がプロモーター兼セコンドのドン•クイーンでこっちが出場選手のエビマスク」


答えたユーコの方は見ずに、スキンヘッドの男が品定めする様にジロリと片田を睨んだ。


その時、観客達の大歓声が闘技場内を包んだ。


「あれ、マードックじゃないか、殺し屋マードックじゃん」


観客達がざわついている。


ケージリングに入って来たのは、大柄で筋骨隆々、浅黒い肌に左半身、顔まで彫られたトライバルのタトゥーが印象的な、いかにも格闘家の大男が立っていた。


「さあ、薬物使用で表格闘界から突如姿を消した殺し屋マードックが今夜ここに復活!この男に挑戦するのは、一体誰だ!」


いちいち芝居がかった口調で、司会の男が観客達を煽る。


「ではお二人、リングへどうぞ」


スキンヘッドの男がユーコ達をケージリングへと案内する。


ざわつく観客達を掻き分けて、ケージリング横まで来るとスキンヘッドの男がスタッフに耳打ちして片田を呼び込んだ。


「じゃあお願いします」


どうぞと、片田をケージリングの入り口に案内すると、スキンヘッドの男は受付へと戻って行った。


「脇を締めて、明日に向かって、打つべし、打つべし、打つべし」


と、謎のアドバイスを披露するユーコを片田が冷ややかな目で見る。


「黙っててください」 


片田が背負ったリュックをユーコに渡した。


「ジョーぉ」


眉毛を八の字に寄せたユーコが悲しげに呟いきながら黒いリュックを受け取る。


「エビマスクです」


呆れた片田が、ケージリングの中へと入って行った。


「さあ、殺し屋マードックに挑戦するのは、正体不明のマスクマン、初出場の〜エビマスクだ!」


そう叫ぶと司会の男がリングから出て行く。


リング中央で睨み合う二人。


「華奢なネーちゃんだな、悪いが手加減しねえぞ」


ドスの効いた声でマードックが片田にかまして来た。


「あなた、ミュートですか?それともサイボーグですか?」


至って冷静に片田が返す。


「は?機械でも化け物でもねえよ」


そう聞くと、片田は両手をポケットに突っ込んだ。


「いつでもいいですよ」


と、余裕でマードックを挑発する。


「このアマエビが」


その瞬間、頭に血が上ったマードックの右拳が片田の顔面目掛けて振り抜かれた。


当たらない。


すっと右側に半身になって避けた片田は、左ポケットから左拳を一瞬抜いてマードックの横っ面に拳を叩き込んだ。


重い、金属バットで顔面をぶっ叩かれた様な痛みがマードックを襲った。


左ジャブ一発でこの破壊力、脳は揺れていない、だが鼻の骨は確実に折れた。


鈍い音がマードックの左耳の中でまだ共鳴している。


「へへ、やるじゃねぇかアマエビ」


鼻血をだらだらと垂らしながら、凶悪な眼差しが片田を捉えて離さない。


片田が半身になり拳を構えて、軽くステップを踏み出した。


「拳闘か」


そう呟き、誰が付き合うかよと体勢をなだれ込むように低くしてマードックが下段タックルを仕掛ける。


片田の腰辺りに両手を伸ばした瞬間、無防備なマードックの顔面を、まるでスレッジハンマーで打ち砕く様な左肘の一撃が、振り下ろされた。


失神してその場にうつ伏せになるマードック。


闘技場内は大歓声に包まれた。


「ヒュー、エビマスク、最強!」


正体不明のエビマスクに誰も賭けてなく、一人勝ちしたユーコが賭けの受付で大量の札束を受け取りながら叫んだ。


札束をリュックにそそくさと詰め込み、歓喜を押し殺した変な表情でケージリングの方へ駆けていく。


「さあ、見事、殺し屋マードックを倒したエビマスクに挑戦するのは〜こいつだ!」


司会の男の雄叫びに観客達のボルテージが、上がっていく。


そして、ケージリングに入って来たのは、マードックとは対照的な細身の男だった。


「現代に甦りし切り裂きジャックこと、元死刑囚、殺人鬼、霧元きりもとだ!」


観客達の歓声が消え、マイクのハウリングしたヒスノイズが闘技場内の静寂を貫く。


「霧元、なんで娑婆にいんだ?」


「ヤッバ、マジもんのシリアルキラーじゃん」


徐々に観客達がざわつき始めた。


ユーコの耳元で魚家から霧元の情報が入る。


「あいつは、若い女ばかり二十人以上殺してる、手加減しなくていい」


ユーコがケージ越しに、片田に近づいて囁いた。


「了解」


片田の両眼がきゅっと細くなり、黒い手袋を丁寧に両手に装着する。


へらへらと気色の悪い表情で、霧元が長い黒髪を掻き上げながら、舐める様に片田を見ていた。


「女か、いいねぇ、こりゃたまんねーな、いい仕事じゃねぇかよ」


霧元の鋭い視線を感じながら、片田はリング中央へと歩き出した。


にやにやした霧元の左肩辺りに黒い右拳のジャブが飛んだ。


当たった感触は確かにある、しかし、細い体からは想像もつかない硬さ、鋼鉄の様な堅牢さを片田は右拳から感じた。


「だいたい皆、そうなんだ、見た目でよぉ、他人をよぉ、判断したなお前」


独特な間で喋る霧元から片田が距離を取る様に後ずさる。


「さっきお前がやった奴、見るからに喧嘩上等みたいな奴、俺、嫌いなんだよなぁ」


そう言いながら霧元が両手をバッと下に広げると、両手の指先が鋭利な刃物に変化した。


「ヒャハハ、いくら身体を鍛えてもよぉ、サイボーグにゃ勝てねーよなぁ」


奇声を上げながら、霧元が両手の尖った指先で片田に切りかかって来る。


ステップを踏みながら半身に構えた片田が、鋭利な指先の斬撃をぎりぎりで避けていく。 


「ヤル気あんのかよぉ、ぴょんぴょん逃げやがってよぉ、眠てぇルールでやりやがってよぉ」


ケージを背にした片田に苛ついた霧元がさらに切りかかった。


「ごちゃごちゃ、うるさいんですよあなた」


片田の胸部中央目掛けて突き出された、霧元の左腕を掴み、素早く飛びつくと、右脚を首にかけて腕ひしぎ十字固めに極めて床に倒れ込んだ。


「ぐ、は、離せよぉ、があ」


両足をバタつかせながら叫び踠く霧元の左腕を、ぐりんと回し極めてへし折った。


闘技場内が観客達の悲鳴で埋め尽くされていく。


「私も眠たいルールでやってませんよ」


へし折った左腕を離して、すっと体勢を起こした片田が、そのまま間髪入れずに霧元の顔面に渾身の拳を振り下ろした。


ドチャッと鈍い音がしてから、真っ赤な血がリング上に広がっていく。


「エビマスク最強!」


観客達の大きな歓声を背に、賭けの受付で邪悪な笑みを浮かべたユーコが、儲けた札束をリュックにせっせと詰め込んでいた。



霧元の死体が片付けられてリング清掃が済むと、司会の男がマイクを握った。


「さあ、次の試合に勝てば、ついにチャンピオンに挑戦出来ます、二連勝したエビマスク選手と闘うのはー、こいつだー!」


観客の大歓声の中、ケージリングに入って来たのは和彫で上半身を埋め尽くされた、いかにもなヤクザ者だった。


「剛王連合所属ぅ、人斬り樫本かしもとだ」


司会の男が紹介すると観客達から歓声が上がる。


樫本は両手に持った日本刀の一本を片田の足元に放り投げた。


黒いリュックを大事そうに抱えて戻って来たユーコの耳元に、魚家から樫本の情報が聞こえる。


「あのヤクザ、強いわね、首から下はサイボーグ化してるみたい、油断は禁物よ桐生ちゃん」 


「エビマスクです」


ケージ越しに冷静にツッコむ片田に、ユーコが碧い眼差しを向けた。


「強いなぁあんた、だが、女相手に道具振りまして勝ってもダサいからなぁ、その刀、とりな、それで五分やろ」


さっき投げた日本刀を指差して、樫本が片田に促した。


ゆっくり足元に転がる日本刀を手にした片田が、鞘から抜いて照明に照らされる銀色の刀身をじっと見つめる。


樫本も鞘から刀を抜くと、にやついた表情が締まり、細い眼で片田を睨みつけた。


闘技場内が静寂に包まれる。


「いざ尋常に、勝負」


司会の男がそう叫ぶと、緊張をぶち破る大歓声が闘技場内にこだました。


樫本が刀を八相に構えて、すり足でにじり寄って来る。


あんたに渡した刀は模造刀や、勝つか死ぬかで生きる俺の前に立ったあんたが悪い。


そう思考を巡らせる樫本が斬りかかる。


樫本の連撃を刀で受けると、片田の持つ刀は先からすぱすぱと無くなっていく。


「勝った、EPISODE II 完」


頭の中で樫本は歓喜を叫んだ。


そう叫んだはずだった。


しかし、身体が動かない、まるで岩のようだ。


ゆっくり視線を横に移動させると左耳に刀の鍔らしき物が見えた。


それが樫本が見た最後の記憶。


片田は刀身が七割無くなった模造刀を、樫本の左側頭部に突き刺して貫通させていた。


立ったまま動かない樫本の死体を闘技場スタッフ達が運んでいく。


「うおおおおぁぁぁ」


阿鼻叫喚の闘技場内を、賭け金でパンパンに膨らませたリュックを重そうに背負ったユーコが、観客を掻き分けて片田の方へ戻って来る。


「凄まじい決着!さあ、ついにチャンピオンが今宵、降臨だ!」


闘技場内の照明が落とされ、ケージリングがピンスポットライトで照らされると、ケージの外側にスタッフ達がアクリル板の様な透明な壁を設置し出した。


そして、スポットライトに照らされたリングの中央にジ•アトランティスこと、底川潮が姿を現した。


「ちょ、ちょ、何これ、セコンドもへったくれも無いじゃない」


ユーコがアクリル板越しに騒いでいるが片田には聴こえない。


片田はユーコに大丈夫と、黒い拳を突き出している。


「さあ、さあ、メインイベントは水槽デスマッチだ、

今から海水がリングに入れられ、徐々に水嵩が増していきます!」


緑色の皮膚に覆われた、モヒカン頭の底川が不気味に笑うと、観客達の歓声に闘技場内が包まれていく。


「ケケケ、お前も運が悪いな、この水が顔の位置まで来た時が、お前の死ぬ時よ」


余裕の表情で片田を挑発する底川の身体が、人の形を止めて異形へと変貌した。


耳の辺りまで裂けた大きな口から見える鋭い牙、緑色の手の指先に伸びる尖った爪。


そんなカオスな状況で先に仕掛けたのは片田だった。


膝下辺りまできた海水をバチャバチャと踏み込みながら底川に殴りかかる。


海水に脚をとられて本来のスピードが出ない片田の拳を、ひょいと避けた底川が反撃の爪で切り裂いた。


胸の辺りを切り裂かれ体勢を崩した片田を、底川が蹴りで追撃してケージに叩きつけた。


「焦っているな、ケケケ、ゆっくり料理してやるぞエビマスク」


高笑いする底川を睨みつける片田、ユーコは透明な壁の外側で何か叫んでいる。


闘技場内が圧倒的なチャンピオンに大歓声を送っていた。



海水が片田の胸辺りまで来ると、底川が水中を泳いで突進して来た。


身体の自由を奪われた片田を、何度も鋭い爪が切り裂いていく。


リング外からは、片田の流した赤い血で中の様子が余り見えなくなっていた。


海水が首の位置まで上がって来た時、片田が濡れたマスクと共に水中から顔を出した。


その時、片田の視線にユーコが左手をチョキの形にして鋏を作り、ハンドサインを送っているのが一瞬、視界に入った。


水中を縦横無尽に泳いで、鋭い爪を底川が片田に容赦なく突き立てる。


「ケケケ、そろそろ終わりにしてやろう」


底川が水中で大きく口を開けると、ギザギザの恐ろしい歯をカチカチとするモーションをしてから、水中で踠く片田に突進して来る。


「エビモード」


片田の呟きに左腕が鋏の形に変形していく。


勝利を確信した底川が大きく開いた口で、片田の首元へ迫って来る。


ユーコがポケットから耳栓を取り出して両耳にねじ込んで、その場から駆け出した。


片田の左腕の鋏がパチンという破裂音を伴って重なった瞬間、ピカッと雷の様な白い光がリング内に走り、凄まじい轟音が炸裂した。


このキャビテーション時に生じるバブルパルスによって、

水分子が水電解反応しイオン化した酸素と水素から再び水分子合成反応熱により、4400℃のプラズマ状態の熱波が、突進して来た底川に浴びせられた。


透明な壁が破壊され、リング内に溜まった海水が闘技場内に流出した。


ゼロ距離で食らった底川は跡形もなく消滅し、アクリル板も破壊され、海水会場内に流れ出し、闘技場内は大混乱に陥った。


観客達は凄まじい轟音に聴覚を失って皆、固まっている。


そんな混乱の中を一人脱出したユーコは、地下階段を駆け上がり喫茶店の入り口を出た所だった。


背中に感じる狂おしい札束の重み、ユーコがガッツポーズを小さくして歩き出そうとした瞬間、手の平が肩に当たる違和感が襲った。


「ユーコさん、その金は違法なんで、私に逮捕させないで下さいね」


目が笑ってない魚家が、くいくいとリュックを差し出せと手招きをしている。


「あ、ああ、あ、これは」


天国から地獄へ突き落とされた苦悶の表情を浮かべたユーコが、渋々リュックを魚家に渡した。


「報酬はいつも通り振り込んでおきますんで、お疲れ様でした」


リュックを受け取った魚家が手を振り、去っていく。


「あ、そうだ、メリークリスマス」 


少し歩いてから振り返った魚家が笑顔で言った。


膝から地面に崩れ落ちるユーコの黒縁メガネが、寂しく歩道に転がっている。


暫くしてから、真っ白に灰になって燃え尽きているユーコの肩を、ぽんぽんと誰かが叩いた。


「MR作戦、無事、任務完了です」


エビマスクを外した片田が、ずぶ濡れのスーツ姿に黒いリュックを背負って立っていた。


白い粉雪が二人の頭上にひらひらと舞い落ちる。


「メリークリスマス、ミスターローレンス」


ユーコは片田が背負った黒いリュックに視線を向けて、

ニチャリと口角を上げた。



  Dedicated to Ryuichi Sakamoto

      1952-2023


──────

See you in the next heaven…

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