第7話 JDCの亡霊
綾葉が洪作に須賀消失の顛末をたどたどしく話している間に、そのころには実家から戻ってきていた佐藤道明を含め、X大学の面々は懐中電灯を手に渡月橋へ散歩に出かけていた。
ちょうど綾葉が話し終えたときに戻ってきた一同は、洪作と綾葉の元へ歩み寄ってきた。
「さっき欄干にこんなものがガムテープで貼り付けてあったから、はがしてきたんだけど」
そう言って阿部は右手に持っていたものを二人に差しだす。
それはごく普通のA4版の白色の上質紙で、以下のような文言が横書きで印字されていた。
「石崎綾葉様
石崎さん、俺が君の尾行に気づいていないとでも思っていたのかな?
どうやら俺を見くびっていたようだ。
俺は自分が望めば、いつでもどこでも消えることができるんだよ。
なぜなら、俺はジョン・ディクスン・カーの生まれ変わりなのだから。
今回は渡月橋という絶好の舞台に君をおびき寄せ、あるトリックを使って消え失せてみせた。
あなたはそのトリックを見破れるかな?
健闘を祈ります、さようなら。
ジョン・ディクスン・カーの亡霊こと須賀より」
阿部が投げかけた懐中電灯の明りで食い入るように文字を追っていた綾葉の両手が、やがてわなわなと震え出した。
「どこまでわたしを愚弄する気なの?
カーの亡霊?
ふざけるにもほどがあるじゃない!
それにしても、どうやって消えたというの?
わからない、わからない・・・」
洪作がそばに付き添うことでさきほどまでの悔しさを忘れかけていた綾葉だったが、あからさまな挑発を受けて怒りが再燃したようだった。
酔いで濃い赤に染まった顔面をさらに紅潮させ、誰にともなくぶつぶつと言葉をまき散らしながら、うろうろと歩き回る。
「どうやって消えたの、どうやって?
どんなトリックを使ったというの?
変装?
でも、この人たちは仲間を見間違えるはずがない。
では時間に関する錯誤があったの?
それも、この状況ではありえないはず。
彼らは一時間前からわたしがここに来るまでの間、この場所にずっといたんだから。
まさかロープかなんかを欄干にくくりつけてぶら下がって、わたしが通り過ぎるのをやり過ごした?
この暗さだし、欄干に特別注意を払っていたわけではないから、もしそうしたならわたしは気づかなかったかも。
でも、そんな芸当が須賀にできる?
それとも、最初に考えたように橋を途中で引き返してきたけど、わたしが気づかなかった?
例えば、這うようにして進んでわたしの横を通り過ぎた?
わからない、わからない・・・
一体、どんなトリックを使って?」
「トリック」などという単語を口にしながら両手で頭をかきむしり懊悩する綾葉の姿は、周囲の人間には近寄りがたい雰囲気を発し、ミステリーマニア特有とでもいうべき一種の哀れみをさそった。
そんな綾葉を悲しみと優しさの入り混じった表情で見守っていた洪作は、子どもをなだめるように、あるいはあやすように、そっと言葉を投げかけた。
「綾葉さん、綾葉さんはもう悩まないで大丈夫ですよ。
僕にはすっかり謎が解けましたから」
綾葉ははっとしたように洪作へぐいと振り向いた。
「謎が・・・ 解けた?」
「ええ、なぜ須賀は消えてしまったのか?
あまりにも単純すぎで、かえって綾葉さんは謎を解くことができなかったんです」
綾葉が急き込んでたずねる。
「こ、洪作くん、ほんまに消失の謎を解いたん?
わたしは須賀が、一方の端からあの橋を渡っていったのは確かに目撃した。
でも、もう一方の端を通らなかった。
途中で消えたとしか思えないこの状況を説明できはるの?」
すがるような響きのある綾葉の言葉に、洪作は黙ってうなずいた。
「もちろん佐藤さんが橋を渡った後、須賀は橋を渡ったんよね?」
洪作はなおも黙ったまま首を左右に振る。
「違う?
ほんなら、佐藤さんが橋を渡る前に、須賀は橋を渡ったというん?」
またもや洪作は無言で首を左右に振る。
「だったら、いつ橋を渡ったん?」と少しいらだった口調で綾葉は洪作に迫った。
「後でも前でもなかったのです」と悠然と洪作。
怪訝な顔をする綾葉を残して洪作は素早く身を翻し、一同の中で最も奥に立っていた男の左手首をつかみ、抵抗する男を瞬時に一同の中心に引っ張り出した。
懐中電灯の明りに照らし出された佐藤道明の姿を見るなり、綾葉は思わず叫び声をあげた。
「す、須賀!」
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