第20話 再び対決

 馬原は、日曜日の午後、再び殺人現場に向かっていた。

 あの小教室で会いたいと言う流藤の要求に応じたのだ。

 理事長という権力を以ってすれば、封鎖された部屋の鍵を手に入れることは造作の無いことだった。

 いまだに馬原のもとに警察の捜査の手が及ぶことはなく、何事もない平穏な日々が続いていた。

 警察はどこまで事件を把握しているのだろう?

 まあ、いずれにしろ、そう易々と俺に手を出せるはずはないが。

 馬原は運営側に立ちながらも自由に若者と交流できる理事長兼学生という今の生活をこれからも続けるつもりだった。

 馬原の若いころはちょうど戦争の真っ只中で、いわゆる憧れのキャンパスライフなどという青春を味わうことは叶わなかったのである。

 学生の大半は理事長の顔はおろか名前すら知らなかったので、学生としてふるまうことに何らの支障もなかった。

 若い学生たちは馬原の存在を、高齢になってから勉学に目覚めた「熱心なおじいさん」程度にとらえていて、他の学生と同様に馬原のことを気安く呼び捨てにするようお願いするとその言葉に従ってくれた。

 呼び捨てにされることでお互いの心理的な隔たりは消え失せ、まるで同年代の者同士であるかのようなコミュニケーションが可能になり、馬原は遅い青春を謳歌していた。

 だが、その充足した日々を台無しにする危険な存在だった登志谷は、やはり殺すしかなかった、と馬原は思うようになっていた。

 先の戦争で金の力を存分に使い徴兵を逃れた馬原だったが、いかなる方法によるものか、その秘密をかぎつけたのが登志谷だった。

 こちらには動かぬ証拠がある、世間に公表されたくなければ卒業後に起業する予定の貿易会社の運営資金を出せ、と脅しをかけてきたのだ。

 登志谷も、そして、しつこくまとわりついてくる流藤も、暗闇で眠りにつこうとしている自分の顔の周りをぶんぶんと不快な音を立てて飛びまわる蚊のような、鬱陶しい存在に過ぎなかった。

 それが嫌なら、電気をつけ手で叩き落とすか、あるいは殺虫剤を吹きかければ、それで終わり。

 蚊を殺したところで、罪悪感などない。

 馬原は、洪作の推理を特に恐れているわけではなかったが、いざ独りよがりに思えるとはいえ、独特の方法で一定の筋道を作り犯人であると指摘されてみると、いたく自尊心が傷つけられた気がした。

 それに、洪作の徴兵忌避という心性に対しなにか因縁めいたものを感じると同時に、共感と憎悪というまったく矛盾した感情を抱いている自分にも気づいた。

 流藤と別れた馬原は、残酷で、意地の悪い、完全なる嫌がらせで、即刻、決定の取り消しを命じたのだった。


 洪作は立心館五階の小教室で、馬原と相対した。

 殺人現場で顔を突き合わせ、馬原が登志谷や洪作に加えた身勝手過ぎる仕打ちを責め立てることで、罪の意識を芽生えさせ悔い改めさせてやりたかった。

 洪作はこの物語の結末を、ハッピーエンドに修正しなければならなかった。

 まるで自ら体験した出来事が、唯一無二の結論を導くために配置されたかのようで、洪作の探偵物語は夢想した通りの終わりを迎えたはずだった。

 だが、その行為が馬原に思わぬ影響を及ぼし、洪作を破滅に追いやろうとしていた。

 洪作は言葉を尽くして馬原の良心に訴えたつもりだった。

 しかし、馬原はしばしば洪作を軽蔑しきったような薄笑いを浮かべるだけで、一言の謝罪すら引き出すことができなかった。

 やがて洪作は我を忘れ、普段なら絶対に口にしないような、かなり侮辱的な言葉で馬原を罵った。

 それまで余裕の表情で洪作を冷静に見つめていた馬原は、突然、激昂した。

 言葉として理解できない叫び声を上げて、洪作に襲いかかってきた。

 最初のうち防戦一方だった洪作は、無我夢中で本能に導かれるままに戦い、必死の抵抗はいつしか攻撃に転じていた。

 気が付くと洪作は、倒れた馬原の上にのしかかりその細い首を強く絞めていた。

 だが、馬原の体はすでにぐったりとして、体の動きを完全に止めていた。

 洪作の物語は、決して取り返しのつかない決定的な破局を迎えた。

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